読書日記~「Work is Life宇宙一チャラい仕事論」近藤康太郎著
朝日新聞編集委員、近藤康太郎さんが新刊を出しました。
最初に言っておかないといけないのは、私が現在、仕事をしていないということです。新しい本が「仕事論」と聞いて、ちょっとだけ引きました。でも、近藤さんの本ですもの、買って読みました。3回読んだ。赤ペンひいて。読書ノートも書いた。自慢している。
読み間違いかもしれない。でも私なりの正直な感想です。ご了解下さい、近藤康太郎先生。(よし、間違っていない笑)
おなじみ長文、そしてネタバレ覚悟です。
チャラくない
まず思ったこと。
タイトルは「宇宙一チャラい仕事論」とありますが、内容は全然チャラくないんです。表紙と帯の文章が軽いと思いました。
毎日をご機嫌にする?コレ軽くない?
だから、中身はチャラくないんだってば!
では、このギャップはどこから来るのか。その検証のために、まずは本の概要から始めたいと思います。
<仕事>とは
著者は言います。「<仕事>が楽しい人がハッピーな人です」
でも、世の中に楽でおもしろい仕事なんか、ない。
ではどうする?
面白くするのさ。人から与えられたものなんか面白いもんか。
「自由」「自発」だよ。
<勉強>とは
ライターのアウトプットは書くこと。そのためにはインプットしないとダメ。枯れる。インプット、それは読むこと。<勉強>とは本を読むこと。
そして自分を変えるのだ。転がる石になれ。
<遊び>とは
<仕事>と<勉強>だけでは不完全。合間に<遊び>が入らないと。<遊び>とは、つまり、興味のあることをどんどん行なうこと。真剣に遊び尽くせ。
大三角形
この<仕事><勉強><遊び>を結んだ大三角形が永久に循環する。それが幸せ・・・つまり、ご機嫌でナイスなのだ。
内容はこんな単純なものではありません。
ここからは、「私がなぜ、チャラくないと思ったか」
汗で書いている
ここに書いてあること。
それは「近藤康太郎を形作っているもの」だと思いました。「近藤康太郎のなり立ち」というか、いかにして、近藤さんが近藤さんになったのか。「これが近藤康太郎だ!」とでも言うような。
どうやって育ってきて、どうやって<仕事>をして、<勉強>して、<遊んで>きて、今、そしてここにいる、ということが書かれています。ライターとして「人の何倍も書いてきた」など、下手すると、自分がやってきたことの自慢とでも取れるような。
そして、
著者は「自分の肉体で分かったこと」しか書いていないのです。そして、分かるまでの道は、絶対に楽な事ではなかったはず。
<仕事>では、だれにも簡単にはできない努力、勇気、苦労があった。<勉強>の読書量。かないません。<遊び>なんか、どれだけ極めるのだ。狂っているとしか思えない。
その努力や苦労を思うから、私はこの本がチャラくないと感じたのです。
なぜチャラいのか
では、著者が「チャラい」と付けたと思われる理由。
もちろん、手を抜けというわけではありません。こうも言っています。
なるほど。
もう一つの理由。
そっか。つまり、この本はチョコレートにくるまれているのだ。
だから、「チャラい仕事論」なのだと私は理解しました。しかも「宇宙一(うちゅういち)」。大三角形は夜空に耀く。
自分の「骨」を知る
頭が疲れてきましたので、ちゃらんぽらんなことを言っているかも分かりません。結論に持っていきたいと思います。
第4夜は「事故」つまりアクシデントが人生を分けるという話。
第5夜は「異常」
ここに、私が最後に心つかまれた話があります。
自分の「骨」!
グッときました。私の骨は何だ。探せたのか。
さきほど、この本は、著者の肉体で分かったことしか書いていないと言いました。つまり、どうしてもライターのことが標準になる。
でも、さすが、そこでは終わりません。こうして、表現者のみならず、私たちすべてに熱いメッセージを送ってくれています。
勇気が出ます。
近藤氏の著書は、心を揺らす言葉がいきなり来る。応援してくれていると感じる言葉です。
もっとある。
最後に
ひょっとしたら、「近藤氏だからできたこと」と思われたかも分かりません。そのとおりです。だって、近藤氏は「自分の肉体でわかったこと」しか書いていないから。
でも、究極の実践から生まれた真実の言葉は、普遍的であるはず。
だから、今度は読んだ人がここから、それぞれの道で、幸せの大三角形<仕事><勉強><遊び>を循環させるのだよ、と著者は言っている。
と私は思いました。
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ふー、やっと書けた。
でも伝えきれません!間違って伝えているかもしれないので、本を読んで下さい。
近藤師匠、宣伝しましたが、ネタ、詰め込み過ぎで、すみません!
*ヘッダーは隣町の棚田。田んぼを耕し続ける著者に敬意を表して。