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水俣・京都展
久しぶりの京都。そして、久しぶりの岡崎公園界隈。平安神宮の辺りです。会場の「みやこ・めっせ」を目指します。あった!
認定NPO法人水俣フォーラム主催。全国で開かれています。会場はとても広く、ゆったりと配置されていました。水俣病の発生から、「なぜ?」「どうして?」と思う疑問に答えてくれる流れになっていて、水俣病について詳しく知ることができました。内容の項目です。
メイン展示
プロローグ:1956年4月 幼い少女を「奇病」が襲った
クロニクル:映像でたどる水俣病と私たちの60年
展示1:水俣の美しい自然・豊かな風土
展示2:水俣病とはなにか
展示3:水銀はなぜ止まらなかったのか
展示4:被害者は何を求めたのか
展示5:その後の水俣と水俣病事件
エピローグ:「彼岸の団欒(まどい)を垣間見る」石牟礼道子
(リーフレットより)
会場には、実物がたくさんありました。漁で使った網、水銀、ヘドロなど。
現実感がありました。
感じたこと
①症状の悲惨さ
私がまず思ったのは、穏やかに暮らしていた人々が、急に身体の自由と生活を奪われた苦しさです。貧しいから魚を捕って食べるしかなかったという事情もあったそうです。特に初期の頃の症状はつらいです。発症した女の子の、美しいまつげに見入ってしまいました。
②なぜ原因の特定が遅れたのか
次に、水俣病の原因の特定が、なぜこんなに遅れたのか、ということでした。会社は水銀ではないと主張する。実験結果が闇に葬られたとありました。保身=自分の身を守ろうとすることや、事を穏便に片づけようとする動きは、いつでもあるのだと思いました。
③闘い
水俣病患者は、チッソや国と争います。激しい闘いです。訴えるほうに逮捕者も出ます。争いはつらい。なぜ、こんなになるんかな。穏やかな話し合いはできんかったんだろうな。命がかかっているのだから。
⑤今でも続く問題
水俣病の認定について、今でも裁判が行なわれています。マイク切り事件は最近のことです。「線引き」ということを考えます。どこからが水俣病で、どこからが違うのか。引いた線の上と下で、はっきり分かれてしまう。
水俣病が発生したのは、私が生まれたすぐ後。古希を越えた私と、ほぼ同じ年月を経てきたことになります。そして、解決はしていません。
⑥石牟礼道子さん
先日、石牟礼さんの『苦海浄土』を読みました。同じ内容が展示にもありました。「花を奉る」という詩が、大きく掲げられていました。
⑦近代化
チッソという会社は、今でも存続しています。チッソの作り出した製品が展示されていました。紙オムツとかです。確かに世の中に役に立っていると思います。近代化は喜ぶべき事だけど、失われていくものもある。その影で泣く人がいた。
きっと、今でも不知火の海は美しいことでしょう。でも、以前と同じではありません。起こってしまったことは取り戻せない。忘れてはいけない。
会場で買った本。
じっくり読みたいです。(まだ読んでいない)
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