見出し画像

【ミステリー小説】腐心(6)

第1話は、こちらから。
前話は、こちらから。

<前話までのあらすじ>
住宅街のテラスハウスの空家で高齢男性の遺体が発見された。死後五日ほど経つとみられる遺体は、連日35度超えの猛暑日のなか腐っていない。死体が腐っていない状況について鑑識の浅田は、ヒ素の関与をほのめかす。被害者は次男夫婦と同居していた。検視の結果、死因は吐瀉物による窒息死。死亡推定日時は7月29日ないし30日。だが、行方不明者届の受理は7月31日。事件性が増したため失踪状況を次男夫婦から聴取することになった。香山は木本佳代子を取調室で、樋口は和也を相談室で聴取する。

<登場人物>
香山潤一‥‥‥‥H県警東野署刑事課巡査部長
樋口武史‥‥‥‥巡査・香山の部下
浅田‥‥‥‥‥‥鑑識係員
木本柳一郎‥‥‥被害者・遺体で発見
木本和也(57)‥‥被害者家族・柳一郎の次男
木本佳代子(52)‥被害者家族・和也の妻

「ここしか空いてる部屋がなくて、すみません」
 香山はへらっとした愛想笑いを頬に貼りつかせ、<二号室>とプレート表示されている部屋の扉を押す。佳代子はプレートに斜に目をやったが、表情は変わらない。中央と壁際にスチール机が二つだけ。無機質でがらんどうの箱部屋。窓辺に強い正午の陽が射していた。

「へえ、ここが取調室。ドラマと同じね。まあ、あいそのないスチール机」
 佳代子は机の上面をさっと手で払うと、窓と対面の壁に歩み寄り「これがマジックミラーね」と笑顔を向ける。から演技か、なのかわからないが、見学者気分ではしゃぐ佳代子の丸みを帯びた猫背を香山は追尾した。
 刑事になりたての頃は、この部屋に入るたびに「落としてやる」とナイフのような感情がぎらついた。だが、刑事としての日々が積もるにつれ、部屋の無機質さとは対極の諸々もろもろがべっとりとこびりついていることを思わずにはいられなくなった。罪は誰にでも巣食う。むろん俺にだって。ドラマで描かれる巨悪や残忍な殺人事件など、地方の所轄ではめったに起きない案件だ。ここに連行されて来る者は、根っからのワルもいるが、巷のどこにでもいそうなやつも多い。犯した罪は度しがたいが、きっかけが被害者側にあることも往々にしてある。ふつうの人々の「普通」を腐らせる悪意ほどやるせないものはない。
 小田嶋は隅のデスクでパソコンを起動させ、記録の準備を整える。香山が刑事の定位置に腰かけると、マジックミラーを撫でたり目を眇めたりして検分していた佳代子も向かいに座った。

「木本佳代子、五十二歳、住所は東野市若草町3丁目12-1で間違いありませんね」
 定型文の質問事項を二文字で素っ気なく肯定し、佳代子はまた室内に好奇の視線を揺らす。怯えるようすが微塵もないところをみると、ガイ者の死に関してやましいところがないのだろうか。だが、不審な点はいくつかある。
「柳一郎さんの行方不明時の状況をお伺いします。届けによると、失踪に気づかれたのが29日の午後7時で間違いないですか」
「7時に夕飯ができたと呼びにいって、部屋にいないことに気づきました」
「最後に柳一郎さんを見かけたのは?」
「4時頃かしら。いつも4時前くらいから義父ちちは昼寝を。その隙に買い物に出ることにしていて。眠っているのを確かめてから、ショッピングモール『ウエステ』のイオンやドラッグストアで買い物をして、帰宅したのは5時半過ぎでした」
「帰宅時間は確かですか?」
「6時のニュースがまだ始まってなかったから、それくらいじゃないかと」
「そのとき柳一郎さんは?」
「一階の自室に」
「昼寝からは起きていた?」
「たぶん。テレビの音がしてましたから」
「たぶん? 確認はしていない?」
「え……え」佳代子が言いよどんで浅く目を伏せる。
「なぜ?」
「なぜって……刑事さんは介護をしたこと、あります?」
 眉間に皺を寄せて香山を睨みつける。瞳には静かな苛立ちがみえた。
「いや、ないですね」
 香山が申し訳なさそうに返答すると、そうでしょうね、と苦笑し、わざとらしくため息を吐く。
「認知症の老人って、認知症に限りませんけど。年寄りって、とにかく何度も何度も同じ質問や話を繰り返すんですよ、うんざりするくらい。で、適当にあしらうと、とたんに怒りだす」
 よほど鬱憤が溜まっていたのか、佳代子は話し出すと止まらなくなった。香山は供述が長くなることを覚悟する。
「話を聞いてやればいいじゃないか、って他人は簡単に言いますけどね。夕飯のしたくもしないといけないんですよ。義父は毎日ぴったり午後7時に夕食をとります。それだけは時計みたいに精確で。7時に夕飯ができていないと、罵詈雑言の嵐です。作りかけの料理をひっくり返すわ、醤油瓶を投げつけるわ。刑事さんは若いからご存知ないかもしれませんけどね。昔、『巨人の星』っていうアニメがあって。あれに出てくる父親の卓袱台返しみたいな感じ。見かけだけは偉そうで。癇癪を撒き散らして、とてもじゃないけど押さえられません。それに、大声で喚かれたら、虐待してるって、ご近所から通報されちゃうんですよ。暴力を振るわれてるのは、私だっていうのに」
 垂れぎみの頬を紅潮させて訴える。この手の話はキリがない。佳代子が認知症の義父の世話に手を焼いていたことだけは間違いない。香山は話題を切り替える。
「5時半に帰宅されたときには、すでに柳一郎さんは失踪していた可能性もある?」
「玄関の鍵がかかってたから……てっきり家にいるものだと」
「鍵をかけて外出したとは、思わなかったんですか」
義父ちちはねえ、靴下さえ義母ははに履かせてもらうような典型的な昭和の男よ。飲み歩いて午前様で帰宅しても、義母が起きて待っているのを当然とする亭主関白を貫いたんですから。鍵は開けてもらうもの。家族で外出するときも戸締りは義母。家の鍵なんて使ったことも、持ったこともなかったんじゃないですか」
 ふん、とまた鼻息が荒くなる。話のベクトルを変えても、結局はここに戻ってくるのか。
「わかりました。では、柳一郎さんがいないことがわかってから、どうされました?」
「トイレと風呂場を覗きました。それから二階を。玄関にふだん履きのクロックスがあったので下駄箱を確認すると、よそゆきの革靴がなかったので、ああ、またか、と」
「よそゆきの革靴とは、遺体発見現場にあった靴ですか?」
「そうです」
「またか、というのは?」
「行方不明はこれまで何度も」
 ああ、なるほど、と香山は思い当たる。
「柳一郎さんの服の内側に住所が貼り付けてあったのは、そのためですか」
「そうよ」
「あの服だけですか? ネームタグを付けられていたのは」
「全部よ、全部の服に付けたわよ」
「それは大変だったでしょう。施設への入所は検討されなかった?」
「もちろん、しましたよ。要介護3だから特養の入所基準も満たしてますけど、空きが出ないし。認知症のグループホームに一度入所させたこともあります。でも、暴れて他の入所者さんを傷つけて追い出されたわ。認知機能以外は衰えてないから、無駄に力があるのよ」
 そうですか、と香山は質問を切り替える。
「家にいないとわかってからは?」
「近所を探し回りました」
「一人で?」
 ええ、とうなずき、緑茶のペットボトルの蓋をあける。ひと口飲むのを待って質問を続けた。
「ご主人の和也さんは?」
「主人はちょうど29日から金沢に二泊三日で出張でした。それに、」と唇を噛む。
「あの人が探してくれたことなんて一度もありません。自分の親なのに」
 嫁が面倒をみるもんだと思ってるのよ、と横を向いて吐き捨てる。
「行方不明者届を出されたのは31日ですが。なぜすぐ警察に相談されなかったんですか」
 佳代子は眉を吊りあげ、香山を怒気のこもった瞳で睨みつける。
「だって、あなたがた警察が嫌がるんじゃないですか」
 どういうことだ? 香山は小田嶋と顔を見合わせる。

(to be continued)


第7話に続く


こちらのマガジンからも各話をお読みいただけます。

 

サポートをいただけたら、勇気と元気がわいて、 これほどウレシイことはありません♡