国立には特別な思いがある/沢野ひとし
赤い三角屋根駅舎が有名な国鉄(当時)中央線国立駅に、はじめて降りたのは二十歳の頃であった。大学時代の同級生で、好きな女性が国立に住んでいた。今からすでに五十五年も前のことである。その頃の国立は、郊外のひっそりとした町であった。当時、彼女と週に一度は文通をしていた。きちんと文字を書く人なので、こちらも緊張して封筒の宛名を書いていた。
三角屋根駅舎まで自転車で来た彼女と、国立の町をよくデートしていた。一橋大学構内の庭や喫茶店のロージナ茶房で、何時間も取り留めのない話をしていた。
やがて結婚し、妻の実家から三十秒という近距離のアパートを借りた。毎日旭通りを歩き、国立駅から都内の児童書出版社に通勤していた。
休日になると増田書店、洋書の銀杏書房、古書の谷川書店に出かけては、山岳書や絵本を物色していた。また隣の国分寺の古書店に足を延ばし、バスで帰ってくるのも楽しみであった。
冬の夕暮れに、坂道の上から雪を被った奥多摩や富士山が、白く光って見えた。
その後子どもが生まれ、抽選で都営住宅が当たり、町田に引っ越しをした。小型の中古車を購入し、休日になると子どもを連れて、国立の両親の家に遊びに行っていた。真っすぐに延びる大学通りは、春は満開の桜、秋はイチョウの街路樹と抒情ある色彩を醸し出していた。
国立で知り合った友人も多く、よく酒を飲んでいた。都心に出た帰りか、町田から八王子に出て国立へのルートで、まるで日帰りの旅の気分である。国立の不良中年たちとは、居酒屋のきよ多、ライブハウスのはっぽん、ブランコ通りのバー・レッドトップとお決まりの店を巡回しては酔っぱらっていた。そんな友人のうち何人かは、すでに鬼籍(きせき)に入っている。
三角屋根は駅の立体化工事に伴い、一度撤去された。
南口駅前のロータリーから放射線状に延びた三本の通り沿いの道にはビルが立ち並び、一昔前の文教都市のイメージはしだいに薄れていった。
しばらくして義父・義母も亡くなり、誰も住まなくなって傷んだ実家は、今年中に解体され、更地にされることになった。
晩秋に、妻と私と娘が最後の片付けに行き、家の前で記念写真を撮ったが、みな寂しそうな表情をしていた。
二〇二〇年には思い出多い旧三角屋根駅舎が復元され、市民に喜ばれている。赤い三角屋根と、大学通りの桜やイチョウの樹々は、永遠に残していって欲しい。
私にとって国立は、もっとも思い出の多い町である。
イラストレーター・沢野ひとしさんが、これまでの人生を振り返り、今、もう一度訪れたい町に思いを馳せるイラスト&エッセイです。再訪したり、妄想したり、食べたり、書いたり、恋したりしながら、ほぼ隔週水曜日に更新していきます。
文・イラスト:沢野ひとし(さわの ひとし)/名古屋市生まれ。イラストレーター。児童出版社勤務を経て独立。「本の雑誌」創刊時より表紙・本文イラストを担当する。第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。著書に『山の時間』(白山書房)、『山の帰り道』『クロ日記』『北京食堂の夕暮れ』(本の雑誌社)、『人生のことはすべて山に学んだ』(海竜社)、『だんごむしのダディダンダン』(おのりえん/作・福音館書店)、『しいちゃん』(友部正人作・フェリシモ出版)、『中国銀河鉄道の旅』(本の雑誌社)、絵本「一郎君の写真 日章旗の持ち主をさがして」(木原育子/文・福音館書店)ほか多数。趣味は山とカントリー音楽と北京と部屋の片づけ。最新刊『ジジイの片づけ』(集英社)が好評発売中。電子書籍『食べたり、書いたり、恋したり。』(世界文化社)もぜひご覧ください。
Twitter:@sawanohitoshi