予知

予知とは案外誰にでもできるものだと思う。

人がわかりやすく理解するために言えば、私は霊能者かもしれないけれど、実のところは人よりちょっと味覚のすぐれた人や、視力の良い人と同じで、ある感覚に対しての敏感さがあるだけである。

私は他人から悩み事や問題解決の相談を受けるけれど、誰に対しても率直にお答えするとは限りません。それじゃひどいじゃないかと思うかもしれませんが、少し本質のお話をしましょう。

例えば、ある問題を抱えて毎日泣いて暮らす人がいるとします。私はいくらでも慰めることができるし、共感することも、もっとこう思いなさいよとたしなめることもできます。人はたいていこのうちのどれかを選択しますよね。

でも私はまず先に、その人が笑って喜んでいる姿を頭の中に浮かべます。その人がそうしている未来を自分の想像の世界に呼び出すのです。

それがどうしても見えないとき、先ほど書いた通りの慰めること、共感すること、窘めることをしても、その未来へ行かないことがわかります。

「ああ、そうか。今のこの人の深い闇の中にある感情は、笑っている幸せな未来に続く道が今はまだないのだ。」とその時は思います。ですから、かける言葉もしてあげられることもその時のタイミングでは、一つもないのです。

ですから、なにかが急に動き出すまで待ちます。ただ黙って待つこともあれば、動かせるところを動かして待つこともあります。その人の笑っている顔が頭に浮かぶようになるまで。

予知とはこのようなことなのです。

例えば、私が魚屋さんだとします。そして、ある人がお肉を買い求めてやってきたら、私は要望に応えることができません。「どうしても何とかしてほしい」と困った顔をされても、「お肉屋さんへ行ってください。」ということしかできません。それと同じことなのです。そしてもし、その人が魚を食べてもお肉を食べても満足しない人なのだと知っていたら、私は満足させられないことがわかるのです。そして、いつかその人が魚を買い求めに来てくれる日が来たら、喜んで要望に応えようとするのです。それと同じことなのです。

今日、2年ぶりの人から連絡が来ました。嗅覚が弱くなりストレスに感じていて、一度カウンセリングを受けたいとのことでした。

私はよく、匂いで知らせを受けたり気付きを受けることが在ります。それは例えば、ベッドに寝ているときに、ふと塗香のにおいがしたりアロマのにおいがしたりします。近くにそれがあるわけでもありません。そして例えば、亡くなった方の写真を見ながらご供養をしようとしていると、その人のにおいがしたりします。ただ部屋の椅子に座っているときに腐ったようなにおいを一瞬感じたら、それは成仏していない霊が来たことがわかります。そして近くにあるわけでもない食べ物のおいしいにおいを感じた時には、それを食べた方が良いのだと分かります。

それはおそらく、知るべきことを知ろうとする私の感覚を研ぎ澄ませた結果なのだと思います。これも予知なのです。

すると嗅覚が弱いことの原因は、免疫力だとか、蓄膿ではないかとか鼻炎ではないか、花粉症ではないかなどの前に、もっと根本的な原因が私にはわかります。その人は私と真逆で、今目の前に在るものの匂いすら感じられなくなっているということです。これは単にソース(根本)とのつながりが弱くなっているということがわかります。その繋がらなくなった原因はその人の思考の中にあるなにかです。

ですから、医療、薬、食事などで根本的な解決にはならないのです。もちろんそれらが必要であるのは違いありませんが。

私がもしその人のカウンセリングを受けるなら、最初に考えることはまず、「蓄膿ですか?鼻炎はありますか?花粉症ですか?」「睡眠不足ではありませんか?」「空気の悪い所にいつもいますか?」ですが、それだけで済ませば、耳鼻科に行った方が良いですね、薬や漢方は試しましたか?ビタミンミネラルが足りていないかもしれませんね、とアドバイスすることになります。

でも、私は目の前にないものの匂いを感知する敏感さがありますから、きっとその人は何か目の前のことに敏感になれないのであろうと薄々と感じます。そして、その人の日頃の環境や悩みを聞くことが一番大事だと分かります。そこにしかヒントがありません。

そうして、今あるストレスが軽減されたその人のほっとした顔をイメージして、そこに繋がる道を探すのです。その道にいることで、必要なもののイメージや匂い、言葉や原因が、徐々に浮かび上がってくるのが推察能力と言えます。

予知とは、必ずしもそれが現実化するわけではなくて、それが現実になる可能性があるから察知するものであり、そこから予知した未来に行くのか、予知した未来を防ぐかなどを、自分の意識と行動で選んでいくものなんです。


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