対話とは、きき合うこと
朝日新聞2023年8月11日朝刊より。
「私たちは本当に対話ができているのか」と問う哲学者、永井玲衣さんのインタビューです。
私が興味を持ったのは、「哲学対話」そのものではなく、そこにある「対話とは何か」「話をきくとはどういうことか」という問いです。この記事から私が印象に残った「言葉」を書いていきたいと思います。
大丈夫だと思える場
「哲学対話」とは、集まった人と一緒に「なんで?」と問い直し、じっくりと考える場所だそうです。どこでも誰でも哲学の知識がなくても参加できる。そこでは参加者に「問い」を出してもらい、みんなで考えを深めていく。
そこでの約束事。「よくきく」「自分の言葉で話す」「<結局、人それぞれ>で終わらせない」そして、「わからなくなってもいい」「良いことを言わなくてもいい」場所であると伝えるそうです。
そうして「10年続けてきて感じること」というのが次の言葉です。
対人援助や相談援助の仕事をするなかで、よく言われていたことと通じると思いました。「援助関係が大事」「この人なら話しても大丈夫と思ってもらえるようになること」
私たちの仕事は1対1ではありますが、「ああ、同じことだなあ」と思いました。
対話とはきき合う営み
次も、とても印象に残りました。
ここなんです、この記事を読んでハッとしたところです。
私たちは「誰かと話をする」というと、「お互いに話をし合う」ことになりがちです。そこに「きく」はもちろん入るけど、こんなに人の言葉を感性を使って受け止めることを普段しているだろうか、と思います。
言葉の上っ面だけをきいたり読んだりして、「あんなこと言っている」とか「こんなことを書かれた」と反発することもよくあります。
言葉の裏にあるもの。なぜそんなことを言うのか。それを読み取ることができたら世の中は少し平和だろうなと思ったりします。
永井さんは、オンライン、ツイッターなどネット空間で行き交う言葉について、「断片がパスパスとすごいスピードでやり取りされていく」「奥行きを確かめにくい空間になっている」と言っています。
これも、そうだなと思いますね。文字だけでは伝わらないものってありますよね。
ちなみに記事では「きく」と、ひらがな表示になっています。「聞く」でも「聴く」でもなく。何か意味があったのかな。
問うことは可能性を広げる
最後に、もうひとつ、私がハッとしたところ。世の中には分断がある。対話に希望はあっても、すべてを担うことはできない。例えば決断を迫られる時や「それは違う」と態度を示す場面など。それでも、次のように対話することは、意思表示や結論を出すことにつながっている、とあリました。
*入管問題の改定に反対することは対話ではないが、その前に
→「多様な人々と共に生きるってどういうことなんだろう」と考えること。
*国葬に賛成か反対か
→「人を弔うってどういうことなんだろう」と対話する
こんなふうに考えるって、人の思考の枠を広げると思いました。考え方が多様になると。
あなたはどう思う?
永井さんの写真の、まっすぐ見つめる目からもメッセージを受け取りました。実は人と話すことが苦手で他者が怖ろしいものだったそうです。永井さんを変えたサルトルの「実存主義とは何か」という本は、私にも読めるでしょうか。
註:この投稿記事は、私が印象に残った「言葉」を抜き出しているので、片寄りがあると思います。新聞記事の言いたかったことは、全文を参照していただければと思います。
(見出し画像は、国立民俗学博物館前に立つトーテンポール。多様性つながりで。こじつけ)