現代思想とサイエンス・ウォーズ(基礎力向上ゼミ【6/14】レポート@ソトのガクエン)
皆さま、こんにちは。ソトのガクエンの小林です。
先日(6/14)の基礎力向上ゼミのレポートをいたします。
今回は、Mさんがリーダー(reader)となって、岡本裕一朗『フランス現代思想史』(中公新書)の「プロローグ」の部分を読みました。
Mさんが丁寧なスライドを作られ、とてもすっきり整理していただいたおかげもあり、参加者の皆さんとさまざまな議論をすることができました。
僕からは、本書にある「ソーカル事件」について、そこに論じられていない事件の背景や経緯についてお話ししました。(金森修『サイエンス・ウォーズ』参照)
金森氏はソーカル事件について、現代思想が科学理論や概念を恣意的に用いて、ナンセンスな文章を書き連ねているという短絡的な批判、単なるポストモダニズム叩きに終始してしまうのではなく、科学者の側も他分野からの多様な意見に耳を傾け、人文科学とともに学問知や自然科学を巡る建設的な対話をする機会ともなりえたはずであった、にもかかわらず、「矜持と揶揄、欺瞞と愚弄という驚くほどの人間味をあらわにした戦争になった」(102)と指摘しています。
参加者の方からも、なぜ現代思想は数学や物理学の概念を安易に使ってしまったのか、彼らの共通の問題意識が西洋近代の批判にあるならば、近代主義の最たるものである科学理論をなぜ利用したのか、という疑問が挙がりました。
本書からこれに対する応答を探すと、科学理論を用いて箔をつけるため、「「難解」だからこそ崇拝され」るためという理由が挙げられていました。しかし、そもそも「構造主義」というものが当時、科学の一部門として扱われていたこと、ベルクソンやサルトルなど人間の主観性や意識性に着目するフランスの伝統的な哲学的傾向に対する対立意識があったこと、さらに言えば、ブランシュヴィックや新カント主義に始まり、バシュラールやカンギレム、そしてアルチュセールやフーコーへと続いていく、フランス・エピステモロジーの文脈といった、戦後フランス思想における多層的なレイヤーを考慮することによって、現代思想と科学理論との関係について、もっと正確な理解ができるのではないかという話をしました。
他にも、現代における哲学・思想的分野の市場や予算規模の大きさという点では、中国の国家的なプロジェクトが注目されるといった話題など、ここに書ききれないほど多くの話題が議論され、今回のゼミは結局、気がつくと2時間を超過してしまっておりました。
ご参加いただいた皆様、お疲れ様でした。
次回(6/21)は、Fさんがリーダーとなり、「第1章 レヴィ=ストロースの「構造主義」とは何か」(14頁~49頁)を読みます。本書全部を全員で読む必要はないかと思っておりますので、フーコー、ドゥルーズ=ガタリ、デリダの章あたりを読み終えたら、ただちに浅田彰『構造と力』に向かうことになるような気配です(最近、電子書籍化されたようですね)。
***
現代思想コース/哲学的思考養成ゼミ(@ソトのガクエン)は、参加者を募集中です。参加ご希望の方は、サークルのページ、ソトのガクエンのPeatixもしくはホームページにて詳細をご覧ください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?