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日日自炊自足【6月5日の夕食 と 心の住人オーディション】

夫なし。子は独立。
自炊の習慣で自分の必要をみたす、50代ひとり暮らし。
アレルギー対策に 油をやめ(家にある油はラー油のみ)、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖をなるべく減らした(い)食生活。

「家族のためのご飯」を卒業した献立の記録 と 自分を観察する日記。

残りの
・鶏もも肉 にんじん 玉ねぎ の煮物(味付:砂糖 醤油 みりん)
ana
・枝豆(味付:塩)
・そうめん(味付:めんつゆ しそ 茗荷)

昨日書いた「誤作動と自作自演」

今通っている整体院をやめてどうすんだ?
脳の誤作動を自力でどうにかする術があるのか?
ってことなんですけどね。

ノープランです。



昨日のnoteの最後に今読んでいる本を掲載したことで、あやしみ満載だったと思うのですが。
悟りか?お祓いか?祈禱か?引き寄せなのか!?
と思われたみなさま、ご心配をおかけしておりますか?いやでもそーゆーこっちゃない。の、です。(ほんとにたまたま読んでいた、だけです。)



で、考えた結果(約2日)←ノープランじゃないじゃないか。


心にある俳優を住まわせることにした。←ノープランじゃないじゃないか。その2

いやでも
プラン = 計画
計画とは:物事を行うために、その方法・手順などを筋道を立てて企てること。また、その企ての内容。

そういうんじゃないから、の「ノープラン」
でもあえて名前を付けるならこれは「計画」ではなく


「実験」

心の住人の募集要項としましては
・喜怒哀楽をわかりやすく表現しない
・病める時も健やかなるときも、一定温度の一言で表現ができる
・何事にも動じない平常心


と、連日(うそ。ちょっとだけ。)心オーディションを開催した結果、とあるベテラン俳優さんに、わたしの心の鍵をお渡しすることにした。←我ながらちょっときもい。

その方とは



「中尾彬」さん。
中尾さんにお渡しした台本に書かかれているのは一言だけ。

あの喜怒哀楽のはっきりしない表情とトーンで(受け取り手に委ねられるのはベテランこその演技力!)、ねじねじか顎に触れながら


「きらきらだねぇ」


と言っていただく。


足に違和感があるとき、痛いと感じるとき
わたしの心の中の中尾彬が「きらきらだねぇ」と言う。

これまで「あぁ・・また痛い」だとか「今日もだめかぁ・・」と自然に出てきた言葉を喜怒哀楽のどれでもないトーンで「きらきらだねぇ」に置き換える。

痛みが脳の誤作動ということなら、まずはこの当たり前の流れを言葉から変えるてみる。と、いう、実験。


思考の中で「痛」という言葉を使う時間は、実際に痛みを感じている時間よりも長い。
「痛みを感じているとき」は確かに痛い。
でも
違和感程度の感覚であっても「あぁ・・違和感」とは思わず、簡単に「痛い」という言葉を使ってしまう。
それに
「昨日もさっきも痛かった」と思っている時間は、実際には痛くはないはずだし「痛くなるかも」という未来の予想だって、実際には痛くはない。

まだ心の在住歴浅い中尾彬の「きらきただねぇ」は、早くもそのことを明確にしてくれた。

さすがだ、彬。



「きらきらだねぇ」のはずが、気づけば「ねじねじだねぇ」と言っている彬。(言わせてしまうわたし)
さすがだ。

しかし「ねじねじ」は捻じれや痛みを連想させるので、これが定着するなら彬の強制退去も考えざるを得ない。



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