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映画日記~「風よ あらしよ」伊藤野枝の生涯

表題の映画を見てきた。社会派系の小さな映画館である。伊藤野枝の生涯を描いている。映画館に嵐が吹いていた。
(内容に触れています)

伊藤 野枝(いとう のえ、1985年(明治28年)1月12日-1923年(大正12年)9月16日。日本の婦人解放運動家、無政府主義者、作家、翻訳家、編集者。

長くなるが、伊藤野枝の生涯を紹介したい。

福岡県生まれ。7人きょうだいの3番目。高等小学校を卒業後、郵便局に勤めながら雑誌に詩や短歌を投稿する。東京に憧れを持ち、叔母夫婦を頼って上京。上野高等女学校に入学する。
 親の決めた婚約者がいたが、8日目に出奔、在学中に思いを寄せていた教師辻潤と結婚する。

平塚らいてうの女性文学集団「青鞜社」に通い始め、作品を次々に発表する。その後経営難に陥っていた「青鞜」を受け継ぎ、女性論争誌に変えていった。しかし無政府主義者、大杉栄と行動をともにするようになり、「青鞜」は廃刊になった。

野枝は辻潤と離別し、大杉栄と同棲する。しかし大杉には内妻と愛人(神近市子)がいた。大杉は「自由恋愛主義」を唱え、四角関係となるが、結局は野枝は勝利し、子どもを5人もうける。

「婦人労働者の覚醒」など、女性解放、結婚制度否定などを提起する。

1923年関東大震災によって、戒厳令が発せられていた最中の9月16日、大杉栄と甥と出かけた帰り、張り込んでいた憲兵に連行される。暴行を受け、殺害される。古井戸に投げ捨てられた。
【Wikipediaより抜粋】


感想です。
伊藤野枝を演じた吉高由里子が良かった。
自分の思いのままに生きた、一途で芯の強い女性を演じていたと思う。少し泥臭く、かわいらしかった。

パンフレットにあった吉高百合子のインタビューも良かった。伊藤野枝についていろいろなことを深く考えたり感じたりして、感受性が豊かなんだと思った。役を作るのって、こういうことなんだ。

これが一番か、と思うけど、つまり、伊藤野枝に惹かれたということだと思う。

時代背景
「女は、家にあっては父に従い、嫁しては夫に従い、夫が死んだあとは子に従う」ことが正しくて美しいとされた大正時代。

それが当たり前の時代に、異議を申し立てた野枝。それは困難な道だったと思う。今のように自由に声を上げられない時代だったから。

フツーに考えて「違うやろ!」という感覚

「女性は元来、太陽だった」
伊藤野枝は平塚らいてうの、この言葉に感激して青鞜社に入る。女性というだけで、なぜ自由がないのか。なぜ父、夫、子どもに従わなければならないのか、と言った。

野枝は、足尾鉱毒事件に関心を寄せており、「なぜ同じ人間なのに、この人達だけがつらい思いをするのか」と映画の中で言っている。

辻には「それは単なるセンチメンタル」と言われるのだが。

女性問題にしろ、足尾鉱毒事件にしろ、周りや時代の慣習や考え方にとらわれず、一人の人間としての感覚で、「フツーに考えて、それはおかしいやろ!」と考えたのだと思う。思ったことは言わずにいられない。強い意思を持っていたのだ。

辻潤や大杉栄との恋愛も、あふれる情熱があった。

「吹けよ、あれよ、風よ、嵐よ」
自分の気持ちに素直に生きた。恋も文章も運動も、熱い女性と思う。

非難される

Wikipediaを見ていて、ビックリしたことがある。文章の論調が批判的なのである。
存命中から、青鞜の編集作業を放棄したとか、辻を捨てて大杉と不倫したとか、批判はあったようである。

奔放な部分は、他の女性作家や芸術家でも見られる気質かもしれない。社会的なことは時代に合わないと、なかなか受け入れられない。

没後、郷里では野枝の事を快く思わない人物らも多く、墓が壊されるので、移転したとのことである。

しかし没後100年が経過し、再評価が進んだ。評伝もたくさん出ている。
下のは瀬戸内寂聴の伝記小説。

男性陣の弱さ
実際はどうだったのだろうと思う。だが今回の映画では、最初の夫である辻潤や、その後のベストパートナーとなった大杉栄も、なんだか弱さを感じた。男性のふがいなさと言ったら言い過ぎかもしれないけど。男ってどうしようもないところもある。

辻潤の後半の、何もしない過ごし方とか、大杉栄の自由恋愛主義とか、「しっかりしろ」と言いたくなった。

関東大震災
そうだ、関東大震災だったと思い出した。大震災のあとの混乱時に、朝鮮人とともに、「主義者」が攻撃されたことを。伊藤野枝も大杉栄もこの混乱の中で殺された。
 映画「福田村事件」にも、社会主義者が殺される場面が出てきた。

まったく、混乱の極みというか、あほらしいくらい。情報のない社会だからと思うが、いや、現代社会だって、起こりえると身震いする。


最後に
野枝は大杉栄に「二人は同士だ」と言う。
「同士」
女性とか男性とか、妻とか母親とか、そういう基準ではなく「同士」

何だか良い言葉だと思った。


いろいろ勉強できました。


帰りにどうしても素通りできない、みたらし団子屋さん。この日は休み。残念と思うと同時にホッとする自分がいた。

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