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こっち側でもいいやん
このところ、「あっちこっち」ばかりで申し訳ない。
今回は、テレビ番組の話。「午前0時の森」の「おかえり、こっち側の集い」を時々見ている。
こっち側とあっち側
司会はオードリーの若林さんと水卜麻美アナウンサー。若林さんの「こっち側」ぶりは、周知のことと思う。著書「ナナメの夕暮れ」も読んだ。
「あっち側」と「こっち側」について改めて言うと、「あっち側」というのは、社交的で誰とでも話ができて、人生キラキラ明るい人。「こっち側」というのは、その反対で、他の人がどう思うか気になったり、気さくに話ができなかったり、人と交わるのが苦手という人らしい。
番組では、「こっち側」のゲストがきて、エピソードを聞かせてくれる。困っていることを相談する。
今までの放送では、洋服を買いに行って、試着しちゃうと店員さんに悪いから絶対に買うとか。聞かれた時のために、答をあらかじめ準備しておくとか。パーティーで食事を取りにいけないとか。
自分の場合
私自身のことを言えば、絶対「こっち側」の人間と思っている。子どもの頃、おつかいに行ってもお店の人に声をかけられず、店の前を何往復もした。友達も少ない。結婚してからも、近所の人と会うから家から出る時は今でも緊張する。
でも、人生、なんとかやってきた。それなりに学生時代を過ごし、就職し、結婚し、子育てをして、また仕事をして今がある。
仕事は福祉職で、人と話をする仕事である。
苦労は、した。例えば、デイサービスで働いていたとき、送迎車の中で利用者さんと、何の話をしようかと悩んだ。
でも、仕事は楽しかった。人付き合いは苦手でも、「人が好き」だったのだ。ケアマネジャーになったとき、「こっち側」の人間だからこそ、人の気持ちを思いやることができた。そのことはとても役に立った。
何となく明るい話もするので、私が「人見知り」と言うと、みんな「まったー!」と信じてくれない。でも、実際にそうなのだ。
暗くない「こっち側」
話を番組に戻そう。
「こっち側」の方々のエピソードは「苦労しているだろうな」とは思うけど、若林さんが笑い飛ばす。全然暗くならない。「こっち側でもいいじゃん」と思えてくる。
先週の放送は、羽鳥慎一郎アナウンサーと元乃木坂45の秋元真夏さん、そしてラッパーの崇勲さん。ゲスト3人がドアの前で出番を待っている5分間、誰も話し出さなかったという話。これ、わかるなあ。話しかけて相手に何か都合が悪くならないかと思う。相手を気にしすぎ。
崇勲さんは、「緊張しますね」と言おうかと迷ったらしいけど。私は沈黙にも耐えられない。何か言って失敗する。
水卜アナウンサーが優しい雰囲気を出していて、ホッとする。アナウンサーって、あっち側と思いがちだけど、違うんだなあと思った。みんな家を出るときや、仕事となると、ぱっと切り替える。そこがプロと思う。
そして、仕事が終われば「こっち側」に戻る。
こっち側でもいいやん
私は「こっち側」だが、「あっち側」の部分もあると思う。人間、皆そうかもしれない。
そして、「こっち側でもいいいやん」と思う。無理することないし。生きていく上で少し困ることはあっても、なんとかなる。そんな人は結構人に好かれる。
もう一つ思っていること。
私は、子どもの頃や若い頃に比べて、人生経験を重ねて処世術のようにうまくやっていくことを身につけてきたんじゃないか。神経が図太くなっただけかもしれないけど。
自分を愛せるようになったなと思う。
これから「おかえり、こっち側の集い」を録画予約することにしよう。
*見出し画像、お世話になっています。犬派ですが。