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「正義の行方」~ドキュメンタリー映画が胸に響く

飯塚市。
ごく幼少の頃、住んでいたことがあるのです。

でも、「飯塚事件」を知りませんでした。
最近よく行っているミニシアターです。その映画のタイトルと予告編をHPで見てすぐに「見たい」と思いました。そして、得意の「舞台挨拶あり」です。

いつものように、ネタばれます、長文決定です。
あ、最後まで読めないという方にも、「この映画はお勧めです」と言いたいです。158分と長いけど秀作と思います。



飯塚事件

1992年福岡県飯塚市で二人の女児が殺害された。DNA鑑定や目撃情報などから犯人とされた久間三千年(くま みちとし)は、2006年に最高裁で死刑が確定、2008年に死刑が執行される。”異例の早さ”だった。しかし、DNA鑑定に疑問が出てくる。冤罪を訴える再審請求がなされるが、却下。今も検証は続いている。

映画は、捜査を続けた警察、死刑執行後の再審請求という困難に立ち向かう弁護団、事件を報道してきた西日本新聞という、立場の違う当事者たちに丁寧にインタビューをして、事件を客観的な視点で検証していく。

語りを引き出す

まず思ったこと。
警察、弁護士、新聞記者と三者の立場の当事者達が、どうしてこんなに率直に話をしてくれるのか、ということだった。みな、赤裸々に当時の様子や思っていたことを語るのだが、そこまで言ってくれるの?というような発言をする。

警察は、自分の捜査や判断に間違いはないと主張する。弁護士は、死刑執行を聞いて、再審請求が遅れたことを悔い、自分たちが殺したのではないかと自責の念にかられる。

新聞記者の葛藤が特に心に響いた。スクープした記事について、これで良かったのか、警察寄りではなかったかと逡巡する。死刑判決が出た時、「安堵した」と話すのだ。

久間元死刑囚の奥さんも、顔は出していないが、証言をしてくれている。

人の語る言葉には、文字にはない真実がある。姿と表情も、何かを語る。インタビューが引き出し、カメラが一瞬の心の揺らぎも映し出す。

インタビューをしている監督の力も大きいと思う。この人なら話してもいいと思わせるような、なんかそういう度量の大きさを感じた。

取材を重ね、お酒もいっしょに飲んだそうだ。

警察官は、言葉の終わりに「私は、そう思いますけどね」と、「私は」を付ける。断じているようで、迷いもひょっとしてあるのかも、と思った。

語り合うなかで、こういう、人間の心理の奥が見える場面を生み出している。

立場は違えど~正義と気概

パンフレットに書いてあったのだが、警察も、自分たちの「正義」に従って捜査し、逮捕したのだ。地域の安全を守るために。

弁護士も、「おかしいのではないか」と疑ったら、真偽をとことん追求する。膨大な資料を作成する。岩田弁護士の丸くなりかけた背中に、弁護士としての「正義と気概」を感じた。

再審請求は長い年月がかかる。諦めないのだ。岩田弁護士は「次の世代に引き継ぐ」と言っていた。

新聞社は死刑が執行された後、改めて敏腕記者を呼び、事件の検証記事を83回も重ねたのだ。ここはすごいと思った。引っかかっている自分たちの報道姿勢を見直し、検証する。これは新聞記者の「正義と気概」だ。

(まったく関係ないのだが、この時に呼び寄せた「敏腕記者」二人がカッコいいのだ。→どこ見ている!)

冤罪と予断と思い込み

「予断」という言葉がパンフレットに出てくる。調べてみた。
  「前もって判断すること。予測」(goo辞書より)

パンフレットより、上西充子さんの言葉を引用。

私たちは自分が見たもの、聞いたことにとらわれる。予断を完全に排することは不可能に近い。

犯人ではないかと思って見ると、そうとしか思えない。そんな心理に引きずられていったようにも思えた。今回の事件では、大きな4つの焦点があるのだが、警察の方は「点を結んでいくと、彼が犯人だという判断に結びつく(大意)」と話す。

「やはり、ほらね」とでもいうように。
流れに乗ってしまうと、流されていく。そんな危機を感じた。


これが行き過ぎると、思い込みになる。私たちの生活にもたくさんあると思う。私なんて、しょっちゅう思い込みをしている。

見えない大きな力

 映画の中に、国松元警察庁長官が出てきたとき、なぜかゾクッとした。日本の現状を考えるとき、日頃から、私たちの知らないところで、何かとてつもなく大きくて、何かの力が働いているのではないかと感じることがある。大きな力。それこそ、私の思い込みでなければ良いのだが。

監督という仕事に憧れる

舞台挨拶。木寺一孝監督は素晴らしい方だった。たくさんのドキュメンタリーを作られている。人に対する優しさと尊厳を持っておられる人だなあと思った。お話がとてもわかりやすく、心に残った。

サイン会でちょっとだけお話した。昔住んでいたというと驚かれた。現地にはもう何十回と通ったとのこと。映画を作るってどれだけ手間がかかるんだろう。

監督という仕事に憧れる。深い思慮と、揺るがないけど柔軟な視点が必要と思う。熱い思いも。

舞台挨拶で

正義の行方

二人の女の子が遺棄された山中に、お地蔵さんがおられる。二人並んでいる可愛らしいお地蔵さん。寒いだろうと、温かそうな布を巻いてもらっている。

監督は、この映画は、「裁判の行方」ではないと言っておられた。目的は冤罪を摘発する事でもない。過ちをただすのでもない。

「芥川龍之介原作、黒澤明監督の映画、『羅生門』のように、登場人物の目線によって、事件の見方が変わる。観ているほうが、藪の中に迷い込み、自分なりの真実を探ってもらえれば」と言っている。(パンフレットより)

まさに「正義の行方」なのだ。

ドローンから写した八丁峠。奥深い森に隠されて何も見えない。
目をこらすと、見えるものがあるはずだ。

パンフレット

最後に。

映画を見ていないと、なんのこっちゃよくわからないですよね。
でも、読んでくださった方、本当にありがとうございます!広ーい心に感謝!(本音)

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