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優しく易しい医療情報は、どうやってつくる?届ける?② ヤンデル先生編にて

ヤンデル先生のトークでもっともガツンときたのが

SNS時代の情報発信は瞬間的・刹那的であり、蓄積ができない。有用な情報を博物館のように整理し蓄積をする必要がある。そのために情報を編集・まとめ・分類・わかりやすく翻訳する機能が必要となる。

「知」の発信、蓄積、分類、収集、整理…

この話を聞きながら、私は大学でイギリス文化史を学んでいた時に聞いた「ひたすら収集せよ、ひたすら分類せよ」という博物学のことを思い出した。博物学は自然科学の収集と分類する学問で、科学の礎と言ってもいい。それが博物館になり図書館になり、「知の集積」がなされていく。そこに手軽にアクセスする手段が昭和初期に平凡社から刊行された「家庭向け百科事典」であった。その手段が紙媒体からテレビへ、そしてインターネットへと変わってきたわけだ。テレビは記録されたものをアーカイブすることができるし、インターネットでは有料であれ無料であれ、ある程度は集積サイトがある。SNS時代の今、集積の手段がないわけではないが、情報は流れて去っていくのが当たり前だ。無料提供であれば蓄積の義務もないだろう。

「知」の発信、蓄積、分類、収集、整理…あらゆる学術分野で必要なことで、おろそかになり始めている。乱暴に言えば効率化はできないし、確たる成果も約束されない。けれども、いずれ「命」に直結する。

情報における無料と有料の悩ましさ

話は逸れるが、新聞や雑誌記事は基本的にウェブでも有料である。しかし、ウェブ版(電子版)が始まった頃にすべてを無料公開した新聞社があったことから(特に名を秘す)、いよいよ情報の価格は無いものとなっていった印象がある。私は2014年から4年間、業界専門紙の電子版部門に勤めていたけれど、「なんでこの記事しか読めないのか」「続きが見られない」「先週出ていた記事が読めなくなっている」というクレームにどれだけ対応しただろう。自分のところだけでなく、SNSでも「10年前の記事が無くなっている。検索してもアーカイブされている。隠ぺいだ!」という発言をどれだけ見ただろう。もはや情報は無料が当たり前で、読めない情報は「無い」ものとなったのだ。最近になって有料化された個人のブログやサロン増え、このnoteでも有料対応していているから、本気で読みたい人が読んでねというスタンスに対応できているのは大きな転換だと思っている。炎上対策もあるが、発信者の利益も(お金だけでなく)守られるようになってきた。ただ、もはや情報は生活インフラになっているから、絶対に必要な情報は無料でアクセスしやすくあるべきだろう。

メディアは巫女だけどわかりやすくしてこそ媒介

ヤンデル先生の「情報を編集・まとめ・分類・わかりやすく翻訳する機能」とは、おもに媒介であるメディアが担ってきたし、これからもそうあるべきだと思う。医療情報は命に関わる情報インフラである。わかりやすく、入手しやすく、安全に(誤解せずに)手に入れられなければならない。そして、情報インフラの大部分を新聞やテレビなどマスメディアが担う…はずなのだ。いくらわかりやすく届けたくとも不正確になっては、いけない。そもそも書き手にじゅうぶんな知識がないことも多い。水野記者もそう発言した。

水野梓さん
医療担当となった時、知識も時間も無くて緊張感がすごかった。社内の先輩から引き継ぎなどあっても、及ばない。不正確なことは書けないが、わかりやすくすると正しさが失われるジレンマ。目を引くタイトルも付けづらい。

新聞も出版社も、おそらくテレビも会社組織だから、異動がある。昔はある程度で来ていたと思うが、現在は効率のよさからマルチプレイヤーが求められ、ある分野に特化したエキスパートを養成する余裕はない。水野記者の苦悩は、すごくわかる。特に新聞はスピードも求められる。じっくり勉強して理解し、記事を練り上げている時間はないことがほとんどだ。しかし、責任あるマスメディアだからこそ信頼を失うと、自社だけでなくあらゆるメディアに波及してしまう。「だからメディアは信用できない」となるし、最悪の場合は誰かの命に関わってしまう。剣より強いペンが凶器になる。

中立公正な専門の情報チェック機関はどう?

私は、図書館司書のように疑問に答えてくれる、あるいは最短でチェックをしてくれる窓口があれば…と思う。自分がじっくり記事を書く時は、調べる時間もあるし、著者やインタビュイーに質問することができる。プレスリリースから何か書く時でも、「問い合わせ」に指定された所に聞けばいい。でも、他の面から見たい時、1つのソースで不安な時に公平なチェックをしてくれるところがあればありがたいし、正確さをアップできる。平易には書きたいが、不正確では困るところのアドバイスがほしい。

このイベント後に長いこと悩んでいたテーマの取材を、思い切って国立がん研究センターに依頼してみた。一般向けがん情報の牙城である。いちフリーライターの依頼など受けてもらえるかドキドキしながら、ここで自分こそが「正確な情報源」に接しないでどうする、イベントには国がんのえらい方が来ているとヤンデル先生も言っていたのだから! と勇気を振り絞って申し込んだら、ありがたいことにOKをいただけた。ただ、取材ルールの中にこの一文があった。

以下のご依頼はお断りする場合があります。
● 番組や出版物の内容に関する監修や批評、間違いないかなどの確認

うむ。そう、そうなんだけれども。実は、「間違いないかなどの確認」こそがメディア(媒介者)に必要なことなのではないだろうか。もちろん、がん研に負わせることはできないけれど、正確で公平なチェックをしてくれる医療専門家の団体や機関があれば。ここでメディアと医療界と行政が組むことができれば、かなりの問題解決になるような気がする。メディアに義務付けはしないが、この機関でチェックをしてお墨付きを与えること、それがブランド力にもなり、正しい情報発信ができることが誤情報から市民を守ることになる。チェックに従事するのは医療者で、当然インセンティブは発生する。緊急にチェックしてもらいたい記事などは特急料金を設定するといいかもしれない。

○○監修、協力など、研究者や専門家にもたれかかって負担をかけていることも多いし、公正さが疑われることもある。適正な供給がないと、やはり容易なところにアクセスしてしまうものだ。しかし、チェック機能の専門機関として存在すれば可能ではないだろうか。従事する専門家の働き方も柔軟に配慮すれば、前線にいる人たち以外(地方勤務や休業中、研究職など)も収入を得て活躍することができそうだ。

ほむほむ先生は「出典の明記が正しい情報へのゲートの一つとなる」と述べたが、出典明記の重要性を理解している人は、発信者にも受信者にも少ない。ある程度の研究や論文に取り組んだことがあれば、当然のことだけれども…紙幅の都合も考えて、それに匹敵する「チェックしました」印が入れられれば…どうだろう。JIS規格とか映倫みたいに。

「知」の発信、蓄積、分類、収集、整理…あらゆる学術分野で必要なことなのに、あらゆる分野でおろそかになり始めている。乱暴に言えば効率化はできないし、確たる成果も約束されない。けれども、いずれ「命」に直結する。 
(続きます)


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