コミュ力の育まれる背景
私の場合
その②
待っていてくださった方、お待たせしました。
ご期待に応えられるかどうか不安なのですが。
前回からの続きです。
小学4年生の夏、岡山県に転校した私。
地方の小学校、生徒の殆どの家庭が農業で生計を立てている地域、滅多に人の出入りなどないのか、転校生が物珍しいのだろう。
休み時間になるとは、その美人なボスを囲んで、クラスの女子の殆どが、教室のすみっコでひとりポツンと座っている私に背を向けて、ヒソヒソ話を始めた。
どこから来たのかな
どこに住んでるんだろ
兄妹はいるんかな
あの時の、あの彼女たちの冷ややかな視線は、あれから何十年も経った今でも、未だに忘れられない。
あの時の、小学4年生の女の子の小さな胸が、心細さにヒリヒリとつぶれそうだった事も。
あ、そうだ。
その前に、小学校3年生の3学期だけ、東京都三鷹市に転校した時には、私が1人座っていると、男の子女の子数人が、
「ねぇねぇどこから来たの?鉄棒しに行こうょ!!」と、休み時間になるとは毎回、校庭の鉄棒のところまで私の手を引っ張って連れて行ってくれた。
その記憶があったので、子供心にも、都会と田舎の子供達のコミュ力の違いは一種のカルチャーショックだった。
何がきっかけだったのか、何日か経ってからボスのGOサインが出たのだろう。
彼女達は私を仲間に招き入れた。
さて、それまでに、すでに数回転校していた私は、既存の輪の中に入って行く❨コツ?❩みたいなノウハウを子供ながらに習得していた。
①何か聞かれた時は、絶対に自慢話に
受け取られないように慎重に言葉を
選んで答えること。
②一緒に何かをしようと誘われたら、
絶対断ってはいけないこと。
二度と誘ってくれなくなる。
③相手をとにかく褒めること。
しかし、絶対に大げさに褒めてはなら
ない。
わざとらしいと思われたら最後だ。
この、ノウハウを実践しているうちに、私はイエスマンに成り下がった。
『こんな子となんか遊びたくない』と心は悲鳴を上げているのに、口からは「うんっ!私も行く!!」と、誘ってくれた事をさも喜んでいるかのように、満面の笑顔で即答していた。
本音は誰にも言わず、絶えず相手の顔色を伺いながら、嫌われまいと必死に振る舞う毎日。
全神経をすり減らしていた私は太る暇もなく、今の私からは想像もできないほど痩せ細っていた(笑)
その後の2回の転校も、このノウハウを忠実に実践し、小学校6年間の8回の転校生活を無事卒業した私は、大阪のマンモス団地の中にある中学校に入学した。
その中学校は、当時としては(今でも?)珍しく、1時間目から6時間目までの、どの教科もグループ学習で授業を進める方針が取られていた。
よく、ホームルーム(学級会?)の時間だけ班になる学校はあるけれど。
先生としては、教科書をさっさと説明してとっとと板書して授業を進めるほうが、絶対面倒くさくないだろうに、その中学校ではどの教科の授業でも、毎時間、何度も班で考えをまとめさせ、生徒に発表させる形を取っていた。
私はその中学で生まれて初めて、
『こんな私みたいな者(自信が無い)でも自分の意見を言っていいの!?』
と、驚いたの何のって。。。
人と同じでなくてもいい事。
NOを言うからと、拒否したりされたり、仲間外れにしたりされたりする事自体が間違っている事。
その人がその人である事を、皆んながお互いに尊重し合う事。
その中学校での体験が、私のその後の、物の考え方の一番の根っこになった事は、今では本当に感謝している。
そんな素晴らしい中学を、3年生の夏にはまたもや転校しなければならなくなったのだ。
また 父親。
この文字数以上を書くと、まとめられなくなりそうなので😅、今回もここまでにします。
コミュニケーション力の育まれる背景と言うタイトルで書き始めたのが、何だか自己紹介の長バージョンになってしまって恥ずかしいのですが、続ける事にします。
このあと成人してから、またも目から鱗の出会いで、今までの自分がいかに。。。
最後まで読んでいただき、有難うございます。