働くのはイヤはおかしいか
働くのがイヤという意見をよく聞きます
僕は、いまアラフィフなんですけど
高校生のころ(80年代)アルバイトやってました。
モノの時代だったんで、欲しいモノが沢山ありました。
親のくれるこづかいでは到底足りません。
最初の職場は、拒絶反応がおこって(ブラックだったわけではなく、一緒に応募した友だちとフロアー(階)を分けられたので)3日で辞めてしまい
次のガソリンスタンドも3日で、次はコンビニを2週間で辞めて
4つめの職場でようやく落ち着きました(1年やりました)
すごい親切な先輩がいろいろ教えてくれて、あっという間に仕事は楽しくなりました。
学校なんか、男子校で
古典の「おはします」だの数学の「ロガリズム」だのわけのわかんない世界よりバイトのほうが全然楽しかったです。
男子校の自分に好きな女の子もできました(つきあいませんでしたが)
親のくれるこずかいの比ではない収入になりましたし
モチベーションも上がります。
夏休みとかは、8h+3hで、1日計11時間働きましたが、全然疲れません。
バブル好況おそるべしという感じです。
90年代に入ると、みんな疲れ始めてきました。
景気は悪化し、リゲインだのユンケルだの精力剤を駅のホームで飲んで、無理やり奮起する必要がでてきたのです。
いくら踏み車を回しても、大した結果がでないため、この時期はムリする必要があり
「徹マン」神話は、90年代に一番多かったのではないでしょうか
僕は、90年代は、ほぼほぼ引きこもりだったのですが
90年代のおわりごろ、どっかではなしましたが
ケンウッドというメーカーのステレオコンポが欲しくなりました
ヤマ〇キパンというメーカーの工場で、所定の金額が貯まるまでバイトしました。
で、そこの工場、結構いまネットで悪くいわれてるみたいですけど
いかされる部署によっては、適当にキツイとも言えますが
欲しいモノがあると、人間頑張れるもんです。
何がいいたいのかっていうと、
働くのは、好条件が重なれば楽しいです。
働くのがイヤだっていうのは、「動機」がないか不足していて
悪い条件(親がかなりの財産があるとか、コミュ障だとか)が重なってるのではないかと
で、本来的には、生物は、働きアリとかハチの一部を除けば、獲物を獲るだとか最小限のことをやって、あとは寝っ転がってることが多いです。
人間は、たとえば「美女」のために頑張ったり、ピラミッドや金閣寺を立てたり余計なことを沢山やるので、働かなければもたない「種」なのでしょう。
しかし、何か、たまたま悪条件が重なると、他の生物みたいに、余計なことはやらなくなって、自閉と無為に傾くんです。
ただ、この自閉と無為は、あまりに長期にわたりますと、本人も精神衛生上よくないことが多いでしょう。
仕事って、でも、そんなにずっと楽しい?
いや、規模の大きい職場は、人間の流動も激しいので
たとえば、仲のいい人が3人辞めてしまっただけで、すごく張りがなくなるかもしれません。
いずれにせよ、ずっと楽しいことはありません。
ただ、大なり小なり、仕事で不条理に見舞われても
男性の場合、早い段階で妻子を持ってるほうが、不条理に対して、一般に忍耐が利くことが多いし
転機が訪れても、じゃあ、すべてを放り投げて、ヨーロッパをひとり放浪するみたいな冒険に出る可能性は少なく、安定度は高いでしょう。
だから、同じレベルの不条理に見舞われても、妻子持ちのほうが(一般にですけど)踏ん張れると思うんです。
だから、「働く」ことに関することは、それがどれだけ「イヤ」かは、働く方の立場を優先すれば、「動機」の有無や、様々な条件によってかわってくると思います。
社会は、もちろん、単純に、インフラの維持のためだけにでも、人に働いてもらう必要があります(水道とかガスとか電気とか)
ただ、悪い条件が重なると
たとえば、戦争中は、社会は、国民を「赤紙」で招集して、戦地に赴かせましたが、半分くらいの人は逃げたくてたまらなかったのです。
僕の経験でいえば、「働く」ことは好条件が重なれば、むしろ楽しいこともあります。
ただ、ズーっと楽しいということはほぼありえませんから、つらくなったとき、あるいは、逃げたくなった時、どんなフォローがあるか、または、どんな目標があるかでしょうね。
組織人は「イエスサー」で食いっぱぐれないからラクだよね……
これも、ひとによりけりで
男子だと、45をすぎれば、朝から晩まで「イエスサー」で通すのは、気の遠くなるはなしにも思えます。
個人的には、40過ぎて係長以下の妻子なしでしたら、組織で踏ん張り続けるのもキツイだろうという気がします
だから、好条件に恵まれれば、働くのはむしろ楽しいですから(ズーっとではなかったとしても)
働くのがイヤっていうのは、その人がおかしいというより、悪条件が重なってるだけかもしれません。
ローリングストーンズという老舗ロックバンドのギタリストのキースリチャーズが
「ステージの5分前とかは、クソみたいな気持ちになってるけど、お客さんの顔を見た途端すべてが変わる」と言ってましたが
好きなことをやって生きてるかのような彼らでも、ステージの5分前は、ひどい気分になってるということです。
いまは、就活の時点でジレンマが多すぎて、就労する前にイヤになってしまってますね。
情報も多すぎて、それを知るのは、経験してからでも遅くはないということを、事前に聞きすぎてしまいますね
働くのが「イヤ」はおかしいか?
悪条件が重なったということじゃないですかね……
いや、それは、パワハラ野郎やセクハラ野郎を駆除すればみたいなはなしでは必ずしもなくて
っていうか、会社自体に責任を集中させすぎてるというか……
たとえば、20年くらい前なら
「近くにアニメイトがある」っていうだけで、週4日ある職場に通える人もいたかもしれないですよね。
それをいまは、「こういう会社は人が離れる」とか、会社とか特定のパワハラファクターに因を集中させすぎてる気もする
たしかに、特定のパワハラ野郎がすべての諸悪の根源の場合もないとはいえないけど
だから、好況時を、発展的な良い偶然が重なりやすい時期だとすれば
不況期は、ある主体を、閉塞に追い込む偶然が重なりやすい時期かもしれない
だから、そいつがおかしいというより、何らかの悪条件が重なったということでしょう。
以上、「働くのがイヤはおかしいか」でした。
御一読どうもでした。