バイクから見えるそれぞれの新世界
コロナ禍で新常識や新たなライフスタイルが各所で模索される中、ポジティブとネガティブな要素を両方考えながら突き進めていかなければならないと多くの人が痛感している
むしろ現実的にはネガティブの方が圧倒的に多く、人によっては8:2〜9:1でマイナスの感情を撒き散らせながらネガティブの中でもがき苦しまざるを得ない状況下で生きているのを至るところで目の当たりにする日々が続いている
私はというと、1日の大半は死んでいる
あとの半分は周囲の支えによって生かされている
自分ひとりでは数ある事象の1%未満のことしかできない
こういうとき、最悪な状況を想定し続けるのは精神衛生上、非常に良くないことではあるのだが、つい「失業」だの「補償」だの「給付金」だの「生活保護」だのという言葉が脳裏によぎってしまう
今後次第では自分もそうなってしまう可能性がゼロではない以上、考えずにはいられない
しかし、そんな中でも全ての国民は健康で文化的な生活を営む権利がある
少なくとも、今働いているのはそこに行き着くための自己犠牲と割り切る方も多いことと思う
私の場合、ひとつのミスで四肢を欠損したり半身不随になったり一目散にあの世行きになるような、また相手にそうさせてしまうリスクも孕んでいるような際どいところで生きている
が、マーフィーの法則よろしくネガティブなことを考え続けるといずれは失敗する余地が生まれ、最終的に本当に一大事になる恐れは充分ある
そうなっては身も蓋もないので、ここは少しぐらい、ポジティブかつ楽天的、身勝手な要素を含ませてみるのも悪くないのではないか、と
そこでふと頭に浮かんだのは、もし生活保護を受けることになってしまった場合、少しでも前向きに豊かな人生を送るコツのようなものを勝手に妄想してみた
まず私は、原付バイクが好きだ
もはや原付バイクなしでは生きていけないような迷惑な人間になってしまっている
改造やボアアップはしていないが、純正マフラーでもある程度はうるさいので、特に夜間の住宅街などでは申し訳ないと思いながら怒鳴られる覚悟でビビりながら常に今日を最後に自ら死ぬ覚悟で周囲への配慮のもと日々安全運転で走らせていただいている(?)
そんな手前、真っ先に頭に浮かんだのは「失業者でもバイクに乗れるのか?」という疑問
その疑問は「生活保護でもバイクに乗れるのか」という部分へも間接的につながっていくと思う
もはや誰もが何が起きても不思議ではない世界線で生きている
ふと気になったので調べてみた
結論から申し上げると、重度の障害を持っていない限りは条件付きで購入も所有も可能のようだ(※但し、一般的な四輪車はトラブルが起きた場合に諸問題が大変なことになるので保有できないよう)
僻地にお住まいの方には結構な朗報かもしれない
人によってはコロナ禍でスーパーやコンビニ、ホームセンターなどの商業施設が次々と閉店してしまい、徒歩10分以上もかけて買い出しに行かなければいけない人も多くいるだろうし、車がダメならバイクは多くの人の生活を支える必需品ともなり得るケースも出てくることだろう
ただ、これも本当に最後の最後、二進も三進も行かなくなったときの本当に最後のセーフティーネットだ
今の自分は、そこに甘んじてはいけないという気持ちは少しぐらいは持ち合わせている(※あくまで個人の感想です)
そこそこ悠々自適な生活は、まだもう少し先のお話だろう
それを得るためにはもう少し自己犠牲が付き纏うかもしれない
不思議なもので、数多くの人が働きたくないという気持ちとは裏腹に、働きたいという気持ちを持ち合わせている
働くことで得られるメリットもあれば、働かないことで得られる恩恵もある
自ら運転できないなら、人に乗せてもらうことだってできる
それを考えると、多くの正解が見えてはこないだろうか
それぞれ違う、全く新しい世界が見えてくるはずだ
バイクからだからこそ、見えてくる情景があるはずだ
P.S.無免許運転、ダメ、ゼッタイ