オリヴィエ・ペノー=ラカサーニュ「アントナン・アルトーの特異性」
・凡例
1. 以下はOlivier Penot-Lacassagne, « Singularité d'Antonin Artaud », 『europe』N° 873-874, Paris, Centre National du Livre, janvier-février 2002/nouvelle augmentée 2008, pp. 117-127の全訳である。
2. 本文中のローマ数字はガリマール版のアルトー全集からの出典を示す。
3. 原注は書誌情報と補足的な引用のみなので訳出しなかった。ペノー=ラカサーニュの参照した二次文献は以下の通り。
Jean-Luc Nancy, La communauté désœuvrée, Paris, Christian Bourgois éditeur, 1986. (ジャン=リュック・ナンシー『無為の共同体――哲学を問い直す分有の思考』西谷修・安原伸一朗訳、以文社、2001年)
Jacques Derrida, Foi et savoir, Paris, Seuil, «Points/Essais», 2000. (ジャック・デリダ『信と知 たんなる理性の限界における「宗教」の二源泉』湯浅博雄・大西雅一郎訳、未来社、2016年)
オリヴィエ・ペノー=ラカサーニュ「アントナン・アルトーの特異性」
アントナン・アルトーの名前は、多くの場合、彼の狂おしい貧困を覆い隠すための船首の形を取るようにアルトーの名前を仕立て上げる支持者の言説に対する保証としての役割を長らく果たしてきた。これらの欺瞞は、その時間の中で、聴き取られるべきどよめきに聴き取り得ないものを探し求める悠長な読者たちを刺激してきた。その欺瞞は時間と共に、もはや語られることのない逸話の地位を獲得した。事実、このいかがわしい熱意は自殺に追い込まれたのだ。アルトーについて書くことは、つい最近まで後悔と無数の大袈裟な身振りを強要するものではなかった。
私たちがついにその終わりを認める『ロデーズからの手紙』と『パリへの帰還の手紙』は、まったく確実にこの進展に貢献した。『手紙』群がヴェールを剥いだ節度のある憂慮は、多くの読者を当惑させた。巻を追っていくごとに、もはや「神秘的な精神錯乱」の診断は満足させられないように見えたし、その「精神錯乱」は精神病院の時期を相続した上でアルトーの確実な立場を追放するために非常に都合のいいものだったのである。監禁の年の前後で、その錯乱を再び読むことはつまるところ彼の信仰の変容を捉えるために同じく必然的なものとして現れた。したがって、アルトーの書いたものについて、それを読み、豊かにし、含みを持たせることの行為を根本的に再び一新する包括的なある視点の可能性が開かれたのである。少なくともそれは信じられた。なぜなら、この特異な作品を分割して、アルトーについての言説の真理として信じられているものを掘り起こすための作品のこれこれの瞬間を特別扱いすることの誘惑は大きかったからである――誘惑自体が、以上のことにとどまっている。
ところで今日、重要なのは作品を硬化させることなく、その横断においてアルトーの作品を検討することであり、また作品がその相次ぐ変容においてヴェールを剥ぐものについて偏見なしに自問を続けることである。これはアルトーすべてを考えるうえで仮定すべきであり、喜んで読む人であろうと読むことを拒絶する人であろうと同じことである。そして、今なおひどくほのめかされたままの批評についての本質的な問いが現れる。
グノーシス主義的な感性について、アルトーの思考は病の問題によって支配されている。1924年5月のジャック・リヴィエールに対する手紙で形成された、狡猾なデミウルゴスの仮説――「病はどこからやってくるのでしょうか、これは本当に時代の空気、空中に漂う奇跡、宇宙的で悪意のある驚異、新しい世界の発見、現実の拡張なのでしょうか?」(I*, 41)――は、アルトーが自問を中断するであろう根源的なある腐敗の謎に対する現在の精神的な病に結びついている。このラディカルな抽象性の直観的な同一化(「私たちの存在における、この存在と共に私たちが破壊しなければならない『神』の余儀ない侵入」、「生の解決しえない汚染」)はアルトーに当時の人々にとっての、ある「救済」の可能性を開き、また約束する。アルフレッド・ジャリ劇場と残酷演劇はこの問題の特異性を示すことを試みるだろう。
その評価の古い最初の方では、アルトーが発明し、また再構築した原型的な舞台は他人の中にあるものではなかった。つまり、それは「あらゆる舞台の本質的な舞台」なのである。神話的な基盤に結び付けられながら、舞台はある生誕の記憶を集めていく。つまり、「意味の根源的な鈍化としての」、神の生誕とアルトーの生誕、私たちの生誕と東洋の生誕である。『手先と責苦』の著者は、この根源の問題的な直観に、非常に特徴的な屈折を与えている。グノーシス主義的なデミウルゴスの張り出した形状はその根源に決定的であるが、アルトーは根源の重要性を変えてしまう。進路を変えながら、この変容は根源の不安定な形状をかわるがわる悪意のあるもの、無力なもの、やさしいもの、でたらめなもの、ぼんやりとしたもの、血迷ったものにする。しかし、錯誤を無視することから、大量で複雑な世界の宇宙論とヴィジョンが生じているのである。これらの変容はアルトーの絶え間ない移動を証言しており、また彼の信仰の急速な進展を提示している。無限に対する関係において、無限性を含み込むことに対する無能力を自白する以前(1943~1945年)に超越論的でさえあるものの運動であるアルトーの思弁的な想像力は「可能性の極限」(バタイユ)に達することを望んでいた。そして、『ロデーズの手紙』の持続的な異常な緊張感においてこそ、アルトーの「神秘的な」構築物は解体され、形而上学的な幻想は暴露される。根源は突然解体され、忘れ去られるべき寓話、モティーフとなる。「精神は猿」(XIX, 99)であり、デミウルゴスであり、「狩られるチンパンジー、そしてその愚昧を引き受けることをとばっちりによって望んだ者である」(XIX, 143)。
ここで始まる追い越しの暴力は究極の身体とアルトー固有の言語について頻繁に語る注釈の対象だが、その暴力は今日それ自身を保持している魔術的な思弁について行き詰まりを生み出す。ところで、『手紙』群のページにおける作品に対する突然の変化は分節されえないアプローチを要求している。それらを特徴づける明白な繰り返しは亀裂、断絶、批評が常に行使してきたことが残念でさえある神秘的な精神錯乱の臨床的な診断がかつて覆い隠してきた本質的な幻滅を生み出す。事実、時折認められる解釈の否認は、覆い隠すことの影響のために、私たちの目にアルトーの規範性を打ち立てる信仰のラディカルな体験を持っている。「信じるとは何か?」はアルトーの著作に置かれている主要な問いとして残されている。しかしこの問いの全体は初期から最晩年までヴェールがかかったままであり、ほとんど拒否されていて、おびただしい言説に抗するある限界が執拗に躓いてしまうように作用する「社会の自殺者」のイメージによってぼかされているのである。
・「信仰とは何か?」(ニーチェ)
病の謎に直面していないアルトーのテクストは存在しない。「ジャック・リヴィエールとの往復書簡」は周知のように、謎の表明を素描し、謎のラディカルな異常性を疑いながら予感している。彼のあいまいな神秘主義によって、アルフレッド・ジャリ劇場は無限性との密接な関係を維持した。ロイスブルーク、ヤコブ・ベーメ、マルティネス・ド・パスクァーリの名前は、アルトーとブルトンを分かつ舌戦でマルクスとレーニンのそれに対立し、病の謎にモチベーションを照らすとともにアルトーが追求した『演劇とその分身』の試論の完全に達成されなかった意味作用である「精神的革命」を与えるものであった。
このように、20年代から30年代に点在する形而上学、精神、魔術、伝承の言葉は、しばしばアルトーを免れさせ誤解を呼び起こす蒙昧主義の印象を与える。例えばシュルレアリストは、彼らと共に「キリスト教時代の終わり」を宣言する人間の偽の「回心」を厳しく非難した。
今日、この悪党、我々はこいつに反吐を催す。我々はなぜこの悪人が回心のためにこんなにもぐずぐずしているのかが分からないし、あるいは恐らくヤツが言うには、キリスト教の告解をするのに二の足を踏んでいるんだ。(I**, 241)
ブルトンとその友人に彼が回心したと思われた正統的な教義から離れて、しかしながらアルトーは多くの犠牲を払って混乱を保つ暗中模索の表現を用いた。アルトーの使う言葉は形而上学的な不安を打ち明けており、恐らく不器用ながら、その言葉は無限性について有能な精神がその中に住まう善と悪に立ち向かうために打ち立てられる計画と普遍性を示していたのである。
1927年のアルトーが持っていた「救済」についての言説は、感覚の脱-境界の中で目もくらむような氾濫の10年後を認識するだろう。アルトーが強調する非正統的な多義性の語は、肉体的な完全性、取り戻された健康、彼に優越しなければならないひとつの現実、救い出すべき世界、発明すべき意味と達成すべき(神的な)創造の約束を20年代の時点でもたらすものである。ここで救済の観念が含む贖罪は再-創造、回復、浄化の意志と切り離せない。生命を救うことや、世界を再び作り出すこと、生を回復することはこのようにアルトーが第一の残酷演劇に割り当てた機能なのである(1945年から宗教的な可能性が死にかけていたであろうこと、回復の観念は「罪深い」ことであること、病と「生の剥奪状態」が高い評価にあったことは疑いがない。苦しみはもはや犠牲的ではなく、肉の「受苦」は十字架に解体される身体の「痛みの意志」となる。さらに、アルトーは信仰の覚醒と反抗が彼方にまで続く「救済」の幻想においてそれを保持する限りで、「人間-身体」は苦しみに属すると考えていたのだろう。彼が放棄しなかった二つのモティーフである破滅と贖罪の他の解釈はただちに必要とされており、それらは痛み、救済と健康と混ぜ合わせられる)。
*
自然と生が一体となっているメキシコの魔術的自然主義のテクストは、アルトーを1937年夏のアイルランドに導く犠牲の場面に先行している。その瞬間はキリスト教的波乱前夜をやわらげ、メキシコのエピソードはアルトーを演劇的な舞台から解放する。常に「いかにして人間の生が堕落するか」(VIII, 238)を探し求めながら、彼は「意味の手触りの試金石」を作ることをインディアンのタラウマラに要求した。同時に意味に達すること、その具体性に行きつくこと、変容するに任せること、それらはアルトーがついにヴェールを剥いだことによって触れられるのである。しかし、この意味の体験は彼に拒否されてしまう。犠牲の原始的な体験を回復する以前に無傷に偽られた人々の祭りは、アルトーに「触れる」ものではなかった。思弁的な認識は生まれなかったのである。アルトーが自分に似た姿を認めたインディアンは根源的なピュシスの啓示をもたらさなかったのだ。彼が立ち会った踊りにおいて、しかしアルトーは根源的な堕落の激しい劇化と「治癒の古い科学」(V, 202)のしるしを見て取った。
このダンスの輪の中に世界のひとつの歴史がある。(…)ダンサーは入っては出ていき、しかし輪を崩すことはない。彼は病の中にあえて前進していく。ダンスの上の方で、病をデッサンするかのようなリズムに乗ってダンサーは輪にある種のぞっとするような勇気でもって突入するのである。(「ペヨトルのダンス」、IX, 45)
未だ非理性に屈することなく、逆に理性の限界と漂流を強調しながら、アルトーは執拗さとともに人間と神の非常に原始的な凝集の分散したしるしを集めていく。単一の文化や、コロンブス以前の伝統に関する散文は世界の感性の修復を許すこと以前に優越する知識を保護したと推測されている。しかし永遠のインディアン的な贖罪人の道は実りのないものであることを明らかにした。世界のアルカイックな記憶は消え去ってしまうように思われる。そしてこの忘却――この神話の無-意味あるいは中断――は単に世界の意味のある一時代の終わりであり、アルトーはカオスと一般的な無意味なものの中に丸ごと人間性を投げ込んだのである。
この瞬間はもっとも重要である。1937年の最初の月にアルトーが取り入れた犠牲的な立場は突然の神話世界の衰えに由来する。すべての観念をすっかり一新した自我の犠牲はこの意味の破壊を中断し、神の秩序に直面したアルトーの誓約を反復する。絶対性の問題は彼が生きている世界の試金石の極限にアルトーを導く。アルトーが言うには、人間は「現実の本性について誤る」のであり、この錯誤は彼が今償うべき「罪」なのである。
1937年春に彼を捉えた激しい興奮は部分的に神話的な幻想からアルトーを引き離した。しかしその興奮は彼を熱狂的な神秘主義と恐るべき影響の終末論的なメシアニズムに投げ込んだ。キリスト教主義者のように振舞いながら、アルトーはこの世界の破滅を予言した。その破滅する世界とは彼が示す今の「アンチキリストの世界」であり、アルトーは新しい現実の到来を告げた。自分で精力を注いだと言う「使命」によって、アルトーは人々によって選ばれた人間、生誕が神の刻印に印づけられた存在のように現れた。その人格において神の力能を同化させながら、アルトーは創造の神秘に参与した。アイルランドで、アルトーはアンヌ・マンソンに向けてこのように書いている。「あなたは私を信じなければなりません。私は断言しますが、なぜなら人間はまったく喜んで神の秩序に従うわけではないからです。超絶的な力に押しやられ、私は私である者を発見し、私たるものを承認することで死ぬのです。キリストの声は毎日生と死の教義、生誕と受肉の神秘を私に教えます。ああ、私は、私は、いかに世界が存在しているかを知っていますし、私は皆にそのことを明らかにする使命を受け取っていますし、途方もなく恐ろしい神秘についてこそ、キリストは事物の破壊の王であり、生における病を理解する人間の共犯者となる者であるということを私は言っているのです。」(VII, 215、1937年9月13日、強調引用者。)
彼が失墜に打ち勝ち、無限性についての認識を解放するための卑劣な人間的共同体の上にある「形而上学的英雄」に上り詰めることによって、アルトーの直観力は神の秩序への忠誠を表明している。批評はややもすれば、1945年4月の有名な否認のあとでアルトーがかすんでしまって、批評が安堵と共に観察する疑わしい神秘主義を議論するあまり、神的なものを自分のものにし、具現化することにアルトーを導く自我の本質化を無視してしまう。「私が窓から一致、聖体、神とキリストを投げ出す、いわゆる受苦の日曜日」(XI, 120)。ところで、この決心はアルトーのエクリチュールの身振りを中断する。それは論理的な悪化と1937年から1945年の間に起こり、神秘的な信仰からアルトーを解放する変容を徐々に消し去るものである。晩年の巨大なテクスト群に属するモティーフの数々は、メキシコからの帰還に始まる神聖さ、清廉さ、観想者、純粋さの試練において展開される。この試金石について用心深い沈黙を守り、臨床的な言説の便利なヴェールを投げ捨てること、それは逆に不安定で、形を変える意味作用と展開を把握し理解することを混ぜ合わせる立場を見きわめ画定しなければならないとしても、驚くべき引っ込み思案を開陳する。この仕事は途上である。それはある言葉の意味を使うと、「もっとも明晰でもっとも曖昧」、つまり宗教のそれなのだ。ジャック・デリダの誤った指摘から、私たちは「言葉の最小の信頼性」を信じ、「私たちは言葉の前-理解を信じ(なければならず)」、「もし話すことができると思われている言語を横切って『宗教』という言葉を言うことの公的な何らかの意味を私たちが持っているなら、私たちはそれを使えるだろう」。しかしこの問いについて私たちが見せる保証は明白である。アルトーにとって、係争的な語の限界は彼が形而上学的暴力を試みる思弁的想像力の問いなのである。問いが伝える信仰の身振りはぐらつき、宗教の可能性は折れてしまったのだと今や言わねばならない。1945年春の否認は、ある種のやり方で、弱った想像力が固有の無能力を告白する思弁的な高まりの限界として現れる。というのは、神の裁きにおけるデミウルゴスの発明にアルトーを導く「信じること」の変容を正確に分析することが重要だからである。1948年5月の死に至るまで観察される断絶と転覆は、彼方を指し示すイメージと言葉の剔抉と疲弊に起因している。維持されているイメージと言葉の契りは部分的に無効になる。しかし、それは単に部分的である。アルトーの「無神論」にラディカルな特異性を付与する他の部分の信仰は問いを投げ返す。1945年に乱暴に解体された信仰は神の教えと選択、清廉さ、神聖さの体験を追放した。そして、有限性の試金石は人間の合目的性として立ち現れる。
・「私は私であるところのものである」(XXIII, 472)
1937年から1945年の間の予言的でグノーシス主義的な神秘思想の展開は、世界の新しい虚構を解放する。自らが伝染的であることを望む特異的な声は神的なものと人間の共同体、公的な現実化と変容について語る。人間性はその原理と終末において神的な本質である。それは宇宙、神、事物に一致する。
人々の中のキリスト、アルトーはこの運命の大きさを彼を理解しようとする者に呼びかけた。なぜなら彼は意味に達した人間であり、真理の道そのものだったのだから。ロデーズの往復書簡は真理を保証し証言する選択的な適性を実行に移している。臨床的な診断はこの常軌を逸したパロールに対する「証言の体験」を縮減してしまう。しかしながら、契りが求める信仰の身振りが通常とは異なる社会の紐帯を結ぶことにおいて、福音のメッセージの構造をまねた言説に信仰の身振りは基礎づけられる。「私はこの世界に存在しない」、「私は胸いっぱいの愛であなたがたに対して働きかけます」(X, 212)、「私はあなたがたを愛しています」、「私はあなたがたを気にかけています」(p. 218)。彼の宛先に「私である他者」、「私が信じるもの」を信じるよう要請しながら、「人が奇跡を信じるように」、アルトーは信仰の困難で険しい道に彼自身がついていくために、日常生活で諦めることを受け入れる心の男性と女性の共同体を考えている。1944年2月29日のロベール・ベッケル宛の手紙を抜き出した続く引用は、共同体への欲望の例を提供してくれる。
私の友人関係の多くは失われてしまったとあなたに言いましたね。大地の上の大きな家族、すべての上にある愛、慈悲、憐れみ、純粋さを持つ人々である家族を愛し作り上げた私たちみんなのこと、私たちがある日契りを結んだことをあなたに思い出させたかったのです。――この契りは私たちを再び結び付け、みんなを再び出会わせました(…)し、生きていけないほど、到底まずいことどもが結局私たちの前に現れたとき、私たち全員は全員によって新しい空を打ち立てるのです。(X, 218-219)
この宗教的で神秘的な共同体のモティーフは過ぎ去ってしまうだろう。家族、文学者、想像力は他のモティーフに入れ替わる――呪われた詩人、「心の娘たち」、社会の自殺者。神秘的な寓話の密告を生み出す口実のもと(素朴ではない形で)特権的である精神的な家族は、アルトー主義的な信仰と対照的な運動を詳述している。家族は真理を約束すること、次いで呪うこと、破談にすることの難しさを提示しているが、それらはすべて同じくらい並外れていて信じがたいことなのである。
信用の失墜にもかかわらずアルトーにおいては不変であるのは、幻想における信仰について、信じることの可能性が潰えていないことである。しかしながら、少しずつ根源の地位は崩壊しつつある。だんだんと信仰はもはや見えない他者性に根拠を置くものではなくなっているということである。危険な存在論的神学を追いかけながら、アルトーは彼が神の上に広げた鏡をたたき割った。思弁的な認識のアポリアにぶつかったあと、彼は固有の真理となり、しかし同じく彼は普遍的な真理になったのである。つまり、作り上げられた形象、模範的な特異性、奇形化と啓示の力能。
否
否、それは信用に値する事柄ではないし、それを言う私そのものなのだ、
つまりそれはその事柄があてもないところからやってくるために信仰が充分であると考えることをやめるものなのだろうか?
それはヤギ(訳注:原語はircineで、フランス語にない。近いのはアイルランド語のhircineで、これを借用したと考えられる)の狡猾さ、苦しみ、苦しみにおけるピクリン酸性の事柄である、
否、
のろさと厚み、
愚かさと無気力、
愚劣、
ピクリン酸は小さいおまんこのために。
信じる前と考えられた後になされねばならない、
これはゲキ怒(訳注:原語はiracitéで、フランス語にない。ラテン語iraからの借用?)の事柄である。(XXIII, 496-497, 1946年9月)
1937~1945年の魔術的発明は最初の錯誤を反復し、前-生誕を叙述し、神の-後の深淵を調査するものである。あいまいで不可知であると言われている神性は、そこでは明晰である。しかし、「純粋」、「純潔」、「超然」(X, 125)であることを切望するアルトーは、少しずつ存在の有限性を自覚していった。正義は絶えず動きながら、決して「超越論的純粋の内在的純粋」ではありえないだろう。
有限性が新たな絶対性として構成されたとき、アルトーは無限性の執着から離脱していた。存在の陳腐さに本質性を注ぎ直すことなく、その本質性からアルトーを免れさせる暴力的な離脱である。意味を奪いながら、アルトーの神は衰える一方で神は死んでいなかった。この衰弱はアルトー主義的主体が神の観念を干上がらせ、自我においてその固有の終末を発見することによる否認と名付けられる。しかし、否認されたデミウルゴスは啓示の中断のあとに続く。この否認(現代無神論が大きな問題とする)は未完成のままの脱出口の運動の端緒となる。転回におけるこの幻滅について、アルトーは聖霊の認識に「想像的な闇」(XXII, 167)の無知を置き入れている。
お前自身をお前が知ってはいけない。
偶然性なしに
俺は絶対の無知にとどまる。
俺は理解しない、俺は知らない、俺自身を。
(XX, 270, 1946年5月、強調引用者)
俺というものは何も知らず
俺を決して定義しないであろう
何ものかを作り出すために
常にあくせく働いている。
(XXII, 149, 1946年6月)
俺を俺は知らない
そして俺は絶対的な死の静寂に還っていく。
(XXIII, 471, 1946年9月、強調引用者)
*
知ることはアルトーの誘惑である。メキシコで、アイルランドで、ロデーズで、彼は知ることを信じ、もはや人が待つことのできない知性を信じた。信仰なしには、約束も受難もありえなかった。しかし晩年、アルトーはこの誘惑に打ち勝ち、信と知が奇妙にも結びつくことを理解した。そして、自我に関する未刊の体験は、たとえ離脱が単に野蛮で、わいせつで、悪意に満ちて、獣じみた転回による崇高、天使、生まれ出る聖性の転倒でしかないとしても、生まれ出てくるものである。
俺は力を愛し、天使ではなく野蛮さを自らに感じる。(XVII, 48)
俺は内在性ではないし、精神の内在性のケツを犯してやる。(…)なぜなら内在性は神の残り滓だからだ。(p. 69)
俺は一匹の獣だ。(XVIII, 67)
事物は今、かつて、そして未来、常にみんながみんなの乱交パーティーによって俺が今、未来、常に存在する残忍な野蛮の身体を作り出す。(p. 86)
この解放、あるいは「常に切迫した修繕の意志」(XIX, 137)はアルトーを「神の裁き」に向かって謎のように開く。しかし、ここで言いたいこととはなんだろうか?自我の意志と表象としての苦しみと痛みからの解放ということが言いたいのだろうか?失われた創造の反射としてのこの世界の憎しみからの解放なのだろうか?意味に縛られた他者は神の裁きと訣別することを要請し、良い意味で病を立て直すのではなく、知と信の外側で、あらゆる弁神論を解放する。問題なのはもはや意味を苦しめることでも、再創造を望むことでも、世界を達成することでもない――その世界とは、それ自体が神の書物なのではないということをアルトーが証明したものである。「ドラマの表現の円環」を閉ざすことにけりをつけ、「本質なしに存在すること」、「固有のものとして終わりを置くこと」、「存在に縛り付けられたものを与えること――そして存在には何もない」。
この要求――どんな呼びかけも先行せず、どんな問いも決定しない新しい応答可能性――はアルトーの晩年のテクストを横断している。この限りで、「人間に試金石を置く」(XXIII, 381)人間は、単純に人間と言われるのである。
俺は解決不能な問題を克服できなかったり、今人間に対する無限性を縮減できなかったりしたために9年間仕事をしてこなかった。(…)でももう、そんなことは些細な問題だ。(XXIII, 376 ; 1946年9月)
・解題
オリヴィエ・ペノー=ラカサーニュは新ソルボンヌ大学(旧パリ第3大学)の教授で、専門は20~21世紀フランス文学、特にアルトーです。今回テクストに選んだアカデミア雑誌『ユーロープ』(ロマン・ロランが創刊)のアルトー特集で私も初めて知った人なので詳しくは知りませんが、今回翻訳した「アントナン・アルトーの特異性」からもうかがい知れるように、フランス現代思想の流れを汲みつつ手法としてはオーソドックスな文学研究に則っている印象です。
このテクストでアルトー研究的に注目すべきなのは、恐らく日本では荒井潔先生(防衛大学校准教授)が断片的に取り上げている程度であるアルトーの信仰の問題を中心に扱っているところでしょう。フランス語で10頁ほどの短い論文ですが、「ジャック・リヴィエールとの往復書簡」から当時(2002年。ガリマールから主要作品を集めたQuatro版が出るのが2004年なので、20年前はアルトーのアーカイヴ編纂に依然探求の余地があったと考えられます)では最新の研究成果であった『ロデーズからの手紙』の詳細な検討まで、主にアルトーの書簡作品を中心に彼の信仰の問題が論じられます。
「狡猾なデミウルゴス」とペノー=ラカサーニュが呼ぶ「ジャック・リヴィエールとの往復書簡」の引用部(ここでは引用されていませんが、往復書簡第三部のアルトーからの最後の返信に見られる「上部にある(supérieur)悪意に満ちた意志」もここに関わると思われます。これについては熊木(2007)が詳しいです)が棄教寸前までアルトーのテクストの内在的な問題に関わっていたという読解も驚きですが、興味深いのは初期~中期にかけて信仰の問題が根深く病からの回復や救済への意志に繋がっていたという指摘です。アルトーの精神疾患が色濃く表れているテクストって実は時期を絞れて、初期のリヴィエール往復書簡、『神経の秤・冥府の臍』から病の言及は(細かい書簡を除けば)1937年以降にジャンプするんですよね。20年代後半はシュルレアリスムとの対決や『芸術と死』、『チェンチ一族』や『貝殻と牧師』などの演劇・映画実践、『演劇とその分身』など、かなりがっつり(テクストにアルトー独特の異常性は認められるものの)舞台関係のテクストが多くなります。ペノー=ラカサーニュは、初期と後期の病に対する態度の変化(「否認 reniement」)の根底に信仰の問題を置くことによって演劇実践が中心の中期を取りこぼすことなくアルトーの年代的なエクリチュールに一貫性を持たせています。ロデーズ収容以後も、アンヌ・マンソンへの自らをイエス・キリストと同一視する手紙から宗教的内在性を徹底的に批判する最晩年の手記まで、極めてラディカルな転回の運動が見られます。形而上学や魔術への傾倒は『演劇とその分身』で一度頂点に達し、その後内省的な解体を経て身体一元論的唯物論へと向かうというスタンスをペノー=ラカサーニュは取っているように見えます。
今後の課題として、何度か出てくる無限性(illimitéとinfiniの訳し分けを迷い、後者を無限性と訳してお茶を濁しましたがどちらも辞書で引けば単に無限です)の問題は探求しがいのあるテーマかなと思いました。『ロデーズからの手紙』に無限と永遠のモティーフは出てきますが、これが棄教によって有限性(あるいはそれによる単に人間としか言いようのない存在者の境界画定)へと収斂していくというのはまったくない視点で勉強になりました。
基本的にひねくれたフランス語ではありませんでしたが、やはりところどころ複雑な構文や名詞の意味が把握しきれない取りこぼしはかなりあるかと思いますので、なんとなくアルトー研究の大雑把な雰囲気を掴んでいただくことの一助になればと思います。
春休みは修論を書きつつ『ユーロープ』の翻訳をできるだけやりたいと思っています。まあ一人じゃやらないからというスケベ心が7割ですが。次回はイヴリーヌ・グロスマンの「〈俳優〉」かカミーユ・デュムリエの「アルトー、その生」を訳そうかと考えています。生ぬるく見守っていただければ幸いです。