【本】読ませる文章は難しいテーマでも読まされちゃう(ってこと、ないですか?)
とっても難しい専門的なトピック(ライフサイエンス分野)についてインタビューするために、入門と銘打たれた本を2冊ばかり読んだ。1冊は専門書の出版社から出ているわりと短いもの、もう一つは超有名な新書シリーズのもの。出版年は10年ほど違うので、その間に研究分野が発展したなどの差は出てくるが、なんせもう「読めるか、読めないか」が断然、違った。マジでわかりそうでわからない専門分野なもので、私の目はできるだけ逃げたい! とウロウロしていたもので、余計に強く感じた。
基本的な情報や、トピックに上がる有名な例などは同じ。ページ数は新書の方が倍くらいあるので、懇切丁寧に説明することが可能と言えば可能になっていると思う。でも、それだけではなくて圧倒的に読みやすくて、おもしろかった。「ちゃんと理解できたのか」と言われたら覚束ないけれど、ぐいぐい読めた。
読み終わってから、この2冊はなぜこんなに違うのだろう? と考えてみたけれど、新書の方は「読みやすい」よりも「読ませる」文章だったからだと思う。ちょっとしたジョーク、日常に根ざしたユーモア、著者個人の感想や経験のエピソードがちょいちょい挟まれていて、「あ、わかるかも」と思わされる。例をあげて説明する時、さらにかみ砕いた説明が加えられる。それが、なんだかおもしろそうに感じられる文章になっている…ええい、うまく言えないけれど「読み物としておもしろい」んだわ。
文系理系問わず、論文そのものは無理かもしれないけれど、研究テーマをめちゃくちゃ読ませる方々は結構おられて、それが「文章力」とか「構成力」なのか、テーマ設定なのか、はたまたどっちも合わせてなのかもしれないけれど、なんせ「読ませる」。主客を入れ換えれば「読ませようとしている」。
「ねえねえ、こんなおもしろいことがあったんですよ! 聞いて聞いて!!」
と、行間からほとばしり出ているような感じ。
(楽しい話題ではなかったとしても)
読み人としては、こういう行間のリズムやメロディを楽しめることは本当に幸せで、読後は満たされまくる。
書き人としては、ああこんな風に書きたい、ほとばしらせたい…! とギリギリする(汗)。自分の文章がカッチカチで読みにくいなあと落ち込んだり、こんなおもしろい話題をおもしろく書けないなんてと絶望するけれど、ひらりと読み人に立場を変えると、「読まされて嬉しいッ!」と変態じみた歓びに踊っている。
ひとつだけ、私が学術的、専門的な本が読みにくくなる具体的な原因だと感じるのは、図版の入る位置。これは著者のせいではないだろうし、様々な都合があるとは承知の上なのだけれど、「図1に示したように」の図1が違うページにあるやつは読みにくく感じちゃう。数ページ前後していたり、他の図とまとめてどーんとかなっていると、どれがどれやらよくわからなくなるし…。先の2冊の本では、1冊目の方は該当する文章と同じ見開きに図が入っているのは、ほんのわずかだった。
なるべく、なるべくでいいので、同じ見開きに入れていただきたい…。
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