映画「銀河鉄道の父」を見ました。
この映画、明日までだったんです。
どうしても見ておきたかったのです。
ちょっと前ですが、「宮沢賢治詩集を読む」という講義を聴きました。zoomでしたが。
詩集を全部読んでいません。ここから何を読み取るか、といったお話を聞いたのです。
「銀河鉄道の父」には原作があり、映画にもなっていることは知っていました。本屋さんで見たからです。直木賞受賞とありました。
すっかり忘れていたのですが、駅で映画館のチラシを見ました。それで明日までと知ったのです。
結局私は出かけました。駅前の小さな映画館です。
でも良い映画をやるし、座り心地はいいし、(良い椅子を使っているらしい)気に入っています。
行ってみて、ビックリ!人がいっぱい。この映画館でこんなに人がいるのを見たのは初めてかもしれません。チケットを買いに窓口に行ったら、「あと3席です」それも補助席。結局満席になりました。
着いたのが10分くらい前でしたので、下手したら見られないところでした。
壁際の補助席は、椅子にクッションを置いてありました。なかなか厚くて座り心地のよいクッションでした。壁の手すりがちょうど肩に当たるので、ちょっとでしたが、椅子を少しずらさせてもらいました。
さて始まりました。
「父」は役所広司、「宮沢賢治」は菅田将暉、「母」は坂井真紀でした。
タイトルが「銀河鉄道の父」ですから、父が主役ですが、初めの方は、どうしても賢治に感情移入してしまいました。親に何回も頭を下げて自分の道を行こうとするけど、行き詰まる。いろんなことが上手くいかず苦悩する。日本のアンデルセンになりたいと物語を書き始めますが、それを薦め、一番の読者だった最愛の妹トシは亡くなってしまいます。
この前の宮沢賢治詩集の講義の時、トシの亡くなるときの詩「永訣の朝」を読みました。死の床にいるトシが最後の願いとして、賢治に「庭の雪を取ってきて」と頼むシーンです。このときのことを賢治は「無声慟哭」という詩も書いています。
そんな賢治を父は支えてくれたのですね。
賢治にとって父とは何だったのだろう。
賢治のセリフではありませんが、「父のようになりたかったのでは?」という誰かの台詞がありました。
最初の方は賢治に気持ちがいっていたけど、終わってみればやはり「父の物語」だったなと思いました。賢治が生まれたときのシーンからずっとそこにいたのですね。存在は大きかっただのだと思います。
父が叫ぶ「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」は泣けました。
これは役所広司だからこその映画だったでしょうか。
ひょっとして、この人気ぶりは役所さんだから?
好評につき、再上演決定だそうです。
なあんだ、それならゆっくり来れば良かった。
菅田将暉さんも熱演でした。私はトシの森七菜さんと、祖父の田中泯さんが好きでした。
あれはどうなんだろうと思うこともありますが、映画評論家ではないのでそれは良しとしましょう。
余韻をひきずったまま映画館を後にしました。見た後に、「雪のシーンはきれいだった」とか思い返すのも楽しいですね。友達と一緒に行ったら、お茶しながら話をするのかな。
1人で行くとそれができないから、SNSで感想を探してしまうのかもわかりません。
帰るとき、言おうか言うまいか迷ったのですが、映画館の人に「クッションがとても良かったです」と伝えてきました。こういうひと言を言ってしまう私はお節介でしょうか、変わり者でしょうか。