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読書日記~「食べごしらえ おままごと」石牟礼道子著

石牟礼道子といえば、水俣病しか知らなかった。

石牟礼道子


1927年熊本生まれ。まもなく水俣に移住。小説家、詩人。1969年、水俣病問題が社会的に注目される契機になったと言われる『苦海浄土ーわが水俣病』を刊行。2018年没。(文庫本の見返しより)

この本は、水俣病とは関係なく、石牟礼氏が熊本で過ごした幼い日々と「食べごしらえ」について書かれている。(塾の課題図書)

「食べてきたもの」について書かれているのだけど、当時の、土や海や川の恵みと共にあった生活が、情景とともに思い浮かび、なんとも心に染み入ったのだった。
私はその文章に、何度も感嘆のため息をついた。


石牟礼家は貧しかった。父親は、没落して差し押さえに逢っても、卑屈にならず、人間としての尊厳を忘れない、情の厚い人だった。


食べるものは、自分のウチで作るか、野に行き、蕨や山菜を取ってくる。下ごしらえをして干す。要るときに戻し、煮る。全部、手で作る。

手間がどれだけかかっていることか。



歳時記風の行事をとりわけ大切にする家だったという。季節や行事に合わせて食べごしらえをした。そして神仏に供えた。

田植えの時には、加勢の人たちのために煮染めなどを作った。その量が半端ない。足りないことがあったらエラいことなのだ。草餅も大量に作って配る。

餅搗きも団子の時期も、準備が大ごとだった。いやいや、田を植え、草を取り、麦の種をまいて刈り入れるとき、小豆や夏豆を植えて穫り入れるとき、すべてすべて、餅や団子を作るたのしみのため、汗を流していたといってよい。

p26~27より引用

熊本弁

全編を通して語られる熊本弁の味わい深さ。

幼い道子が、初めてたすきを掛けてもらって、米をとぎ、見よう見まねでキビナゴをさばく(尾引き)
病床の母のところに持っていく。

んまあ、道子が襷がけで、小(こ)うまか指して、尾引きをつくってくれて、白うなってしもうとるばって、ご馳走になろ、みんなで。

P21より引用

道子の食べごしらえ、ことはじめの日だ。


お正月に、三河万歳の衆が来て、三番叟を踊る。猿回しや獅子舞も来る。
この章も好きだ。

帰りかけた一団にあわてて、御神酒を差し出す。獅子舞の口にいる若者に「アーンしなはりまっせ」とナマスを口に入れて、食べさせる。

笛がふたたび鳴りはじめ、獅子は立ちあがり、ゆらり、ゆらりと赤い頭(こうべ)を振りはじめた。女衆たちが草のゆれる風のように言いかけた。
「来年もまた、来なはりませなぁ」

p65より引用


石牟礼氏の言葉遣い

石牟礼氏の文章が、とても表現豊かで、こんな言葉をどうやって選んで書けるのかと思った。優しくて余韻があって、心にしみた。

米をとぐ音やポンプをつく音、薪のはぜる音、そして表を通る馬車や下駄の音、いっしょくたにすれば、わいざつなようだが、そうではなくて、この頃の生活の音というものは、時代の色調の渋さや空気のやわらかさに包まれて、まるでモノクロ画面の町並みが動きはじめるように、一つ一つが人々の心の影をともなって、音もそれぞれ生きていたのである。

P18より引用


貧しかった昔。厳しい生活だからこそ、家族はお互いを思いやり、近所は助け合い、つらさを笑いに変えていったのではないかと思う。

早春がなくなったという。
現代が失ったものを悲しむ。


しみじみと味わいのある一冊だった。


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