Richie Kotzen「wave of emotion」

80年代にエディーヴァンヘイレンの登場後、ロックギターは「テクニック至上主義」になった。

更にイングヴェイマルムスティーンが現れると、ロックギター界はその「テクニック至上主義」がピークを迎えることなる。

シュレッド系のギターレーベル「シュラプネル・レコーズ」から続々と「テクニックや速弾き」を強調したギタリストが現れることなる。

そういった「シュラプネル系」のテクニカルギタリストはメインストリームではないが今も普通に活動している、ポールギルバート、イングヴェイマルムスティーン、グレッグハウ…とはいえ当時は(80年代)はテクニカルギター全盛期で「シュラプネル・レコーズ」以外にもそういったギタリストが現れていた。

自分が最も聴いたシュレッド系のギタリストはリッチーコッツェンだ。

登時テクニカルギタリストはイングヴェイから影響を受けた「ネオクラシカル」的なスタイルが多かった(例えばインペリテリとか)

しかし彼の音楽性はいわゆる「ネオクラシカルメタル」とは遠く、ソウル、ファンク、R &B、ブルース、ジャズ、フュージョンなどを取り入れたもので、シュレッド系のギタリストでは珍しい音楽性だった。

そして彼は歌がめちゃくちゃ上手い、というか声が凄く良いのだ。

こういった声色は日本人にはなかなか出せないと思う「黒人のソウル歌手」的な。

彼は現在までたくさんの作品をリリースしているが一枚挙げるとしたら「wave of emotion」になる。

この作品は彼特有の、ソウルやファンク、R &B的な要素が最も強い作品だと思う、「slow」という作品も後に出すが同じ様な作風であるが、かっこいい。

この作品ではギターソロは控えめに楽曲重視に作られた感じがある、歌のメロディが良いが、何よりこの作品の聴きところはリッチーのヴォーカルだと思う。

とはいえ最後の曲「strobe」ではアランホールズワースのようなギターを弾いた曲があるが、ハイブリッドなフュージョンといった感じだ。

ジャズでは「オルタードスケール」「コンビネーションオブディミニッシュスケール」「ハーモニックマイナースケール」「ホールトーンスケール」等を多様する、そこら辺のスケールを弾いているのかもしれない。

そして自分はマイケルジャクソンやプリンスのようなファンクやソウルやダンスミュージックのような「黒人的」なジャンルには苦手意識があった、ギターもソロなく(ないこともないが)「歌メロ」もなく「踊っているだけの音楽」という勝手なイメージがあった。

「スリラー」のプロモーションクリップを見た時

「何だろう?このわけのわからない音楽は、絶対聴かねぇ」

などと思ったが(笑)

ジャンルは少し違うが、ジミヘンドリックスの良さも最初はよく分からなかった、ギターが歪んでいてロックではあるが、ジミヘンドリックスの音楽性はストレートなロックではなく、やはりファンクやソウルの要素がある、黒人ならではの「タメ感」とか、そこら辺が最初はよく分からなかったのである。

正直マイケルジャクソンやプリンスのようなジャンルは今でも苦手だか、リッチーコッツェンというミュージシャンを通すとなぜか聴ける、まあゴリゴリのファンクやR &Bってわけじゃないからかもしれない、基本ロックということもある、ギターソロやリフも存在するからかもしれないし、メロディありきだからだろう。

しかしこの作品は全然売れなかったらしい、全く世間一般には認識されていない作品だが…

もともとリッチーコッツェンはポイズンというバンドにいて

「何故メタル系のギタリストが、ソウルやファンクのような音楽をやるんだ?」

などとレコード会社の人間から思われ、この作品は(も)あまりプロモーションされなかった。

何故彼の一連のソロの作品が売れなかったかは「90年代とリッチーコッツェン」という記事で書いた。

「天才だが、現れたタイミングが悪かったなぁ」

と勝手に思ってしまった。

彼はジョンコルトレーンの「giant steps」がどのように演奏されているか分析したらしい、恐らくスタンリークラークとフュージョンユニットを組んだ際だと思うが。

「change」という作品に「unity」という曲がある、コルトレーン風のビバップをギターで弾いるが、こんなギターを自分でも弾いてみたいものである。

リッチーコッツェンというミュージシャンは歌の上手さ、様々なギターのスケールを使い、音楽性も幅も広い、とはいえ彼の曲は基本メロディがあり、聴きやすく難しい感じもない、彼の作品はあまり売れていないので知られていないが、多くの人に届くような曲もある。

そんな理由で今だに彼の作品を聴いている。

1996年作品

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