バス
兄は自宅近くのバス停から、隣町の高校に通っていた。
山口県の片田舎。川沿いの県道を走るローカルバスに乗って。
運動嫌いで、チビ・デブ・そして若ハゲで、幼いころから近所の子供たちと遊ぶよりも、自室で本を読むのが好きだった兄。
それから30年近くの時差はあるが、同じバスで通っていたのが、今をときめくYOASOBIのAyase。稀代の才能を持つAyaseと、変わり者で、友達も少かっただろう兄。
その兄が死んだ。孤独死だった。
職場から、2週間ほど連絡が取れない旨、連絡があったのが二か月ほど前。
管轄の警察に連絡したところ、自室で亡くなっていた。
監察医により、死亡が確認されたのは深夜のことだった。
腐敗が酷いため、検死の結果本人であることが判明したのは、兄が通っていた歯医者に歯形を確認して頂いた結果。歯医者さんにはこんな業務もあるのだな、と初めて知った。
警察に呼ばれると、如何にも修羅場を潜り抜けてきた屈強な刑事さんに、
「この度はご愁傷様です」と丁重にご挨拶を受けた。
少なからず動揺を受ける私に対し、刑事さんは、仕事柄、動揺が見受けられない。
社会を守るために訓練された人は、肝の据わり方が違う。
兄の亡くなった部屋に、遺品整理屋と共にむかう。
既に遺体は処理されているものの、強烈な腐臭が周囲に漂っている。
遺品整理屋の心遣いか、自分は部屋の中には入れなかった。
葬儀は東京で行ったが、田舎に住む高齢の母と弟たちは参列できず、私一人がお参りした。
葬儀屋様の心遣いか、腐敗の酷かろう遺体を見ることは無く、火葬まで一切をお任せできた。
お骨になった兄を飛行機で実家に運ぶ。
飛行機会社は、気を遣って隣の空いた席をとって下さり、兄のお骨を旅客者用の席に置かせて下さった上に、客室乗務員は、「お連れ様にもシートベルトをかけてください」と、
「遺骨」ではなく「お連れ様」と扱って下さった。
“人は死んでもいろいろな人の世話になっている。
決して一人で生きてはいない”
機上の放送でイヤホンで流れていたのは偶然にもYOASOBIの曲だった。
人は生まれながらに、それぞれポテンシャルが違う。
何万という観客の前で、シンセを奏でるAyaseと、たった一人で亡くなった兄。
まるでそれぞれが、この世に「役割」を持って生まれてきたようだ。
兄が大学生の頃、珍しく楽しそうに見せてくれた旅行の写真がある。
そこには、おとなし気な数人の若者と、妙にはしゃいだ兄の姿があった。
今頃、次の人生をどう生きているだろうか?
願わくば、勉強も運動も人並みでいいから、笑顔の多い人生を送っていて欲しい。