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幸福の王子になれたなら
青空文庫で幸福の王子の翻訳を発見しました。
幸福の王子
https://www.hyuki.com/trans/prince.html
Copyright (C) 2000 Hiroshi Yuki (結城 浩)
原作はオスカー・ワイルドです。
http://creativecommons.org/licenses/by/4.0/
みなさんよくご存知だと思いますが、あらすじをざっくり。
どうやら超豪遊してた箱入り息子の王子がなくなったあと、その王子を模した金ピカで宝石も散りばめられた像が建てられている。そんな街旅の途中のツバメがやってきて、王子のお使いをして、貧しい人に宝石や金の塗装などを分け与える話です。
私はこの話の意味を、与えることは美徳、と受け止めていましたが、あらためて読み返してみてなんだか釈然としない。
一時金で解決しなさそうな案件もあったけど、大丈夫?
王子自己満ひどすぎんか?
ていうか、王子とツバメは幸せになれたの?
ツバメはそれでよかったの?
という、なんかしょっぱい感想がこみ上げてくるのです。
幸福の王子が人々に自分の貴金属を分け与えて幸せになったのならそれでよく。やりたいことを全うして、大好きなツバメさんと添い遂げれた。それでいいんだ。そう解釈したい。
私も自分の持っているもの(有形無形問わず)を人にあげて喜ばれたなら、それは私も幸せだ。
ヨガの哲学でも不貪(アパリグラハ)や知足(サントーシャ)が勧められている。
でも、本当にぜんぶあげたら、自分の生活が立ち行かなくなる。
そしたら逆に誰かに手間ひまかけさせてしまうかもしれない。
人生は短いかもしれないけれど、これから何年生きるのか誰にもわからない。
それに、それで一時的にハッピーに出来たとしても、根本的には解決しないのかもしれない。
できるだけ、みんなが幸せになれるように、気持ちだけは惜しみなく。
でも、自分もできるだけ自分のちからで支えられるように。
そうしていくことが今の自分のベストなのかな、と思ってる。