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【基礎ゼミレポート】ラ・ボエシ『自発的隷従論』#02 人はなぜ不自由から逃れようとしないのか?【ソトのガクエン】

こんにちは、ソトのガクエンの小林です。
今回は、『自発的隷従論』(ちくま学芸文庫)16頁から21頁まで読み進めました。※前回のレポートは下記です。

自由への欲求が勇気を与える

自らの自立を守るために戦う自由な軍と、その自立を妨げようとする軍が同数対峙するとした場合、前者の方のモチベーションの方が高く、「支配に対する自由の、征服欲に対する自立への欲求の勝利」(17)となるのは明らかだろうとラ・ボエシは述べます。ただし、モチベーション面では正しいとはいえ、実際に自由を勝ち取ることができるかどうかは別問題です。

自由はただ欲すれば得られる

圧制者が国民を圧制することができているのは、国民がそれに合意しているためであるのだから、国民が隷従に合意しないかぎり、その者はみずから破滅する。にもかかわらず、人々は、自ら圧制者に隷従することを望んでいるように見えるとラ・ボエシは述べます。

「隷従か自由かを選択する権利をもちながら、自由を放棄してあえて軛につながれているのも、みずからの悲惨な境遇を受けいれるどころか、進んでそれを求めているのも、みな民衆自身なのである。」(18)

こうした状況は、ブラック企業に勤めつつ、苦しい状況に置かれているにもかかわらず、また、可能性として辞めることができるにもかかわらず、辞めることができないというような、現代の私たちの生き方にも当てはまる論点だと思います。
おそらくは、苦しい状態に置かれているときには自由は与えられておらず、しかし、ここを辞めたところで、自由が与えられる保障はありません、また、実際に辞めて自由が与えられたとしても、その自由が望んでいる物であるかどうかも分からない。そのような状況にあって人は、自ら進んで今の状況を打破しようという気持ちが生じないのではないか、という話を参加者の方々と議論していました。

こうした議論は、「健康」は病気になって初めて欲せられるものであり、いざ病が完治し、健康になったときにはもはや欲しかった「健康」は消滅してしまっている、というエピクロス的なロジックに近いかもしれません。
あと、参加者の方から、善と悪は二項対立として捉えることができるが、自由と不自由は二項対立として理解できないために、自由ということについて概念化することが難しいのでは、という意見があり、とても納得いたしました。

圧制者と民衆は相互的関係にあるのみならず、圧制が強くなれば、隷従も同時に高まるように相互的過剰の状態にある。そんななか、ラ・ボエシの問いは、なぜ民衆は自由を欲しないのか、自由とは何なのか、なぜ自由を欲しないようなメカニズムに陥っているのか、という問題に向けられていくことになります。

次回は、6月20日(火)22時より、『自発的隷従論』21頁「民衆hが隷従を甘受している」から読み進めていきましょう。


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