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母の誕生日
先日は亡き母の誕生日でした。
生きていれば、94歳。
この前の父の時も感じましたが、94歳ならなおさら、「まだ生きていてもおかしくない年」と思います。「まだ会えていたかも」
くも膜下血腫で倒れて、半年頑張ってくれましたが、意識が戻らないまま逝ってしまいました。
本人も突然だったので、何も考える暇はなかったでしょうか。意識はなくても、気持ちや心で、感覚で何かを感じていたのでしょうか。
元気だった頃、母は自分の寿命のことを、「生きてあと5年と思っている」と言ったことがあります。平均的なこととして言ったのですが、その時私は、「5年て、すぐやん」と思いました。「短い」と思ったことを覚えています。その5年を生きたのだったか、そうでなかったのか。
いま、自分も高齢者といわれる年になりました。(過ぎています)
周りでも、病気の話を聞くことが増えました。
この頃よく「人は死ぬんだよな」と当たり前のことを思います。いま自分にその日が来ても、OKと思えるだろうか。
音楽が大好きで、子どもの頃に習えなかったと年取ってからピアノを習い始めた母。歌やコーラスが大好きだった母。料理が得意で、夏に帰省すると、顔に汗をいっぱいかいて、ちらし寿司や牛乳寒天を作ってくれた母。人のために何かすることが生きがいだった母。手紙をたくさんくれた母。
母からもらったものを、私は自分の子どもたちにしてあげていないと思います。
たまたまなのですが、これを書きながら、森山良子のCDを聞いています。「家族写真」という歌があります。
「明日へ向かうほど近くなる昨日がある」「忘れないで 思い出はどこにもいかない」(歌詞より)
母が亡くなって間もない頃、森山良子のコンサートでこの歌を聴いて、私は泣きました。今でもこの歌を聴くとグッときます。
家族がいた、あの頃。
私を私にしてくれた、紛れもなく大事な日々。
お母さん、お誕生日おめでとう!
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*見出し画像、変えました。