鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎 感想(1) 水木しげると横溝正史
もう先月のことになるがアニメ映画「鬼太郎誕生ゲゲゲの謎」を見てきた。
鑑賞後に想ったことをつらつらと書いてみる。考察なんてものでもない感想文だと想って読んでいただきたい。
この「鬼太郎誕生」は言うまでもなく水木しげるの代表作「ゲゲゲの鬼太郎(墓場鬼太郎)」をベースにした物語。
鬼太郎の第一話「幽霊一家」よりも更に前のストーリー。前日譚となるお話。
当初は公開館数も多くなかったが、口コミによって評判が広まり入場者数が激増。大人気作となった。
その内容は、
財界の有力者であり、製薬会社の龍賀製薬会長龍賀時貞の死から話は始まる。血液銀行に勤める水木は龍賀製薬の担当者であり、時貞の娘婿である克典と昵懇の中。
このまま行けば克典が龍賀製薬の実権を握る可能性大である為、この機会に更に取り入って出世の足掛かりにする為、龍賀家が住む山深い村、哭倉村へ向かう。が、そこで起きる猟奇殺人事件に巻き込まれていく。
という様なお話。
原作にも登場する水木しげるをモデルにした「水木」という男が主人公。更には目玉おやじになる前の鬼太郎の父親も登場。
人気の秘密はまずこの二人の関係性。お互いに初めは反目しあっていた二人が次第に心を通わせ一つの目的に向かって共闘関係を結ぶというバディものとしての要素。
そして、鬼太郎のアニメ化にもかかわらずレイティング指定をしなければならないほどの、陰惨なドラマ展開といった所。
更には、その底を繋ぐラインとして「墓場鬼太郎/ゲゲゲの鬼太郎」という巨大バジェットが存在するという仕掛けも大きな要因だろう。
更には水木が太平洋戦争で兵役につき、南方戦線に駆り出された帰還兵であるという設定。
上官は理不尽な扱いを受け、満足に食料も与えられる、挙句に死んで来いと命令を受けた。そのせいで沢山の戦友が命を散らし、自信も顔に傷を負いながら帰って来た。
だからこそ、彼は生きる事、この理不尽な世界で何をしてでものし上がるという暗い情熱を抱えているという。
これは水木しげる自身の戦争体験、及び彼が著わした「総員玉砕せよ」等を代表する戦記漫画などをとりいれたもので、水木というキャラクターの造形に厚みを与える要因の一つだ。
でも、この辺の事はもうさんざんっぱら指摘されている事なので今更触れるには及ばないだろう。
なので個人的には別な要素をもう少し掘り下げたいと想う。
これに関しても指摘は「金田一的な展開」「横溝正史的な世界設定」と紹介されている文章は見るのだが、では「横溝正史的」というのがどういったものなのか。そこをもう少し掘り下げたい。
横溝正史、金田一耕助シリーズと聞いて連想するものと言えば何か。
やはり、村の因習やしがらみ。それを底支えする封建的な社会やその制度。これらに起因した猟奇殺人という所ではないだろうか。
「本陣殺人事件」「獄門島」「犬神家の一族」「八つ墓村」等など。
確かにそれは横溝正史作品の内で非常に重要な要素である。でも、横溝正史の作品には重要な要素がある。それは戦争だ
明治大正の頃から、西洋文化が日本に渡ってくる過程で探偵小説、推理小説というジャンルも愛好家が少なからずいた。
横溝正史という人もその内の一人で、探偵小説を出版する編集者として、また、書き手としても関わる事となる。
が、太平洋戦争がはじまり、様々な娯楽分野が検閲や自主規制に晒されることになる。
人が殺され、それを娯楽とする探偵小説も又、その対象とされてしまった。
つまり探偵小説を読むことも出版することも書くことも、憚られる状態が戦争によってつくられてしまったのだ。
正史自身は江戸時代を舞台にした「捕物帳」を書くことでどうにか糊口をしのいだものの、大好きだったカーやクイーンやクリスティの様な本格ミステリを書くことは出来なくなってしまった。
更に横溝正史という人は身体が弱かったらしい。なので、太平洋戦争で徴兵を受ける事はなかった。赤紙は免れたのだ。
ただ、その事によって肩身の狭い思いもしたらしい。男たちは皆戦争に行ってるのにお前は何故行かないんだ……と、直接いわれないながらもそのような圧を感じながら生きる事になった。
だから正史は戦争が嫌いだったし憎んでいた。勿論、当時はそんな事言える状況にはなかったが。
更にそのような状態に居ながらもどうにかいきていたが、大戦末期。空襲を逃れるために知り合いの伝手を頼って岡山のある村に疎開することなったのだ。
その先で田舎特有の因習や習俗、よそ者に冷たくする閉鎖的な人間関係などを見聞きした。
(※因みにこの時に岡山の津山地方で起きた凄惨な大量殺人についての新聞記事を読んで衝撃を受ける。言うまでもないが八つ墓村のモデルとなった津山事件である。
犯人は結核を患っており正史と同じ様に徴兵を免れていた。そして事件の遠因はそれが一つだったともいわれている)
これによって田舎の封建的な村社会の事も嫌いになった。
都会で生まれ育った正史だからこそ、それらに対する違和感や嫌悪感を激しく感じたのかも知れない
そして、敗戦。戦後に正史は純和風の本格推理小説として「金田一耕助」シリーズを発表する。
その代表作「獄門島」「犬神家の一族」はどちらも共通している点がある。
それは村の有力者一族の跡取りが戦争に取られることによって、お家騒動が起きるという内容だ。他の作品にも戦争の影がつきまとうものがある。
これを先の事と結びつけるとどういう事が言えるか。
つまり自分の苦手だった、嫌だと感じた物二つをぶつけ合わせたということになる。が、更に、その部分を深堀してみよう。
昔の封建制度から言えば、跡取り後継問題というのは基本単純で、長男が継ぐというものだ。長男は家長の次に偉いということになる。その権力は絶対的だ。
一方、明治以降の日本にとっては富国強兵を旨として西洋列強に並ぶために西洋の様式やシステムを社会に取り入れた。それは近代国家として日本が成立する為の必要事項だった。
その最たるものが、軍隊であると言える。
昔の日本の様に武士階級が兵士として戦うのではなく、男なら誰でも兵士になり得る。
ある意味平等で徴兵というのは最たるものだ。
つまり、明治以降の戦争=軍隊=近代の象徴と捉えることが出来る訳だ。
つまり横溝正史が描いていた内容というのは、近代的な制度に基づく軍隊、戦争が封建制度に突き当たる。もっと単純に言えば、近代が前近代を打ち崩すという構図になっているという事だ。
戦争という近代の象徴が、封建制の象徴たる家制度にぶち当たりきしみを上げる。
その崩れ行く様の立会人が金田一耕助ということになる。