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あまり熱心な読者ではないけれど、内田百閒が好きだ。 何度も繰り返して読んでいるのは「阿房…
ある写真家についての随筆を読んでいたら、その写真家の思想はシオランに通じるという。 シオ…
拝啓 あまりの暑さに茫然としているうちに、7月も終わろうとしています。御身体の具合はいか…
拝啓 葉のうえにそそぐのが霖雨ではなく沛雨であることにため息がこぼれます。折節の移ろいは、もはや来し方の趣なのでしょうか。 向田邦子が「う」の抽斗を大切にしていたように、あなたも大きな「お」の抽斗をお持ちのようですね。ただ、書評というには身構えて、読書感想文には想念多く、推薦図書も出たとこ勝負、ならば読書日記にしてしまえ。誰でもすなる日記といふものを、われもしてみむとてするなれば、継続こそが力なり。 約150日分、すべて拝読しました。それで、あなたが高原英理『詩歌探偵フ
ティリー・ウォルデン『are you listening? アー・ユー・リスニング』を読む。 伯母の家にク…
石坂洋次郎編『津軽』(方言詩・高木恭造、文・石坂洋次郎、写真・小島一郎。復刻版) を手に…
1931年の冬の日、オーストリア・アルプスの麓で、壮年のエッガーはふとした予感から、山小屋で…
福永祥子詩集『立方体の空』を読む。 瑞々しい言葉と懐かしさを覚える言葉が混ざり合い、不思…
「批評の神様」とよばれる小林秀雄を読んでみたい。しかし、レトロな表紙の文庫本『モオツァルト・無常という事』は何だか難しそう。大学入試センター試験で読んだ批評『鐔』はチンプンカンプンだった。それでも、何だか気になってしまう。 なぜ小林秀雄に惹かれるのか。歯に衣着せぬ物言いでバッサバッサと対象を斬り、飛躍した論理も何のその、高尚な逆説は小気味よく、あまり意味は分からないけれど、どこか分かったつもりになってしまう。そんなカタルシスを感じたい。かつては、そういう読者も多かったという