-努力は質と量どっち?「浪人を決めた君とその親御さんへ」-受験.EP1
こんにちは。多浪経験のあるDe:Lさんです。
受験お疲れ様でした。頑張りましたか?
今回は受験を終えて、浪人を決めた君とお父さんお母さんへこの記事を送ります。
本題に入る前に、私の受験の話をしましょう。
なお、私がどこを受けたかとか、レベルがどうこうという話はあえて避けます。聞きたい(というか言いたい)のはそこではないですよね。
1.現役時の合格だけ取りに行った受験
自称進学校あるある
”浪人は悪”
実際これには明確に反論できないんですよね。あくまで、理論的な反論はできないという意味です。
なんで、私は浪人を決めたか。
”納得しなかったから。”
それだけですね。実際そうですよね。多くの浪人を肯定する大人は”いい大学に行っとけ。いい会社に入れ。そのために少しでも高いところいけ。”とか”大学は人脈を作るところだからちょっとでもレベル高い人脈を作れ。”とかいいますよね。
でも、そんなこと言われても、まだ高校生の自分にはそんな将来のことはわかりませんよね。だから必然的に浪人の理由って”納得しなかったから。”
無論現役時の受験も、学校からは合格をとってくるよう無言のプレッシャーを浴びていたので、意図しない受験校選びをしたのをよく覚えています。(最近はそういう生徒の自主性を重んじないことはよくないこととされていますし、たぶん無いとは信じたいですが)
したがって、前期後期、おまけに中期私立まで、ほとんど合格は余裕であろう大学を選びました。(前期に関しては多少自分にしてはチャレンジな大学ではありましたが)
もちろん、余裕な大学を選んだわけですから、受かりました。前期は無念ながら落ちました。
さて、あなたがこんな受験を終えたら納得しますか?
しませんね?(圧迫)
納得のいく大学に行けなかった理由なんて山ほどあるんです。合理的に考えたら。
でも、なんか成功しなかった。だから納得できない。
浪人の理由なんてそんなもんです。
2.お金の話
まぁ浪人ってお金とは切っても切り離せない話ですよね。
自分は超田舎で育ったので、予備校や塾もなかったため、浪人しても宅浪したら、同じことを繰り返すだろうと思って地元をでて予備校に通おうと思っていました。
無論お金がかかります。
自分ももちろん親と話題になりました。そんなときに親に言われた言葉を思い出します。
本当に頭の下がる思いでした。自分は医学部志望ではなかったし、兄弟もいる、その上れっきとした理由なんかないのに、浪人なんかしてよかったのかと不安でしたが、快諾してくれてホッとしたのを覚えています。
すべての家庭がこんな風に快く対応してくれるとは思いません。実際予備校に通うとなると1年で50万以上かかります。宅浪の選択をすることもあるでしょう。
ですが、浪人すると決めたときに必ず親と”お金”の話をしてください。
宅浪しようが、予備校行こうが、高校生まではお金に対して無頓着な人も多かったでしょう。ですが、これを機会に、必ずお金の話をしましょう。とても大事なことです。
余分な話ではありますが、私は親は少し頑張ってでも親は子供の納得できない人生に助力すべきと考えています。
同級生はもう子供もいるような年齢になり、あのときもらった親からの言葉を少し嚙み砕けている自分を感じます。
その子の親である責任を金銭面においても精神面においても果たす。このことは義務ですらある。そう思います。
3.予備校の実態
いざ浪人を決めて実際、予備校へ通い始めました。
4月は無論ついこないだまで人生のどん底にいた人たちと一緒になって勉強するわけですから、とても高いモチベーションです。
おまけに、それまでまともな先生に会ったことのなかった私にとって、予備校の講師陣には驚いて腰を抜かしたのを覚えています。(ガチ)
予備校最初の一週間を終えた日の夜ご飯を食べながら、”こんなにわかりやすいのか、恐れ入った”と自分の低レベルを慮ったのはいい思い出ですw
休み時間も、寝る間も、ましてや食事の時間まで、鬼のように勉強します。4月の最終週にある模試もそれはそれはいい結果でした。(第一志望はA判定)
さて、問題は5月です。GWを明けた辺りから、予備校に来る人数が減り始めます。
5月となると、同級生は大学に馴染み、サークルにバイトと充実した日々を送っています。その様子を予備校生はSNSを通して見るわけです。
自分は出てきた高校が高校だったので、大学進学している人間が少なかったですから、あまりそんな様子を見ることはありませんでしたが。
とにかく、それを見た子たちの4月のモチベーションはどこかへ飛んでいきます。
ここはひとつの山場。
それから夏、秋、冬とどんどん人は減っていき、最終的に真剣に勉強し続けたのはほんの一握りできた。その年2000人いた同予備校生のほんの一部200人から300人ほどが最後までやり抜いて志望校へ合格していました。それ以外は現役時の大学、もしくはそれ以下に行くこともざらでした。
浪人という重い決断をして、親にお金を出してもらっても、最後まで勉強するのはほんの一握り。これは知っておいてください。そして自分はそうはなるまいと誓ってください。
これを聞くと思うと思うのですが、
ということなんですよね。
そもそもよく考えてほしいんですけど、大学受験てそれまでの高校三年間の総復習と思われがちですが、言ってみれば生まれてからの18年間の積み重ねを発揮する場なんですよね。
その18年でできた大きな差をたった1年2年で取り返せると思うほうが阿呆です。
よく”1年余分に勉強したんだから受かって当然!”みたいなこと言う親いますけど、”18年でできた大きな差を1年で取り返そうとしたんだから、もし受かったらスゲー”なんすよほんとはww
つまり、浪人はそんな甘い決断じゃないんです。その大きな差を埋めるために、とてつもない力が必要になるわけです。
4.努力は量か質か?
さて、やっと本題に移るわけですが、先に答えを言いましょう。
努力は質が重要です。
私が高校三年生のとき、先生に言われてよく覚えていることがあります。
これを聞いたときは正直納得しました。確かにと。
少し小話を挟むと、
私は文化部でありながら浪人したので、一見高校時代は真面目に勉強しなかった勢なのかな?と感じると思いますが、実際は違います(自称)。
自称進学校の大量の課題もしっかりとこなし、定期テストも早慶の指定校推薦を頂ける程度には高得点を取っていました。
実際部活も今日やるかどうか自分で選べるような部活でしたから、時間があったので、その分勉強してたし、テストで多少点が高いのは当然と言えば当然です。
当時の勉強時間は一日平均して概ね6時間ほど。これは学校の授業を除いてです。受験生でないならかなりやってたと思います。
しかし、受験となった途端に私は全く手と足がでなくなったのです。
そのまま納得のいく大学に受かることができず受験は終了。
ここで、努力の質と量問題を思い出すわけです。
実際浪人とはいえ、大学に籍をおいて予備校に通っていたので、仮面浪人みたいな状態ではあったのですが、
予備校に入ってからは、まず量がそもそも足らないと自己分析し、量を追い求めれば質がついてくると信じて、勉強しました。
勉強時間だけでいうと、16時間以上していました。これを寮にきた3/27日から二次試験の前々日である翌年2/22日まで継続しました。ガチです。模試や休みの日、ましてやセンターの日でも最低5時間目標10時間としてやっていました。
これで量が足らないと言われたら、もう反論はありませんw
さて、これで二次試験に挑んだわけですが、ものの見事に大敗しましたwもちろん早慶を始め、私立や滑り止め用に用意した某国立大学はなんとか受かりましたが、目指した第一志望には届きませんでした。
これでひとつの結論が導かれました。
つまり、ただがむしゃらに参考書を解き、答え合わせをして、間違いを正す。これを繰り返しても、前述の大きな差は埋まらなかったわけです。
ここで、”じゃぁ質を追い求めるとはどういうことか”と考えるわけです。
いろんな人に聞きました。受験における努力の質ってなんすか?って。
自分が出した答えは、
少し長いですが、こう結論づけたわけです。
これを念頭において、再出発しました。
一言でまとめるなら、物事の過程を重視しました。
解く過程、思考の過程、あらゆる過程に注目しました。
予備校の講師や、優秀な子たちに、”この問題を解きながら実況してください!”って頼んで、いろんな人に試しました。
実質的な勉強時間は昨年に比べて、3から5時間程度減った日もあったでしょう。ですが、成績はみるみる上がりました。
特に、夏からそういったことをしていたのですが、秋の模試ではなんと冠模試で自身初の冊子掲載を達成します。
その後も同様の勉強スタイルを継続し、見事合格。
得意だった数学においては9割越えを達成しました。
5.まとめ
この経験から、私は努力は量より質と考えるようにしています。
無論、量をおろそかにしてはなりませんが、その本質は質の側にあるということです。
まぁ、そもそも古来からお偉いさんたちが”量より質”という言葉を残しているくらいですから、実際そうなんでしょう。
まだ二次試験までありますし、まだ受験を終えていない人も、
”実況して作戦”おすすめですw
とにもかくにも、浪人とはあなたにとって、とても大きな壁になるでしょう。でもあきらめず、思考をやめず、その経験を一生の財産にしてください。
心より応援しています。
De:L