映画「福田村事件」~過去の話ではない
もうだいぶ前になるのですが、映画「福田村事件」を見てきました。
これは見るしかないよな、と思って。
いつも行く映画館の、大きくない方ですが、満席でした。
関心が高いと思いました。
見終わっての感想を書いてみます。あくまでも私の印象です。少し本筋から離れているかも分かりません。
長文決定。
①過去のことで良かった
やはり、少し重かったです。虐殺場面が続きました。怖くて、私は少し目をつぶってしまいました。社会主義者平澤の処刑場面も。
「これは終わったことだよな」「過去のことで良かった」
ちょっとしんどかったので、そんなことを思いながら見ていました。
目をそらしたらいけないのに。
過去の話じゃないのに。
②事件が起こるまで
初めのうちは、それぞれ登場する人物の状況が理解できないまま進んでいきました。関係性とかがわかりにくかったのです。でも終わってみれば、群像劇でそれぞれのストーリーがあって、最後は一つになって結末を迎える。映画の醍醐味でした。これは、ドキュメンタリーではできない。
利根川に船が浮かぶ情景が美しかった。俳優さんたちの演技が素晴らしかった。田中麗奈、井浦新、永山瑛太、東出昌大、柄本明、他。そして、行商団の少年、生駒星汰。
故郷に帰ってきて、憎からず思っている子と再会した最後のシーン。再会の喜びではない。自分の体験したものの重さを感じている、そんな表情だと思いました。
③なぜ事件は防げなかったのか
私は見ていて、これは集団パニックになったのかと思いました。村民は大地震の後、朝鮮人が襲ってくるという不安を抱えていている。自警団が作られる。鐘が叩かれ、すわ、現われたかと駆けつける。怪しげな一団がいる。パニックになれば誰も止められません。
でも「どこかで止められなかったのかな」と、もう終わったことなのに、そんなことを考えました。
朝鮮人か、そうでないか。そこに集中してしまっていた。そこで言い放った行商の親方(永山瑛太)の一言が重たい。
「朝鮮人なら殺してええんか」
④なぜ隠されたか
そして、なぜこれが隠されたか。
村民たちは「しまった!」と思ったでしょうね。やってはいけないことをやってしまった。自分を守るためには、正当化する理由を考えるか、取り繕うか、他人のせいにするか、なかったことにするか、です。
集団で「なかったことに」したのではないかと思いました。
人間の弱さ、浅はかさです。弱いから攻撃する。これも言えるかもしれない。
⑤パンフレットから
この映画のパンフレットは買うしかないと思っていて、上映前に買いました。1500円。少し高いと思いましたが、出してきてくれたのを見てびっくり。90ページもある立派なものでした。
もうこれは一冊の本です。脚本も載っています。
内容は森達也監督のコメントや対談、この事件を歌った中川五郎氏の話とか、当時の年表(詳しい解説付き)など、いろいろな立場の方のお話が載っていました。そこから新たに知ることもたくさんありました。
その一つが、事件の社会背景です。その場で起こった短絡的なものだけでなく、複雑なものがあったのだと思いました。この事件が起こったことが少し納得いきました。
そして、これを「昔のこと」として見るのではなく、今に繋がっていることがあるのだということも。今なら虐殺は起こらないだろうけど、精神的な虐殺なら、なんぼでも起こっているだろう。
⑥ドキュメントとフィクション
パンフレットの中で、福田村事件追悼慰霊碑保存会の市川正廣さんと、脚本の佐伯俊道さんの対談が面白かった。(と言ったら失礼ですが)市川さんはこの事件の真相解明と、調査に取り組んでこられています。
「史実を曲げないで」と言う石川氏。それに対して、「そこは理解しているが、映画として表現する時は難しいことがある」と言う佐伯氏。
なぜ森監督がフィクションにしたか。
パンフレットの最初にあった森監督の言葉を引用させていただきたい。
この映画を見た人が何かを感じて、何かを考える。見ていなくても何か考える。それが広まっていけばいい。
「すごい映画を見た」
これが私が一番に思った感想です。
予告編です。
貼り付けはあまりしたくないのですが。映画のことがよく分かるので。