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出町ガジェット通信

BASSDRUM京都オフィス「出町ガジェット」

東京・乃木坂を拠点に活動していたBASSDRUM(ベースドラム)は、京都在住のスタッフの増加や、メンバーが場所を変えて働くリフレッシュ拠点を用意することをきっかけに、三年前に出町エリアのとある町家で、新オフィスとして構え始めました。

出町エリア


ふらりと訪れる人が集まり刺激を得つつ働ける「寄り合いどころ」を目指してオープンしたこの「出町ガジェット」は、偶然にも、かつて薩摩藩士たちが集まり、議論を交わした幕末の歴史が色濃く残る建物でした。
私たちはこの地の物語を大切にしながら、現代の共創型の働き方に寄り添う空間づくりに挑戦しています。

今回は、私たちBASSDRUMの京都の拠点となる『西村家』が培ってきた歴史を、ご紹介させていただきます。

商人と幕末志士が紡いだ町家の歴史

西村家町家(出町ガジェット)


京都市内の今出川通と寺町通が交わる一角に静かに佇む西村家町家。 その起源は1700年代初頭まで遡ります。 丹波屋安兵衛が「京都御所の商人」として創業し、美濃・土佐・加賀など全国各地から上質な和紙を取り寄せ、宮廷や寺社へ奉納し続けてまいりました。

幕末になると、政治や社会の大変革が京都を中心に動き出します。
西村家は、志士たちが密かに集う拠点ともなりました。後の内閣総理大臣となる薩摩藩士・黒田清隆が寄寓し、大久保利通も近隣に居を構えていたことから、ここは維新に向けた交流の場として機能していたのです。一説には、坂本龍馬が訪れたという記録も残っています。
西村家周辺は薩摩屋敷や長州屋敷が存在し、志士達が自然と集まる環境にありました。

建築に息づく時代の記憶

西村家の母屋は、元治元年(1864年)の禁門の変で焼失しましたが、その年のうちに復元されました。この母屋には、町家特有の設計である「通り庭」や「準棟纂冪(じゅんとうさんぺき)」と呼ばれる木組み技術が用いられ、京都の町家建築文化を体現しています。 通り庭の吹き抜け構造は通風や換気を確保するだけでなく、火災時の延焼を防ぐ防火機能も考慮された合理的な設計でした。

通り庭(手前)
通り庭(奥)
準棟纂冪(じゅんとうさんぺき)


明治2年(1869年)、御苑内にあった明治天皇の母方実家である中山家からお茶室(離れ家)を譲り受け、建物内に移築しました。譲り受けたお茶室は、時代を超えて当時の記憶を伝える貴重な空間として、現在もこの建物に存在し続けています。


お茶室(襖側)


お茶室(棚側)

未来へ向かい続ける場所

「出町ガジェット」を運営している建物は、300年以上町家の姿を保ちながら、時代に合わせて新たな役割を担ってきた空間です。18世紀から幕末にかけては京都御所の御用商人として宮廷文化を支え、幕末には薩摩藩士たちの次の時代を見据えた議論を議論する場にもなりました。 私たちBASSDRUMもこの「伝統と未来が交差する」場所を新たなコミュニティやビジネスを育む拠点として大切に育んでいきます。

現在の様子

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