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自分がくだらない奴におもえるとき

えっ?自分がくだらない奴に…ですって?

あんた、自分がくだらない奴ではないと思ってたの?
って真顔で改めて突っ込まれると苦しいけど、
でも、人間って、くだらない奴にならないように日々頑張ってるんじゃないのかな?

そうなのかもしれないけど、それでも自分がくだらない奴に思えるときというのは、よく考えるといっぱいあるだろう。

最近はほとんどテレビを見なくなっている。
テレビも自分がくだらない奴に思えるきっかけになることもある。
たとえば野球選手の大谷とかがでてくると(べつに大谷でなくてもいいのだが)やはり、たまに自分がひどくくだらない奴に思えることがある。
もちろんテレビ番組自体がひどくくだらなく思えることもある。
昔は、自分もCS放送とかで野球中継を1回の表から9回の裏までフルで追っかけてたこともあった。しかし仕事の関係でナイター中継につき合うのが難しくなり、また齢とともに勝負事の酷薄に耐えるのがつらくなり、すっかり野球とかは見なくなった。

ずいぶん昔のはなしだが、自分の住んでる神奈川にスポーツに関係したことで福が集中したことがあった。松坂大輔擁する横浜高校が甲子園で春夏連覇した。横浜ベイスターズが37年振りに日本一になった。神奈川大学が箱根駅伝で総合優勝した。関東学院大学がラグビーで優勝した。スポーツに関する福の多くを偶然だろうが神奈川勢がかっさらっていった。1998年ことだ。
その年の前まで、僕は実は重い引きこもりだったのだが、多少の影響をそれらから受けたのか受けないのか、ダンベル体操を部屋で始めたりしてその年を境に外へでていくようになった。

ショッキングなことが起こると、それも何か自分がくだらない奴に思えるきっかけになったりする。
これも偶然かもしれないが、ここ数年の世間を騒がす刑事事件は神奈川で起きてることが多い。
東京に次ぐ2番目の大都市だし(人口みたいなはなしだと、知らなかったんですけど大阪を抜いてるらしいんです)都心部なんて4分の1はスラムっぽい部分もなくはないし、都心部のほうがストレスも多く孤独を抱えてひとり空回りしてる人もそれだけ多いのかもしれないから、限界をこえて破裂してしまう人は都心部のほうが出やすいのかもしれない。

今回のことは、年齢も自分とふたつしか違わないし、なにか自分とは完全に無縁とは言い切れない何かを感じた。
秋葉原のときも、容疑者がブログで「10年後も6畳一間暮らしか」みたく書いてたらしいが、当時130万しか年収がなかった自分は、完全に他人事とは何故か思えなかったのだ。自分もネジみたいのがふたつみっつ違ってれば絶対にそうなってない自信はあまりなかった。
朝の7時に包丁数本バッグにしのばせて家を出る人の気持ちはどんなだろう。僕も朝起きるとひどくつらいときがあるが、そんなことを決行するところまではかろうじて追い詰められてないようだ。僕がそのひとのそばにいたってその人の凶行を思いとどまらせるには足りなかったろう。
自分はくだらないやつではないのか?

震災のときもやっぱりショックだった。
次の日から、救援物資を現地に送ったり、救護のために現地へのりこんでいる素晴らしいひとたちをしり目に、僕は呆然としていた。
その年、すっかり打ちひしがれた弱いわたしはミュージシャンという夢を諦めた。
30代は夢を支えに頑張ればそんなには苦しくなかった。
生計を立てるために仕方なくやってた仕事も、将来ミュージシャンになるんだ、と思えば乗り切れた。
そんなわたしも震災のときには厄年を迎えていた。
いきものがかりになれるはずはなかった。
40代に入り、会社の中で自分のくだらなさに直面する機会は激増した。
それでも僕たちはみな闘っていると勝手に思っていたが、今回わずか自分よりふたつ年上のひとが決定的な脱落をしてしまった。
「個人責任」「死ぬならひとりで」…どうやらそんな感じの反応が主流のようだ。
ぼくたちの大半は自分が下らない人間ではないように見せようと日々頑張っているが、そしてそれはいけないことではないのかもしれないが、ぼくはひどくショックなことがあると自分がくだらないやつに思えてくる。
いや、いまは派遣バイトなんかやってて稼ぎもない分際で、自分がくだらないやつではないと思おうとすればそれは簡単なことじゃない。

バイトに行くとき通る道で、地震に備えて下水管を補強する道路工事をする旨が書かれた立て札を見てすこし不安になった。そうだ、南海トラフがどうのと専門家が言っている。そんなに遠くない将来に、また、人間の無力さを実感するなにかが控えてるのかと思うと気持ちが萎れてくる。

「僕はくだらないやつだよ!君もじつはくだらないやつなんじゃないか?」
……このセリフは嘘八百だろうか……
ぼくたちは明日も頑張るに決まっているのだから…

いやでも人が頑張るのは、もしかすると自分がくだらないやつだという自覚がこころのどこかにあるからじゃないのか。
ぼくたちはくだらないままじゃいけないのだろうか。
とかいいつつ、ぼくはバイトの帰りに電車のなかで語学の単語集をスマホで聞くのかもしれない。
頑張るのはいけなくないよ、誰かが頑張んなきゃ社会は持たないし、君だって食いっぱぐれるだろう?
多くのひとはそう言うかもしれない。
でも、ぼくの気持ちはふたつに割れる。
ぼくたちはくだらないままじゃいけないのだろうか。
こころのどこかからそんな声もきこえてくる。

仕事が終わって休憩室にいくと、テレビがショッキングな事件を伝えていた。窓の外には何かを洗い流すかのように雨が降っているのが見える。


(補足 2020年1月18日付)
改めて読んでみると説目不足で分かりにくい箇所があるので補足します。
今回のこととは2019年5月28日に川崎で起きた殺傷事件を指します(51歳の男性が朝スクールバスを待つ児童を殺傷し、そのあと本人が自殺してしまった事件)
わたしは神奈川に住んでいて、事件後自殺した加害者と歳がふたつしか離れていないこともあって、自殺した加害者と自分はそんなに遠くはない類似の境遇のように感じられショックを受け、そのニュースを職場の社員食堂のテレビで知ってそのまま寝ないでこの記事を書いて朝投稿しました。
そのニュースをテレビで知って、ほぼ感じたままをそのまま備忘録的に記事にしました。
自分も下らない奴ではないのか、というのは自分だって下らない奴じゃないのかということです。
実際はもっと複雑に考えたような気がしますが、概ね書いた通りだと思います。

(あとがき)
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