書きたいから書く
いきなりですが、朝日新聞天草支局長、近藤康太郎氏を勝手に師匠とさせております。弟子入りをお願いしたこともなく、まったく「勝手に」です。要するに好きです。近藤氏の書く文章、その生き方などに惹かれております。新聞には不定期に載るので、楽しみにしています。
朝日新聞2月4日(土)多事奏論を書かれていました。
タイトル
「なめていないか 人気にこびず 表現は曲げない」
【内容を要約してみます】
・呂布カルマというラッパーの方の配信記事が面白かった。
「ラッパーが説く『聞いてもらう力』安易な歩み寄りに陥らないために」
・呂布氏はACジャパンの公共広告で有名だ。
コンビニのレジでモタモタして謝るおばあさんにラップし始める。「誰も怒ってなんかない/アンタのペースでいいんだ/自分らしく堂々と生きるんだ」
呂布氏は言う。「文章では押しつけがましくなることも、
半分冗談にして伝える」と。
・また呂布氏は言っている。
「ファンに受けたこと、ヒットしたことを繰り返していると遅れる」
「『表現する』のがゴールであり、その先を考えるのは不純です」
・人気ほしさにおもねらない。やりたい表現は曲げないという誠実さだ。
・新聞記者の仕事はデジタル配信主流になり、「どれだけ見られたか(PV)」だのが求められる。
・読者の求めるものや嗜好を記者は追求しなければならない。
ただ、引っかかるのは、読者の求めているものとは、数字のとれたものか、ということだ。今読んで喜んでくれたものか、ということだ。
・読者に受けたことヒットしたことの繰り返しではないのか。
・「こういうのを読みたいのですよね」とファンのことをなめてかかる度胸はない。
・「こんなもん、誰が読むんだ?」というトンデモ企画を「これでもくらえ!」とたたきつける初心は、忘れたくない。
(太字:私)
【要約終わり】
最後の一文は引用させていただきました。
さて、これを読んだ私の感想です。
近藤氏は新聞社の記者です。
配信主流のメディアで、会社の求めるもの、読者の求めるものを考慮しなければならない立場で
でも、自分の書きたいものを表現するという矜持を持ちたいと言っておられる。
「表現するのがゴール」というラッパー呂布氏。
それでも、近藤氏は「書きたいものを書いておられる」のではないかとは思います。それは今までの近藤氏の文章に表われていると思います。世間におもねらず、好きに書いている(すみません)ようにも。
そうそう、田んぼしたり猟をしたりサトウキビ作ったり、文章塾をやったり塾料代わりに若い人に働かせたり(あ、違う?)という行動も、なんだか常識にとらわれないのがすごいなと思うのですけどね。
だから、近藤氏のファンは多いと思うし、私もいつも楽しみに読んでいるのです。
そして、ここからが私との関わりになります。
私はブログとnoteで文章を書いています。Twitterでもつぶやきます。
ブログが中心で、もうかれこれ10年くらいになるでしょうか。
毎日の出来事とか、こんなふうに新聞記事を読んで考えたこともたくさん書いています。最近は更新が頻回です。書きたいことがたくさんあるのです。
そして、SNSにあげると、訪問者が気になる。「いいね」や「拍手」が気になる。書きたいことを書いたのだから、気にしなければ良いのに気になる。
そして一人でも読んでくれたことがわかれば、それはやっぱり嬉しいのだけど、他の人の投稿がその訪問者数や「いいね」が私では考えられないくらいに多いと、「いいな」と思ってしまうのです。
もちろん文章に魅力があるかと言うことですよね。自分ではちょっと面白い文章を書くと思うのですが、まだ力が足りない。でも、書いたからには誰かに読んでもらいたい。
つくづくSNSは「承認欲求」だなあと思います。
そこで、今日のテーマです。
「『表現する』のがゴール」
そうですよね。
書きたいのです。
3年前、東日本大震災を訪ねる旅から帰った後、
突き動かされるように旅行記を書いたのでした。
書きたいことがあるのです。
書くのが楽しいのです。
これからも書きたいことは表現して、
そうして「どうでしょうか」「どう思いますか」
とアップする。
その後は、今と同じように
「一人でも読んでくれる人がいたらありがとう」
と思うことにします。
職業として文章を書くのは無理と思うけど、
林真理子さんの言う「野心」は持っておこうかな。
良い方の、ね。
近藤さん、呂布さんありがとうございました。
そして、近藤師匠!
「これでもくらえ!」という記事を期待しております。
あ!最後に一言。
新聞記事のときに顔写真が、いつも「サングラスにテンガロンハット」なのです。「これなあ」と思っていましたが、最近Twitterもフォローしていまして、そのアイコンがとても素敵です!!
画像は、東日本大震災を巡る旅から。