次のコミュニティが始まる言葉は何か??
さてさて、お盆の今週はいかがお過ごしでしたか??
僕は自粛規制で秋田には帰らずに静かなお盆を鎌倉で過ごしていました。
それにしても連日の酷暑、、、本当に暑い。日本はいつからこんな毎年亜熱帯になってしまったんでしょうか??
梅雨もしんどいですが、暑すぎるのも本当に考えものですね、、、
このお盆はいろんなことを考えていました。
とはいえ、だいたい考えているのは仕事のことです、、、
そして僕が考えるのはだいたい『コミュニティ』という厄介な言葉。
12年前に山崎亮さんの「コミュニティデザイン 」に触れ、それをどこか気にしながら、今はコミュニティビルダーという仕事しています。運命というのは奇妙なものです。
山崎亮さんと出会ってからヴルター・グロピウスという人物についても昔調べました。
ヴルター・グロピウスと言えば、有名なのは「バウハウス」
彼が言っていたのは、生活の入れ物のデザインをハード整備によってコミュニティを創り出すと云う発想。
「建築することの最終目的は人間関係の確立だ」
これについてはまた別の機会で触れようと思います。
山崎亮さんが、自身の著書『コミュニティデザイン』についてのインタビュー記事がnoteにありました。
『コミュニティデザイン』を語る【前編】出版のきっかけ~忽那さんのこと
https://note.mu/gakugei_pub/n/n2569065b9356
『コミュニティデザイン』を語る【後編】studio-Lと東日本大震災のことhttps://note.com/gakugei_pub/n/nfe2e10e6a75a
このインタビューの中で 山崎亮さん言っている印象的なこと。
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もともとコミュニティという言葉は、地縁型のコミュニティを意味することが多かったので、地域の自治会単位をどうするかというイメージが出てきてしまい、「それは(僕らも)やってみたけど、なかなかうまく行かないものなんだよ」という話で終わってしまう。
一方で、若い人たちに「デザイン」というと、装飾的なイメージを持たれて、モノをつくらないデザインが一体何を意味するのかわからない、という状態になるのです。
しかし興味はあるらしい。ハードからソフトへ、デザインからマネジメントへなど、いろいろな掛け声があがるなかで、モノをデザインしなくても状況は変えられるんじゃないか、と思っている若い人たちが多いような気がします。
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確かに近年いわゆるこの「ソフト」に注目が集まるようになってきている。
モノがなくてもデザインで解決するようなケースも出てきたり、最近のコミュニティマネージャーの増加もこのあたりの影響も感じます。それ以外にも、まちづくりの文脈でイベントや講座などたくさん開かれています。
実際に僕もその数多のものをお手伝いさせて頂き、今はその大きな流れの中にいることを感じます。「はじまりを、はじめる。」でたくさんのことを主にイベントなどを通して伝えてきています。
ただ、少しばかり僕は”はじまり”が始まっていないように感じています。
そこにはどんな言葉や概念があるとはじまるのか??
安直に「コミュニティを作りたい」という言葉でないことは確かです。
そんなことをぐるぐると考えた2020年のお盆でした。
問い問い問い、、、
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