しずまれ意味のない争い
タイトルは今流れている、ゆらゆら帝国のひとりぼっちの人工衛星から。
自由気ままに書いていきます。
ときどき話の脈略が繋がってなかったりするけどごめんね。
今日は9月11日。
多くの人が悲しみにくれたり、思いを馳せたりしている日だけど、
俺はなんの知見も持ってない。
でもいいじゃないか。ネットの片隅で平和に思いを馳せるだけでも俺は意味があると思うよ、きっと。
今の若い子は失敗を恐れすぎているって何度か様々な媒体で見聞きしたけど、本当かい?
人が心の中に闇を抱えているのであれば多くは詮索しないよ。
若者に物申すぽこおじさんの最期の言葉は
「あまり気にすんなよ。」だったそうです。
なんで人って生きているんだろう、生きていくんだろう。
それに理由なんてないことはうっすらわかっているのに、時々考えてしまう。
なんでだろう?
願いがあるからなのかもしれない。希望が残っているからなのかもしれない。
世の中どんだけ腐ってても、「世の中こうであってほしい」っていう願いがある。
どんだけ人に打ちのめされても、人に希望を見いだす。
そんなポリコレ正義マンのぽこおじさんは最期まで何もせずに息を引き取ったそうです。
お花摘んだら続き書きます。
「生(せい)の実感だけは持っておこう。頭どんだけ狂っても。」
向井秀徳がそう歌っていた。
唐突だけど正直に言うと、悩んでる人の前ではどんな言葉をかけたらいいのかわからなくなる。
ただそこにいること、ただそこに存在していること。
それだけで相手のすべてを肯定している気持ちを、どうやって伝えたらいいのかわからない。
攻殻機動隊の世界のように、人の脳にアクセスできたらなあと思ったりする(でもイーロン・マスクがそれを実現させかけているらしく、やっぱり怖い)。
ディスコの通知来たからここで終わります。
一狩りしてきます。
ちなみに地雷ランサーぽこおじさんは「頭どんだけ狂っても生きていてください。」って言いながらバルファルクで三乙を決めたらしいぜ。