【読書】『「ネコひねり問題」を超一流の科学者たちが全力で考えてみた』
私は文系人間で、もちろん文系学問が好きで得意だからなのだけれども、文系を言い訳に理系の学問が苦手ですという宣言を刷り込んでいる。文系学問にはたいへん申し訳ない。でも、数学も化学も物理学も苦手というより、目にすると秒で意識が遠のいてしまうんや…。
けれど、読解力や歴史への興味、人物への好奇心から、ある程度の書物であれば読むことぐらいはできるようになった(理解しているかどうかは怪しい)。
「それは、何を解明しようとして、どんな人が、どのようにいつの時代に取り組んだのか」は、知りたい。
猫下僕としては、ネコが関わってくるのなら尚更である。だから、本書は苦手であっても読みたい本で、ようやく読了。
猫は、偉大だ。著者のグレゴリー・J・グバーの言葉を借りるなら、「正直言って、猫はちょっとおかしい」。
まだ答えは出てないっぽいにゃ🐾
本書は500ページ近いボリュームの科学史で、そりゃ猫が関わってなかったら私は読み通せなかったかもしれない。けれど「ネコひねり問題(Falling Felines & Fundamental Physics)」は、近代科学において150年、多様な分野をまたいで研究者を虜にしてきた(猫下僕としてではない)。
物理学は私が条件反射で気が遠くなる分野だけれども、猫だから読む。読んだ。おもしろかった! でも地球の自転が関係してくるとか、相対性理論がとか、幾何学的位相とか、光学とか、やっぱり量子もとか、猫が問いかける(蹂躙する?)分野の多さには驚いたし、理解はできなくてもそれらの科学が身近である(可能性)がわかる。
科学を考えるとき、あるいは科学と私たちの関わりを考えるときに重要な示唆をも猫は示してくれる。第11章「いまだ残る数々の難題」では、シンプルな疑問から難題と化した「ムベンパ効果」をあげているが、解明されないとか証明されない以前に、いろいろありすぎて「わからん!!」となるものは少なくない。著者は
と述べている。これは物理学のみならず「真の原因や要因」や「一つの理論」といった、「たった一つの答え」を求めるところ、わからないものをわかりたい、見えないものを見たい、納得できる説明をしたいという、研究者に必須の欲望だ。私たち(非その分野の研究者)にもある。善と悪とか、真実と嘘とか、そういうもの。私たちの生活の中ではどちらかに分かつことなく、行ったり来たり、揺れ動いたり、あるいはそのはざまにいることもできる(時には勧められますよね)が、科学者は同時代の誰かと競争したり、先人に敬意を払ったりしながらやっぱりわかりたくて、取り組むわけだ。
ユーモアは大切にゃ🐾
猫を研究対象にするというだけでも、ユーモアがありそうに見えるが、それは非常に真剣なことなので誤解してはいけない。でも、真摯な科学研究や論文にユーモアが挟まれているのは本当におもしろい。そんな事例が本書にはいくつか紹介されている。高度なユーモアでもあるし、猫だからこそ使えた/許されたものもありそう。猫下僕は世界中にいるからね🐾
猫と人の腎臓疾患等に関わるタンパク質AIMの研究を行う宮崎徹氏は、著書『猫が30歳まで生きる日』の中で
どの分野、業界でもそうだろうけれども、ユーモアのセンスは重要なんだな~と思う。TPOあってこそだとは思うけれど、どこかで(随所で?)ふっと力を抜けるような、ぐるんとでんぐり返りをするような効果が笑いやユーモアにはあって、至極まじめな学術研究にはかえって必須なのかもしれない。「猫、論文の著者になる」(p438)は最高でした!
「毛むくじゃらの」はどうなのかにゃ🐾
和訳もなめらかで、愛がこもった読みやすいものだった。あらゆるジャンルの翻訳本に言えることだと思うけれど、訳された日本語が読みたくなるようなものかどうかは、とってもとっても重要だ。おそらく本書は一般向けなので、もとの英語もわかりやすく書いてあるだろうけれど、にしても読みやすかった。
ただ一点だけ、意見を申し上げたいのは猫を形容するときの「毛むくじゃらの」は、ちょっといただけないなと。個人的な感触かとは思うけれど、どうも「毛むくじゃら」に好意的な印象がなくて、それに続くのは蜘蛛とかトロールとか、ポール・スタンレーの胸とかいう感じがする。もとの英語はshaggyだろうと推測するんだけど、どうもhairyっぽく感じるのかも。ぜひ、ここは「もふもふの」としていただきたい。
誰にオススメの本なのか、よくわからんのだけれども、まじめに言えば文系や理系を意識し始める中学生や高校生が読むのがまっとうな気がする。
まっとうでない想定読者は、もちろん猫下僕や猫好きな皆さんですね。
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