「この実験がなかったら話せなかった。」(みやざき)
自分の実験のフィードバックの時間に「この実験がなかったら話せなかった。」という感想が出ました。
わたしの実験では、無理のない範囲でと断りを入れた上で、じぶんことを話してもらう必要があったので、参加者が本人の判断で踏み込んだ発言をしてくれたことはありがたく、そのおかげでやったかいが生まれていた部分もあったように思います。
ですが、振り返れば自分自身も、今回の「実験ワークショップ」は、自分の実験に付き合ってもらう何倍も他人の実験に付き合うことになっていて、「この実験がなかったら考えなかった。」ことの連続でした。
実験方法が似ていて「話しをする」機会が多かったことや、サークルメンバーの関係性が築かれつつあることも関係あるでしょうが、実験という設えで集まるから、話すこと/話せること、があって、それは参加する側にとっての、自分を媒介にした自分自身を発見する実験、でもあることが今回よくわかりました。
1日目にやった「観察」のワークで、からだを動かしてみてじぶんの中に起こる反応、それを(善し悪しで)ジャッジしないで放っておいて、眺めてみましょう、という自分との付き合い方のレクチャー受けたことで、2日目以降の実験の時間でも、結果以外の部分で、他人に付き合う回路が働いていたように思います。
今後も、われわれ、ひとりでできるもんサークルは、今回のような「実験ワークショップ」の集まりを開けたらと思います。ただ、そのときも「観察」ってなんだっけというのを、その都度、振り返る必要があるように思いました。「実験」という言葉だけでは、進展があったかどうかについフォーカスしがちなので。
最後に、印象に残ったことをひとつ書きます。
3日目の堀越さんの実験は、堀越さんの用意した「愛」に関する3つの質問が与えられ、そのひとつ、ないしそれ以上の質問について、考える時間を用意する、というものでした。
最終的に、その答えを全体に共有することはなく、考えないで過ごすことも可能でした。
このワークには答えはなく、それぞれの考えを知ることもないのですが、わたしはその場にいる人が同じ方向を向いているような感覚を覚え、そのことに気持ち良さを感じました。