藤宮蒼一

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Richie Kotzen「wave of emotion」

80年代にエディーヴァンヘイレンの登場後、ロックギターは「テクニック至上主義」になった。 更にイングヴェイマルムスティーンが現れると、ロックギター界はその「テクニック至上主義」がピークを迎えることなる。 シュレッド系のギターレーベル「シュラプネル・レコーズ」から続々と「テクニックや速弾き」を強調したギタリストが現れることなる。 そういった「シュラプネル系」のテクニカルギタリストはメインストリームではないが今も普通に活動している、ポールギルバート、イングヴェイマルムスティーン、グレッグハウ…とはいえ当時は(80年代)はテクニカルギター全盛期で「シュラプネル・レコーズ」以外にもそういったギタリストが現れていた。 自分が最も聴いたシュレッド系のギタリストはリッチーコッツェンだ。 登時テクニカルギタリストはイングヴェイから影響を受けた「ネオクラシカル」的なスタイルが多かった(例えばインペリテリとか) しかし彼の音楽性はいわゆる「ネオクラシカルメタル」とは遠く、ソウル、ファンク、R &B、ブルース、ジャズ、フュージョンなどを取り入れたもので、シュレッド系のギタリストでは珍しい音楽性だった。 そして彼は歌がめちゃくちゃ上手い、というか声が凄く良いのだ。 こういった声色は日本人にはなかなか出せないと思う「黒人のソウル歌手」的な。 彼は現在までたくさんの作品をリリースしているが一枚挙げるとしたら「wave of emotion」になる。 この作品は彼特有の、ソウルやファンク、R &B的な要素が最も強い作品だと思う、「slow」という作品も後に出すが同じ様な作風であるが、かっこいい。 この作品ではギターソロは控えめに楽曲重視に作られた感じがある、歌のメロディが良いが、何よりこの作品の聴きところはリッチーのヴォーカルだと思う。 とはいえ最後の曲「strobe」ではアランホールズワースのようなギターを弾いた曲があるが、ハイブリッドなフュージョンといった感じだ。 ジャズでは「オルタードスケール」「コンビネーションオブディミニッシュスケール」「ハーモニックマイナースケール」「ホールトーンスケール」等を多様する、そこら辺のスケールを弾いているのかもしれない。 そして自分はマイケルジャクソンやプリンスのようなファンクやソウルやダンスミュージックのような「黒人的」なジャンルには苦手意識があった、ギターもソロなく(ないこともないが)「歌メロ」もなく「踊っているだけの音楽」という勝手なイメージがあった。 「スリラー」のプロモーションクリップを見た時 「何だろう?このわけのわからない音楽は、絶対聴かねぇ」 などと思ったが(笑) ジャンルは少し違うが、ジミヘンドリックスの良さも最初はよく分からなかった、ギターが歪んでいてロックではあるが、ジミヘンドリックスの音楽性はストレートなロックではなく、やはりファンクやソウルの要素がある、黒人ならではの「タメ感」とか、そこら辺が最初はよく分からなかったのである。 正直マイケルジャクソンやプリンスのようなジャンルは今でも苦手だか、リッチーコッツェンというミュージシャンを通すとなぜか聴ける、まあゴリゴリのファンクやR &Bってわけじゃないからかもしれない、基本ロックということもある、ギターソロやリフも存在するからかもしれないし、メロディありきだからだろう。 しかしこの作品は全然売れなかったらしい、全く世間一般には認識されていない作品だが… もともとリッチーコッツェンはポイズンというバンドにいて 「何故メタル系のギタリストが、ソウルやファンクのような音楽をやるんだ?」 などとレコード会社の人間から思われ、この作品は(も)あまりプロモーションされなかった。 何故彼の一連のソロの作品が売れなかったかは「90年代とリッチーコッツェン」という記事で書いた。 「天才だが、現れたタイミングが悪かったなぁ」 と勝手に思ってしまった。 彼はジョンコルトレーンの「giant steps」がどのように演奏されているか分析したらしい、恐らくスタンリークラークとフュージョンユニットを組んだ際だと思うが。 「change」という作品に「unity」という曲がある、コルトレーン風のビバップをギターで弾いるが、こんなギターを自分でも弾いてみたいものである。 リッチーコッツェンというミュージシャンは歌の上手さ、様々なギターのスケールを使い、音楽性も幅も広い、とはいえ彼の曲は基本メロディがあり、聴きやすく難しい感じもない、彼の作品はあまり売れていないので知られていないが、多くの人に届くような曲もある。 そんな理由で今だに彼の作品を聴いている。 1996年作品

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      Blankey Jet City「不良の森」

      「不良の森」という曲はブランキー最後のオリジナルアルバム「Harlem jets」に収録されている。 この曲はシングルでもないしベスト盤にも収録されていない、しかしプロモーションクリップは制作されている、ブランキーの中では外せない曲だと思う。 浅井健一はこの曲の中で1人の不良少年を作り出してその心情を歌詞に書き出している。 「不良は空を見上げ、麻薬をやり続ける、思いは世界平和」 浅井健一の描く不良少年は(前にも書いたが)「純粋だが、残酷な一面を持ち、1人ぼっちの寂しい少年」なんとなくだが、そのような感覚を覚える、世間一般のステレオタイプな「不良」とは違う。 「不良」というと「ビーバップハイスクール」や「ろくでなしブルース」に出てくる登場人物を思い浮かべるかもしれないが(古い)しかしこれらの漫画に登場する「不良」はなんだかんだで根はいい奴らだったりする。 自分が高校生の時、ダルク(薬物中毒を更生する施設)の人が講演に来てくれたが、その人は中学生から先輩のすすめで薬物をやり、喧嘩したり、ろくに学校にも行かず、刺青をいれ、高校生からヤクザの事務所に出入りするという、筋金入りの「不良」だったが、薬物中毒になり施設に入ることとなる、そして「薬物がどれだけ人の人生を破壊するか」を話してくれた。 治療は受けたが、今でも薬物をやりたくなり依存性は完治しないらしい、皆さん薬物はやめましょう。 「汚れた心があることを、でもそれは美しいことなのか」   自分が思うに人間の性格にそう大差はない気がする、生まれながらに100%悪人などいないと思うが、生活環境によってどこかで捻じ曲がってしまったのかもしれない、殺人のニュースは絶えないが…「人は人を殺してはいけない」のはみんな分かっている。 たまに「何で人を殺したらいけないんですか?」などという人間がいるが…問題外である。 最近は死刑になりたいが為に、敢えて重い犯罪を犯す人間も出てきたりするが、世の中一見、物に溢れて豊かそうに見えるが、実はそんなこともなかったりする、そういった「絶望型犯罪」の根本の原因は何だろうか、難しい問題だが…世の中や自分の未来に希望を見出すことができなくなったのかもしれない。 「いつかは皆んなが好きになる、嬉しさをくれるから」   人と人が集団になったり、グループになったりするとあまり良いことがない、いじめや対立関係を生んだりするからだ、学校だけでなく、会社でもそうだったりする「あいつがちゃんとやらないから…」「あの部署のせいで…」「彼は、彼女は…」等キリがない。 人を同じ部屋に集めて集団化させ、教育したり、仕事をさせたりするのは軍国主義の名残らしい、そこら辺は詳しくはありませんが、気になった人は調べてみて下さい。 しかしかと言ってずっと1人だと誰かと話したくなったり、寂しさを感じたり、人間ずっと1人ではいられないもので、ヒトというのは難しい生き物である。 …この曲は10分以上あり、長いが終盤は浅井健一がギターソロを弾きまくっている、アコースティックギターも聴こえる、ギターを3つぐらい重ねて取っているようだ。 そして前作「ロメオの心臓」では中村達也のドラムも奥に引っ込んでいたが、この曲ではドラムの音が全面に出ていて良い感じだ。 やはりこの曲のポイントは浅井健一の詩だが、感じ方は人それぞれだと思う、「暗く、悲しい」感じはあるが、巷に流れている、いわゆる「大衆的なJ-pop」とは確実に違う曲だ。 この曲を聴いて気に入ればブランキージェットシティというバンドの他の曲も好きになるだろう。 しかしこの曲の世界観が受け入れられないというのは=「ブランキーはあまり好きではない」ことが確定すると思う。 何故ならこの曲が受け入れられないのなら「悪い人たち」や「鉄の月」「ディズニーランド」等、他の曲も受け入れられない可能性が高いからだ。 ブランキーは直球のロックバンドでもあるが、だからと言って「ヘイ、ベイビー、ロックンロール!」などと安易な表現を中心にしていたバンドではないのはこの曲を聴けば分かるはずだ。 「不良の森」はよく言われる浅井健一の「文学性」が発揮されたブランキー後期の名曲である。 …そしてもう1つ、自分はミッシェルガンエレファントも勿論好きだが、ブランキーの方が聴いた回数はやはり多い、ブランキーとミッシェルの違いの1つはミッシェルには「不良の森」のような曲がないからかもしれない。 「鉄の月」や「悪い人たち」のような曲もない、他にもそういった曲はある、ブランキーとミッシェルは似ているようで全く違うのである。

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        John Coltrane「giant steps」

        ジャズのテーマメロディとして定着している曲に 「枯葉」「いつか王子様が」「朝日のように爽やかに」「take five」「on green dolphin street」…等がある。   スタンダードの中にはジャズミュージシャンが作曲したものもあるし、そうでない曲もある。 しかしその中でジャズスタンダードとして定着している「ジャイアントステップス」はジョンコルトレーン作曲である。 この曲は「究極のビバップ」 とも言われる。 マイルスデイビスの「kind of blue」とは真逆のアプローチだ、音数が多い、コードチェンジが速くその中でアドリブを取る形になる、かなりのテクニックが必要とされる。 コード進行はこんな感じ。 Bmaj7 D7/Gmaj7 B♭7/ E♭maj7/Am7 D7 Gmaj7 B♭7/E♭maj7 F♯7 Bmaj7 /Fm7 B♭7 E♭maj7 /Am7 D7 Gmaj7 /C♯m7 F♯7 Bmaj7 /Fm7 B♭7 Emaj7 /C♯m7 F♯7 そしてこの曲が「いかに革新的で凄いか?」的なことが理論を交えて説明が書いてあったが、あまりにも専門用語が多過ぎて分からなかった。 「ケーデンス(カデェンツァ)」「代理和音」「ツーファイブ」「アブェイラブルノートスケール」「I△7(ディグリーネーム)」 知っている用語もあったが知らない用語や記号もあった。 更に 「コルトレーンはバッハ以来の作曲家でもある」 とも書いてある、その説明がまたコード進行を交えた記述だったのだが…これも複雑でよく分からなかった、クラシック音楽家の影響を受けた本も読み「ジャイアントステップ」を書いたそうだが、上級者向けの内容過ぎたかもしれない。 ジャズは難しいとよく言われる、もう一つの理由は、ロックだったらペンタトニック一発で良い部分を途中で「次のコードはディミニッシュスケール」「次はハーモニックスマイナー」などコード毎に全く違うスケールを弾くことだ。 キーがC△7ならCメジャースケールでもOkではあるのだが、これがダイアトニックコードから一つはずれたら「部分転調」となり違うスケールを弾くこととなる、勿論これはロックやポップスでもあるらしいが。 「テンション」「アボイドノート」などで音を敢えて外したりする、ジャズにはポップスで使われるCやAm、Gなどのコードはそのまま使わず別の音を押さえる、しかしこの2つの言葉の意味も違うのだが。 「ジャズというのは頭でっかちな音楽だよ、音楽はあまりにも複雑になると多くの人に伝わらなくなるんだ」 とリッチーブラックモアがかなり昔に言っていたが… 本当にそんな感じだ、確かにかなり難しいことをやっているのは分かるが、ある程度理論が分かった上でないとそもそも演奏できない気がする。 自分が基本やる音楽はロックやポップスなのでジャズをやるわけではないが(無理でしょうが)自分の書いた曲にジャズっぽさを取り入れたいなぁなどと考えることはあるが。 まぁジャズに関しては 「気長に勉強していきましょう」 と言った感じだろうか。 コルトレーンは「アセンション」や「インターステラースペース」でフリージャズに染まって行ったが、理論を全て知り尽くした上で敢えてそうした演奏をしているのである。 「前衛」と称してただメチャクチャ音を鳴らしている人達とは訳が違うのである。 「giant steps」はサックス奏者の登竜門的作品だと言われる。 全サックス奏者必聴。 1960年作品。

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          Miles Davis「so what」

          マイルスデイビスの「kind of blue」の一曲目に収録されているのが「so what」である。 「kind of blue」は言わずと知れたモダンジャズの金字塔的作品である、「ジャズ」というジャンルを聴く際この作品は避けて通れないだろう。 この作品は一体何が特別だったのか? (前にも書いたかもしれないが)ビバップはコード進行があり、それが目まぐるしく変わり、その中でアドリブ取るという形になる。 しかしマイルスはそういったビバップの要素を排除し、コード進行によるアドリブでなく、スケールの音階のみ演奏するようにメンバーに求めた、演奏する音はかなり制限される。 「so what」はDm7とE♭m7のみで構成された曲で、ドリアンと言われるスケールの音階を使用している、民族音楽等で使われる音階らしい。 よってこの曲はDドリアンスケールとE♭ドリアンスケールで演奏されている。 自分は今までスケールというものをあまり知らなかったが、自分のが買った教本には様々なスケールがあり、その中でドリアンスケールが載っていた。 Dドリアンは分かりやすかった、押さえるポジションに♯や♭がなかったからだ、しかし同じスケールでもキーが変わると押さえるポジションが違ってくる為E♯ドリアンとなるとまたややこしくなる。 マイナーペンタトニックスケールでもトニックがAは分かりやすいがこれがトニックがA♭になると「やりずらいな」となる(笑) とはいえ「so what」はビバップのようにコード進行が目まぐるしく変わるわけではなく、使っているコードは2つだけだから一見やりやすいとは思ったが… しかしジャズミュージシャンの菊池成孔さん曰く 「使える音が少ない方がむしろ奏者のセンスや選美眼が問われる為むしろ難しい」 らしい。 自分が聴いた感じではマイルスデイビスという人はアコースティック期だけでなく、エレクトリック期にかけても「テクニックに頼った演奏」を好まない人ように思える。 多少例外はあるにしてもどの作品も音数が少ない、そういったこともあり、「マイルスはトランペットが下手だった」などと言われたが、全く検討違いで初めからそういった表現を求めていないだけである。 ロックギター界でも必ずしも「テクニックがあれば凄いギタリスト」とは自分は思わない、近年はもの凄いテクニックを持ったギタリストはyoutubeを見ると沢山いるが、あまりにテクニックに重点を置いたり音数を詰め込んだりすると逆に無機質な演奏に聴こえたり(自分は)する。 「so what」のピアノのイントロはジャズ界で最も有名なイントロかもしれない、音数が少ないシンプルな構成になったのはビルエヴァンスの影響があったらしい。 マイルスは 「ビルエヴァンスはラヴェルの曲を持って来たり、色々なモードについても話した、オレも彼の話すことは知っていたが、ビルエヴァンスとは気が合い、ピアノで白鍵だけを使おうか?等と話したりする内に今回のような作品になった」 と言っていた。 ドリアンスケールを試しに弾いてみたが、何となくはっきりしない音階だ、着地点がどこだか分からない、不思議な感じがした、m7系のコードに使われるらしい、ハーモニックマイナー、スパニッシュスケールなどを弾くと「らしく」聴こえるが。 m7は確かにポップスの場合曲の頭にはあまり持ってこない。 スケールを弾いている時に 「マイルス、ビルエヴァンス、ジョンコルトレーンが集まってこんなの弾いていたんだな」 と何となく彼らに近づくことができたような錯覚に陥った(あくまで錯覚です) マイルスデイビスという人はかなり計算して作品を作っているようだ、しかしエレクトロニック期のマイルスの作品は謎が解けていない部分が多い。 何十年も聴いている人にも分からないのだから、自分にわかるわけがないのだが。 この作品によって確立された「モードジャズ」はその後多くのミュージシャンが取り入れ「新支流派」と呼ばれ60年代から一般的なものになる。 しかし「kind of blue」は世界で最も売れたジャズの作品だが、普段J-popしか聴かない人は恐らく良さは全く分からないだろう。 ジャズ界で最も有名な人の最も有名な作品だから聴いてみたが、何が良いか分からずジャズとおさらばした人もひょっとしたらいるかもしれない。 簡単に良さが分からないのがジャズの面白い部分だったりする。

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          なぜ働いていると本が読めなくなるのか/三宅香帆

          「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」 という本が売れているらしい、品切れになった時期もあったみたいだ、かなり前に自分も買ったのだがこんなベストセラーになるとは思わなかった。 買った理由はタイトルに何となく惹かれるものがあったからだ、この本の中で就職すると本が読めなくなるだけでなく、「好きだった映画や音楽から疎遠になる」「資格の勉強ができない」…他にも色々書いてあるが、要は 「自分にとって人生に大切な文化的時間が奪われてしまう」 「本をまともに読めない社会はおかしい」 ということだ。 自分は本を読む時間がないわけではない、しかしそもそも、「本を読む」という行為自体が意外と気力が必要だったりする(漫画は除く) 本一冊の情報量は多い、しかもただ読むだけでは意味がなく、内容を理解しながら読まなければならないのだから、ただ読んでいれば良いという話ではない。 だから仕事で疲れて夜遅く帰って来た後、小難しい本を読むより、テレビやyoutube等の動画をみたり、ゲームをやってしまうのは仕方がないと思う(自分もその傾向がある、ゲームはやりませんが) 90年代は本がよく売れていたが、しかしその後インターネットの誕生で出版業界は下火になった。今では誰もがスマホでネット常時接続できるようになった為に「本を買う必要性がない」と多くの人が思ったのだろう。 そもそも読書する必要性はあるだろうか?自分は 「読みたければ読めば良いし、興味無ければそれで良い」 と思う。 しかし 「本を読まなければ得られないもの」 があるのも確かだ。 「成功したいなら本を読め」という内容の本も見かけるが、自分はそういった目的で本を読むわけではない、趣味の一つである、本を読む1番の理由は「楽しいから」の筈だ。 動画の中で「ノイズ」の話をしていたが実際この本を読んでみると余計な記述が多いと感じた。 しかし著者の三宅さんはむしろその「ノイズ」が面白いんじゃないかと言っている、本にも書いてあったが読んでいて「余計だと思われる記述」が多いのは「敢えて」そうしたようだ。 特に歴史的な記述が多い、明治、大正、昭和のサラリーマンはどのように本を読んで来たのかなどが書かれている、が、本が読めるようになるにはどうするかの結論になかなか辿りつかず、色々な所に話が飛んだりする。 「本を読むのはそういった「ノイズ」が楽しい」 と三宅さんは言う。 三宅さんは文芸評論家の人らしいが、元々リクルートに勤めていたらしい。 しかし本を読む時間がないということで会社を辞めた(スパッと辞められるのが凄い) かと言って会社自体は嫌いではなかったようだ。 自分もsnsをやり始めたのもあり、スマホをいじっている時間が増えた、本を買っても読まないままそのままになっていることが多い。 と言ってもnoteに何か書く際は本に書いてあることを参考にしている時があるからまあ…読んでいると言えば読んでいるのかもしれない。 そして結構どうすれば本を読めるようになるのか、 1.自分と趣味の合う読書アカウントをSNSでフォローする 2.i padを買う 3.帰宅途中のカフェ読書を習慣にする 4.書店へ行く 5.今まで読まなかったジャンルに手を出す 6.無理をしない(疲れている時は読まない) らしい。 この6つの結論に対して一つ一つ書くとえらい字数になるので気になった人は各々読んでみて下さい。 そして著者がこの本で最も言いたかったことは 「半身社会」 と書いてある、「半身社会」とは 「働きながら本を読める社会」 実現するのは大変そうだが… ここら辺から最終章が1番重要な内容な話になっています。 本だけでなく、動画の話もかなり興味深いです。

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          ジャズとレディオヘッド

          この間ジャズ喫茶に行ったらトークイベントをしていて 「ギターがジャズの現代化を図る過程を克明に追う」 というテーマでトークをしていた。    それを聴きに行った訳ではないが、イベントがあると知らずに店に入った直後に始まったのである。 話はかなりマニアックな内容だったが面白かった、しかし時間の都合上前半だけ聴いて帰った。 出版記念を兼ねていたので本を買って帰ったが(これもかなりマニアックな内容)その本の中にはギターとジャズの関係が書いてあり、(例えば)ジミヘンドリックスがジャズに与えた影響などが書いてあった。 その本の中で「レディオヘッドという黒船」という章がある。 ジャズを論じた本の中でレディオヘッドという90年代以後のロックバンドを絡めるのは珍しい。 2000年代以後レディオヘッドを賞賛し、曲を演奏するジャズミュージシャンが増えたらしい。 特にレディオヘッドの曲を取り上げているのはブラッドメルドーで「paranoid android」や「exit music」「everything in it’s right place」「knives out」を演奏している。 ロバートグラスパーなども「In my element」などの作品にレディオヘッドの曲を演奏している。 ジャズギタリストのジョンスコフィールドは 「レディオヘッドは僕が1番今を感じる音楽の1つだ、サウンドもそうだけど歌詞も気に入っている」 らしい。 この本の記述を見ると彼らだけではなく、自分が知らないジャズミュージシャン達がレディオヘッドに影響を受けたり、曲を演奏したりしているみたいだ。 こうしたジャズミュージシャンの動きを「レディオヘッドシンドローム」と書かれている。 レディオヘッドが「ok computer」や「kid A」「amnesiac」をリリースした時はメディアからかなり騒がれていた記憶がある、「ロッキングオン」なんかは特にそうだったが。 自分は当時ジャズには全く興味ない学生だった、サウンドの激しいものばかり聴いていたので、レディオヘッドの良さは全く分からなった。 確かに当時は「レディオヘッドの良さが分かると何となく感性が良い」的な空気すらあった。   ジャズに分かりやすいメロディがない曲が多い、勿論例外はあるが、ジャズは基本そういったジャンルだ。 即興で複雑なコード進行でアドリブを取るのだから分かりやすいメロディなど存在するわけがないのだ。 レディオヘッドもメロディを排除したジャンルだ、レディオヘッドは大衆ポップス的な要素を排除した「アート的な要素」「実験的要素」がありそこがジャズと通じるものがある。 なのでジャズミュージシャンがレディオヘッドのような音楽性にシンパシーを感じ、演奏したり、影響を受けたりするのは何となく分かる気がする。 多くのジャズミュージシャンがレディオヘッドを賞賛しているようだが、例えレディオヘッドに「ジャズミュージシャンですら賞賛する要素がある」にしても今のレディオヘッドを聴くなら、自分は普通にビルエヴァンスやジョンコルトレーンやマイルスや他のジャズの作品を聴くだろう。 何故なら最近のレディオヘッドの作品も聴いたが、はっきり言って退屈だと思う。トムヨークやジョニーグリーンウッドが組んだ新バンド「スマイル」も似たようなものだった。 今の彼らの曲もジャズミュージシャン達はカバーするのだろうか? 正直彼らをそこまで持ち上げる理由は自分には分からない。 更に言うなら山中千尋さんや上原ひろみさんの演奏を聴く方がよっぽど面白いし、クラシック演奏家の卓越した演奏技術を聴く方がよっぽど自分にとってはためになる。 レディオヘッドに関しては、聴かないこともないし、良い曲もあるけど周りが言うほど良いとは思わない。 ずっとそんな感じである。 動画の曲は「paranoid android」この曲はレディオヘッドの代表的な曲で「ok computer」に収録されている、気になった人は聴き比べてみて下さい。

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          Blankey jet city「ロメオの心臓」

          オアシスが再結成するようだが、ブランキーは再結成するのだろうか? 自分は再結成しないと思う。 ラストダンスが期間限定で配信されたのもあり、ネット上で色々議論がされているが、恐らくサブスクが解禁され、アナログ版が発売されるため多くの人にブランキーの存在を知って欲しいからだと思う、当のメンバー達は恐らくこの動きに対してノータッチの筈だが… 「やりたいならやって下さい」 と言った程度ではないか。 例え再結成したとしても当時の彼らにあった「スリリングな演奏」は見れないだろうし、新譜を出したとしても、「dijのピストル」「punkey bad hip」「悪い人たち」…等(他にも沢山あるが)のような曲が作れないと思う。 本人達もそれが分かっているから再結成しないのだろうし、そもそも彼らの発言を聴くと再結成そのものが「かっこ悪いこと」と捉えている気がする、しかし実際のところは分からない。 …で話は90年代に戻るが、前作の「love flash fever」から1年後1998年に「ロメオの心臓」がリリースされる、このアルバムタイトル自分的に好きだ、敢えて英語にしなかったのが良い。 今回の作品は今までのブランキーと少し違う、今までの作品はあくまで「三人の演奏から生み出される音楽」だったが、しかしこの作品では生のドラムを使わずに打ち込みを使用したことが大きく違っていたことだった。 何故打ち込みを使用したかと言うと当時浅井健一と照井利幸はナインインチネイルズやレディオヘッドを聴いていたからだ、浅井健一と照井利幸は趣味が合うらしい、音楽だけでなく好きな映画や本なども合ったようだ。 当時確かにレディオヘッドは高い評価を得ていたバンドだった、しかしレディオヘッドの「ok computer 」は打ち込みは全く使っていない、エフェクトを多用しているからそう聞こえるだけである、ナインインチネイルズは思いっきり打ち込みだが。 そもそもナインインチネイルズというのはトレントレズナーのソロプロジェクトのようなものでメンバーは固定化されていない。 中村達也はレディオヘッドやナインインチネイルズに入れ込んでいたわけではなく、サンプラーや打ち込みを導入することに違和感があったのだろう、そこでメンバーとの音楽性のズレが生じてしまう。 打ち込みやサンプラーを使用した曲は「violet fizz」「彼女は死んだ」「スクラッチ」「happy sunday morning」「ドブネズミ」「ハツカネズミ」辺りだ。 「彼女は死んだ」は照井利幸がウッドベースを弾いている曲で、Dmだけで作られた曲だ、この曲が好きな人は多いとは思うが…他の曲は中村達也のドラムを排除してまで作る必要はなかったと思う、むしろ中村達也がいつも通り叩いてくれた方が良い曲になったかもしれない。 更にこの作品はいつもよりメロウな曲が多い、例えば「小さな恋のメロディ」や「幸せな人」「君の手のひらに」だ。 個人的には「小さな恋のメロディ」や「幸せな人」より「君の手のひらに」が1番良いと思う。 「小さな恋のメロディ」はシングルだったし、「幸せな人」は浅井健一のソロでもよく演奏する曲だが、自分はそんなに、と言った感じだ、「君の手のひらに」はライブで演奏したことはあるのだろうか?ないかもしれない、個人的には「君の手のひらに」は名曲だと思う。 勿論いつものブランキーらしい曲は存在している、「パイナップルサンド」や「僕はヤンキー」「ロメオ」などだ。 「ロメオ」や「僕はヤンキー」はブランキーの定番の曲だし、これらの曲が好きなブランキーのファンは多い。 「赤いタンバリン」はブランキーの歴史の中では最も売れた曲となった、そういったヒットシングルもあり「ロメオの心臓」は約30万枚売れたらしい。 当時はCDという媒体はが最も売れた時代でオリジナルアルバムが100万枚以上も売れていたバンドは多く存在していた。 同時期に活動していたバンドの中ではブランキーはセールス的にはそこまでではなかった、しかし売り上げはどうでもいい、「赤いタンバリン」はブランキーの中でも名曲でライブでは定番の曲となった。 最後の作品となった「herlem jets」ではまた従来のブランキーのサウンドに戻るのだが、個人的にはブランキーがレディオヘッドやナインインチネイルズに「かぶれる」必要はなかったと思う。 「ロメオの心臓」はブランキーの入門盤としてはおすすめしない、良い作品だが、最初に聴く作品は「bang!」か「cb.jim」か意外と「love flash fever」も良いかもしれない。 ブランキーの作品は今まで廃盤になっていたらしいが、アナログレコードのリリースやサブスク解禁で新しくブランキーを聴く人が増えるのかもしれないが、自分は正直どちらでもよい。 ブランキーの音楽性というのは「聴く人を選ぶ」感じがあるし、良さが分かる人もいるし、分からないのならそれでいいのではないか。 今月の「ミュージックマガジン」がブランキーが表紙だったので読んでいたら 「ブランキージェットシティはミスターチルドレンのような位置にいるべきだった」 と書いてあったが。 ブランキーは本来ミスターチルドレンぐらいメジャーになるべき存在という意味だろうけど、ちょっと無理があると思う。 例えば日本にニルヴァーナのようなバンドが現れても「うるさいだけ」と見向きもされないかもしれない。 自分はミスターチルドレンもブランキージェットシティもどちらも聴くし重要なバンドではあるが。 「ロック」という音楽にこだわりがある人間ならブランキーを選ぶだろうし、かと言ってミスターチルドレンにはミスターチルドレンの良さがあるだろうし。 両バンド比べる対象ではないし、ブランキーがミスターチルドレンのように何百万枚も売れる必要はないのだ。 と自分は勝手に思っている。

          Blankey jet city「ロメオの心臓」

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          ショパン「ピアノ名曲集」

          久しぶりのクラシックだが、クラシックもジャズ同様無限の世界が広がっている。 前にも書いたが何から聴いたらよく分からない(笑) なので有名ところから聴いて行くしかない。 反田恭平さんの本の中に「ショパン国際ピアノコンクール」での話が色々書いてあったので(やたらハードルの高いコンクール)ショパンのピアノ曲を聴いてみた。 ショパンという人はポーランド生まれロマン派の作曲家でロマン派とは1810年頃から、第一次大戦開始前の1910年頃までを言う。 ロマン主義とは 「人が自分の感じる心や想像する力を自由にはばたかせ、夢見るような憧れ、高ぶる情熱、物悲しさなどを表現する思想」 …らしい。 聴いたのはショパンの代表曲が収められたベスト盤だ。 「ノクターン第2番ホ長調作品9の2」 この曲はクラシックによくある「もの悲しくも影がありかつ格式高い」という自分がクラシックの曲にイメージする要素があり、昔どこかで聴いたことがある、思い出せないが、この曲は文句なしに良い曲、これからもドラマやCM、映画などに使われ、多くの人に聴かれ続けるのだろう、彼の代表曲的な曲。 「雨だれの前奏曲」 も悲しく哀愁がある感じだが、途中同じフレーズを連打するのは「雨」を表現しているのだろうか? 「ノクターンハ短調遺作」 という曲は詩がないにも関わらず何かの物語を「聴いた」というか、「見た」感覚になる、ピアノ1台にも関わらず壮大な曲、この曲は凄い。 「英雄のポロネーズ」 という曲はテンポが速く「英雄」とつくだけあって「勇ましさ」も感じる、「ノクターン」とは全く違う作風、ポーランドの民族舞曲らしい、曲の頭だしのメロディもどこかで聴いたことがある、曲の終盤がかっこいい。 「黒鍵のエチュード」 もスピードが速く音数が多い、右手で黒鍵ばかりを弾いているらしく、この曲名がついたらしい。 「幻想即興曲ハ短調作品66」 という曲も速いが、「黒鍵のエチュード」とは違う、速いがどこか哀愁がある、「幻想」というだけあるが…どこか「明るさ」も入り混じった曲。 「革命のエチュード」 は力強い、いきなり鍵盤を強く弾く、「革命」とつくぐらいだから力強いのはそうかもしれないが、聴いていると「革命によって世界を変えた」という曲ではなく、「革命によって大勢の人々が犠牲になった」という曲に聞こえる。 「別れの曲」 はショパン本人が「自分の一生でこれほど美しい曲を書いたことはない」と語ったらしいが…自分はどちらかというと「ノクターン2番」や「遺作」の方が好きだが、しかしこの曲も良い、特に後半部分が良い。 ショパンという人のピアノを初めて聴いた時、何となくビルエヴァンスを初めて聴いた時と同じような感覚になった。 ビルエヴァンスはジャズの世界で「ピアノの詩人」と言われているが、ショパンという人はクラシックピアノの世界で「ピアノの詩人」と言われているらしい。 勿論ショパンの方がビルエヴァンスよりはるか昔に存在した人だから、ビルエヴァンスはショパンの曲を練習したことは容易に想像がつく、練習しただけでなく、かなり影響を受けたと思う。 ショパンの曲は影があり、悲しさや、哀愁のあるピアノたが、そういった作風がビルエヴァンスにも通じるものがある。 しかし自分は「ピアノの詩人」というよりは「ピアノの小説家」という感覚を受けた。 曲に物語とテーマがあり、それを音符に落とし込み曲を作り弾いているような印象を受けた。 一曲一曲が「深い」のだ。 ショパンという人の曲を聴いてクラシックの膨大なカタログから「聴ける人」がやっと見つかった感じだ。 後はラフマニノフという人で「ピアノ協奏曲第2番」はピアノ協奏曲で最も人気があり、最高傑作の1つらしく、「第3番」は世界1難しい曲とも言われている。 …この間「G線上のアリア」と「パッフェルベルのカノン」を聴いたが…(初めから終わりまで聴いたのは初めてだ)何百年前の曲とは思えない曲で、特に「パッフェルベルのカノン」はインストの曲としては最高で、これ以上の曲はないぐらいに思ってしまった。

          ショパン「ピアノ名曲集」

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          oasis「familiar to millions」

          オアシスが再結成するらしい、期間限定なのかどうかは分かりませんが、やはりこの知らせを聴いた時他のオアシスファンと同様、過去の作品群を聴きかえしてしまった。 チケットは速攻で売り切れたらしい、そういった現実を見ても、オアシスというバンドの人気の高さが伺える。 前回の記事で敢えて書かないとか言ってましたがやはり、書きたくなってしまった(笑) オアシスは2枚のライブアルバムをリリースしている、1996年に行われた「ネブワース1996」と「familiar to millions」だ。 「familiar to millions」は2000年の7月21日にロンドンのウェンブリースタジアムで行われたコンサートを収録したものだ。 曲目はベスト的な内容になっている。 「オアシス!オアシス!オアシス!」 という7万人もの観客のオアシスコールからオープニングSEの「fuckin in the bushes」が流れる。 個人的には再結成後のコンサートでもこの曲使って欲しい、ストレートなロックのインストでかっこいい、「standing〜」の一曲目に収録されている、「standing〜」はサイケデリックなロックチューンが並ぶ、今聴きかえすと「morning glory 」とは別の良さがある、コールドプレイはこう言った曲をSEには使わないだろう。 「differently maybe」からは「rockn roll star」「supersonic」「shakermaker」「cigarettes and alcohol」「live forever」が選ばれている。 「俺は俺でなければならない」 「今夜俺はロックンロールスターだ」 「(退屈な毎日で)手に入れたものは酒と煙草ぐらいなもの」 「永遠に生き続ける」 オアシスらしい曲である。 ドラムがトニーではなくアランホワイトに変わった為スタジオバージョンより締まりが良い。全て代表曲、「differently maybe」から30年だが、今のイギリスのバンドはちょっと分からない。 カサビアン、リバティーンズ、フランツフェルディナンド…悪くはないがやはり「オアシス以上」のものは感じない。 「be here now」からは「stand by me」が選ばれている、敢えてジョンレノンがカバーした曲と同じ曲名を使うのがオアシスらしい、「be here now」は批判を食らった作品でもあるが…いや今聴きかえすとそんなに悪くないと思う、この曲も「オアシスらしい」名曲だ。 「morning glory」からは「roll with it」「don’t look back in anger」「champagne supernova」「wonderwall」が選ばれている。 やはりこのコンサートのハイライトは「don’t look back in anger」の7万人もの大合唱だ。皆んなオアシスのコンサートに行く人達はこの曲を歌いに行くのだろう、イギリス国民でこの曲を知らない人はいないと思う、自分のもこれからも永遠に聴き続ける曲。 しかしオアシスの中で一番好きな曲を敢えて上げるなら「champagne supernova」になる。ライブ版も勿論良いがスタジオバージョンのを初めて聴いた時は感動したものだ、「波の音」を入れたのが正解だったと思う、この曲を聴くと20万人動員したネブワースとジョンスクワイヤの姿を思い出す。 「acquiesce」はB面に収められた曲だが、初期のオアシスはシングル以外の曲も凄かった、B面曲だけ収められた作品「masterplan」を聴けばわかる、この曲だけはリアルとノエルが互いにヴォーカルを取らなければ成立しない。 カバー曲はニールヤングの「hey hey my my」とビートルズの「helter skelter」を演奏している。 ニールヤングについてはあまり詳しくはないが「gleendail」という作品を聴いたことがある、2枚組の大作で架空の街をイメージした物語になっていてかなりの意欲的な作品だった。 「helter skelter」はポールマッカートニーが、the whoに書かれた記事を読んで影響を受けて作った曲だ「white album」収録されている、自分が初めて聴いた時「ビートルズもこんな騒々しい曲作るんだな」と思ったりした。 近年のギャラガー兄弟のコンサートでは合唱隊を使ったりしているが、出来れば最少の人数でやって欲しい、「ロックバンド」は出来るだけ人数が少ない方がかっこいいと単純に思っている。 このライブアルバムではサポートメンバーはキーボードだけだが、個人的にはそこも気に入っている。 ノエルギャラガーはコンサートでギブソンレスポールスタンダードを使っていることが多かったが、最近はあまり使っていない、「don’t believe the truth 」辺りから赤いギブソンに変わったような。 レスポールのハムバッカーの音は自分も好きだ。 そして再結成後新しい作品は作るのだろうか?「morning glory」のような作品は2度と作れないにしてもどこか期待してしまうが。 再結成ツアーは2025年イギリスとアイルランドから始まる。 …ひょっとしたら毎回お馴染みの兄弟喧嘩も(笑)

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          Yngwie Malmsteen「rising force」

          オアシスが再結成したのでそれについて書こうと思いましたが…YouTubeでそれについての動画を上げている人が沢山いるので辞めます。 トレンドとは全く違うことを。   ロックギターは3度革命を起こしている、ジミヘンドリックスの登場、エディヴァンヘイレンの登場、そしてイングヴェイマルムスティーンの登場だ。 エディヴァンヘイレンのギタープレイはロックギターの演奏レベルを上げたが、イングヴェイマルムスティーンは更にもう一段レベルを上げたと思う。 テクニックは勿論だが、彼はクラシックに影響を受けていることだ。 ロックギターにクラシックの要素を取り入れたギタリストにリッチーブラックモアがいたが、イングヴェイがストラトキャスターを使用しているのはリッチーブラックモアの影響がある、が、リッチーブラックモアはペンタトニックスケールを基本としている。 しかし彼はロック的なスケールを一度放り出した。 影響を受けたのはロック系のギタリストではなく、クラシックの作曲家、演奏家達だ。 バッハ、ヴィヴァルディ、パガニーニ、チャイコフスキー、モーツァルト、「バロック音楽」と言われるものだ。 そして彼はヴァイオリンの技術をそのままエレキギターに導入した、確かに彼以前のギタリストにそういった人はいなかったと思う。 速さの基準とテクニックが跳ね上がり、ハーモニックマイナースケールやディミニッシュスケールのスウィープアルペジオの多様が見られた。 そして彼は「ネオクラシカルメタル」と言われるジャンルを生み出したのだった。 シングルコイルから生み出されるフェンダーストラトキャスターの彼のプレイは(当時)「クリスタルサウンド」とも言われた、特に初期の作品はギターの音が歪んではいるのだが、沢山音を詰め込んでいるにもかかわらず一つ一つの音の粒が綺麗に揃っているのが聴こえる。 80年代のメタル系のギタリストでシングルコイルのストラトキャスターを使用していたギタリストはあまりいなかったような気がする、殆どのギタリストは歪みを出す為にパワーを増強させた「スーパーストラト」を使用していた。 「rising force」という作品をリアルタイムで聴いた 人はかなり衝撃を受けたと思う、今までのロックギターのスタイルと別次元だった筈だ、テクニックの面でもエディヴァンヘイレン以上だったし、クラシックの要素をここまで取り入れたのは彼が初めてだろう。 今までクラシックやジャズにテクニック的に遅れを取っていたロックギターだったが、彼の登場で演奏レベルは数段上がったのである。 イングヴェイはロックギターに革命をもたらした、が、しかし90年代に入るとグランジロックの影響で、テクニック主体のヘビィメタルは「ダサい」というレッテルを張られるようになった。 特にイングヴェイが生み出した「ネオクラシカルメタル」というジャンルは過去のものとなってしまい、メインストリームから完全に消えてしまった。 イングヴェイ本人は「そんなことはどこ吹く風か」と言わんばかりに今だに「ネオクラシカルメタル」を貫いているが、時代によってスタイルを変えるような人間ではないのは彼を知っている人ならわかるはずだ。 しかし最近の彼の作品は従来のファンにもあまり支持されていない感がある 「手癖フレーズのオンパレード」 「サウンドがデモテープ以下」 「自分で歌って予算をケチっている」 等… 自分はそこら辺についてはコメントできないが…90代にリリースされた「seven sign」はハードロック、メタルの名盤だと思うし、「alchemy」はイングヴェイらしいネオクラシカルメタルで良いとは思ったが。 最近リリースされた作品も周りがけなすほどではないと思う、飛び抜けていいというわけではないが、自分はたまに「エレキギターの速弾き」が聴きたくなる時があり、彼の作品を聴いたりする。 彼のヴォーカルはどうだろう…現在ではヴォーカルを兼任することが多いが、予算をケチっているわけではないと思うが…まぁ別にメガデスのデイヴムステインも上手いわけではないし。 確かに今の彼には「rising force」に収められているような曲は作れないかもしれないが。 しかしその時の彼のギタープレイを聴いた世界中のギタリスト衝撃を受けたのだった。 この作品の「black star」「far beyond the sun」「イカルスの飛翔」は必ず聴いてほしい、クラシックの壮厳な感じ、緊張感、メロディが上手く融合している。 1984年作品。

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          社会主義の成れの果て

          普通に働いている人で毎日会社に行っている人は「何だが毎日しんどいな」と思っている人がいると思うが、大なり小なり資本主義社会に原因がある筈だ。 資本主義社会は「果てなき利益の追求」が求められる、会社側は右肩上がりの成長を常に求め続けなければならないし、それが義務だからだ、そうなると仕事量は多くなり、労働時間も長くなり、企業間の競争も激しくなり、労働者は否が応でも大変になる。   他にも理由は沢山あるが、キリがないので、とりあえず資本主義社会の話は置いといて、じゃあ社会主義はどうだったのだろうか? 随分前の記事で「社会主義は失敗した」と書いたが、本当に失敗したのがこの動画を見るとよく分かる。 社会主義の真の目的は「皆が平等に富を分け合う」というものであった、資本家だけが富を独占する、資本主義社会から別の方法を模索したのだ。 マルクス、エンゲルスが研究を行い、レーニンが革命を起こしたが、結局上手く行っていない、それは、初めて誕生した社会主義国家だったソビエト連邦が証明した。 社会主義のパターンとして1人大きな権利を持った独裁者が生まれる、ソビエト連邦だったらスターリンだが、独裁者がやりたい放題権力を振りかざし、「皆が平等」という話では全くなく、富が権利者側に集中してしまい、資本主義社会以上の格差や不平等が生まれる。 スターリンが死去し、ゴルバチョフの登場後、ベルリンの壁が崩壊、社会主義国家は僅かになった、人間は豊かさを求める生き物でもある、資本主義側の豊かな生活を見た社会主義陣営の人々が我慢ならなくなったのだった。 しかしまだ社会主義国家は残っている。 その国の一つがキューバである。 アメリカや日本でも格差は当然あるし、自分はある程度の格差は仕方がない部分があると思うが、キューバでの格差は日本の批ではない。 動画はキューバの一般的な生活を取材したものだが物価が異常に高く、まともに飯を食えていない、病気になったらどうしようもないだろうし、家は今にも崩壊しそうだ、そもそもキューバは国として機能していない。 「キューバ革命を起こしたカストロ」というと「救世主」というイメージがあるが、実はそうではなく政権を取った後は自分や政府の上層部に対し都合の良いシステムを作り、富を独占した、スターリンと変わりはしない、キューバの国民は彼に良い印象を持っているものはいないらしい。 更にアメリカがインターネットを提供したにも関わらず、キューバ側はそれを拒否した、「インターネットを利用し国民が団結すると困るから」だという。 この国に愛想をつかしアメリカに亡命する人が後を立たないらしい。 亡命しようとしたが失敗したキューバ人は 「どういった生活がしたい?」 かと聞かれ 「アメリカで仕事をして家族に送金したい」 と言っている。 当たり前の生活がしたいのだろう。 更にそのキューバ人は 「この国に未来はない」 「この国はもう崩壊してるんだ」 と言ったが、確かに崩壊しているだろう。 社会主義はもうどうしようもないが…資本主義社会に住んでいて仕事がある日本人は幸せかというとそういうわけではない、と思う。 そのことについてはまたいずれ。 とりあえずキューバよりマシで良かった(皮肉) …それにしてもマルクス主義って結構何だったのだろうか? 無駄に対立構造を生み出し、それによって犠牲になった人の数は計り知れないものがある。

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          最後の夏フェス

          この間茅ヶ崎でのコンサートを行ったサザンだが、ロックインジャパン2024に出演するらしい。 メンバーもかなり高齢という理由もあり、最後の夏フェスになるようだ。 そして今年の冬頃には新しいアルバムをリリースするらしい、自分的に90年代から2000年代までのサザンの作品は全て名盤だと思う。 現段階での最後の作品は「葡萄」という作品だったが、自分はあまり好きではなかった、あまりにも歌謡曲に寄りすぎていた感があり、一度聴いた時に 「ちょっと違うんだよなぁ」と思い、殆ど聴いていない。 そしてサザンが出演するに伴って「ロックインジャパン」にどういったバンドやアーティストが出演するのかザッと見てみたが… 「全然分からね」 となった(笑) 勿論名前ぐらいは知っているが、音楽そのもの聴いたことが殆どない。 「そういえばadoはこの間聴いたなぁ」 とかそのくらいだ。 東京スカパラダイスオーケストラはかなり昔、ドラマーが急死した際に代役にブランキーの中村達也が叩いたことがあった、代役だった中村達也がかっこよく、その時やった「ルパン3世のテーマ」が焼きついていて、自分が「ルパン3世のテーマ」をギターで弾いたのはそういった理由があるのだった。 エレファントカシマシは詳しくはない、かなり昔から活動していて、日本を代表するバンドだと思うが…例えばミスターチルドレンとエレファントカシマシどちらかしか聴けないとなったら、確実にミスターチルドレンになると思う、理由は説明すると長くなるのでやめますが、「風に吹かれて」は知っています。 イエローモンキーズは一度解散したと思うが、再結成したらしい、音楽自体は聴いたことがないが、90年代はかなり売れていた記憶がある、吉井和哉はソロ活動時、オアシスの「don’t look back in anger」をよくカバーしていたが、何故カバーし始めたのか、理由はよく分からない、ブリットポップ嫌いなんじゃなかったっけ、個人的には「やめてくれ!」と思ったが(笑) もう廃刊したが、ロッキングオン系列の雑誌「buzz」で桑田佳祐と対談していたような…イエローモンキーズはビジュアル系ではないが、昔メイクをしていてビジュアル系っぽいのが苦手だったりする。 ロックフェスだが、アイドル系も出るのだろうか、櫻坂46、モーニング娘24、ももいろクローバーZなどの名前もある。 最近大人数のアイドルグループが多いが、自分はアイドルが歌っている曲を聴いたことがない、どうしてもアイドルだけは聴けない、しかし勇気を出して聴いてみるのもいいかもしれない、新しい世界が開けたりして、そういえば昔おニャン子クラブとかいたが、それと同じようなものだろうけど。 そして目についたのが「ヤバいTシャツ屋さん」っ名前だが…バンド名だろうか?ヤバいのはバンド名だと思うが、「よくこのバンド名をつけたなぁ」と思ったが。 …まあとりあえずサザンがフェスに出るのは最後らしい、冬に出る作品は最後のオリジナルアルバムになりそうだ。 日本のポップスを長い間引っ張って来た彼らが解散する日も近い、彼らのような長い間市民権を得られるようなバンドはそう出てこないだろう。 (おそらく最後になる)オリジナルアルバムが良いといいのだが。 前にも書いたが「thunami」ができないのが、やはり勿体ない、と思ってしまう。

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          連休中ですが

          連休中ですが、皆さんどうお過ごしだろうか。 もちろん連休ではない人もいるかもしれませんが。 前にも書いたが自分のnoteは動画と同じように観覧数は少ない(当たり前だが) しかしnoteに文章書くのは嫌いではないので今だに書いている。 自分は保守的な人間なのでnoteをやっていなかったら、最近の音楽は聴いていなかったと思う(例えばado)とか。 今も公開されているアニメの映画「ルックバック」なども観ていなかったと思う。 しかし逆にある程度最近の音楽やカルチャー的なものに触れるきっかけにもなったりする。 ブランキーの記事が多いがブランキーに関することだったらまだまだ書きたいことがある、レビューしてない作品とかもある、が、しかし同じものばかり聴いてもなんなのであまり自分が聴いたりしてないものも聴いたりしている。 クラシックも聴こうと思うがなかなか聴けない、クラシックというのはドラムや歪んだギターがない(当たり前だ)自分にとってはちょっと退屈な面もあり、一枚の聴くだけでも結構疲れる。 公に作品をリリースしているクラシックの演奏家というのは誰もが凄い腕を持っているのは知っているが。 ジャズだけでも無限の世界があるのでクラシックまでなかなか手が出ない。 そういえばクラシックギタリストの村治佳織さんが地元に来るみたいだが、当たり前だが、めちゃくちゃ上手いので観たい気もする。 クラシックギターはネックが太い上ハイポジションが弾きづらい、しかもアンプを通さないためエレキギターのように音を誤魔化すことができない、ミスがすぐ目立つ。 その上でああいった難しい曲を演奏するのだから…そういった意味でも観たいのである。 …話は変わるが、自分ももう40歳になる。 今の会社に勤めて長い。 初めから偉くなるとかハクをつけようとは思っていないが、今いる会社で目標があればそこに向かうこともできるのだが、あの会社で何を目指せば良いのか、いまだに分からない。 自分の業種はざっくり言うと製造業と言えるが、これだけ長いことやっていても自分の業種に興味が沸かない、「仕事だから」やっているだけになってしまっている。 自分のやりたかった業種についている人は毎日が充実しているとかそういう話ではないとは思うが、今の状態じゃ自分には無理だ。 人生後半分はあるが、転職しようかとも何度も考えた、結局「会社に雇われているのは変わらないので転職しても大して変わらないかもしれない」とか、「今の会社は酷いのでマシにはなるかもしれない」「この歳で転職というのもなぁ…」などと色々考え過ぎ、動けないでいる、色々考えすぎるのは自分の悪い癖である(笑) 「雇われる」よりは自分でやってしまおうかとも考える、もし自分で店をやるならジャズ喫茶をやりたいが、どれくらいの開店資金がかかるのだろう。 夕方頃から開店して深夜に閉店し、20人ぐらいで満員になるような隠れ家的な店をやりたい(利益はでるのだろうか) 「直立猿人」というジャズ喫茶があるが、あの店の体型に近いかもしれない。 店を長く続けるためには「固定費」をどれだけ浮かすか、らしい、例えば人が全然人が入っていない萎びた感じの中華料理店が潰れないのは家族で経営していて人件費がなかったり、自分の家が店になっていて家賃が無かったり…専門家ではないので詳しくありませんが、とにかく「固定費」を浮かすことらしい。 実際やるかは分かりませんが。 今年の夏はかなり暑いらしい、やはり自分は夏は嫌いではない(好きではないが)秋はいいが冬の方が苦手だったりする、寒いと気分が沈んでくるし、寒いのに雨が降ったりすると最悪だったりする。 動画は文と全く関係ありませんが、犬の動画です。 この犬の飼い主は色々あって会社を退職、鬱になり何もやる気がなくなったそうだが、この犬を飼ってから元気になったそうだ。 犬を飼うのはそういった効果もあるらしい。 自分は現状飼えませんが。 飼うなら自分もペキニーズかもしれない。 皆さん熱中症に気をつけて下さい。 …以上です(笑)

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          Jim hall「concierto」

          ジムホールの中では最も知られた作品だと思う。 しかし聴きどころジムホールのギターだけでなく、全ての楽器だが、特にチャットベイカーのトランペットかもしれない、この作品に収められている曲全てにハマっている。 全曲、影のある曲調がジムホールのギターにも合っていて、もしこれがウェスモンゴメリだったら全く違うものになっていたかもしれない、ウェスモンゴメリのギターというのは黒人的ノリというか、ファンキーな感じがある。 しかしこの作品のプロデューサーはクリードテイラーだから、晩年のウェスモンゴメリの作品もプロデュースしている「ジャズ界のヒット屋」とも言われている人だが、そういえば「a day in the life」や「road song」を制作した人だ。 「concierto」の前編哀愁のある曲調、もし映画のサウンドトラックにこれらの曲が使われたら映画の内容によっては感動を誘うかもしれない…まぁ感動というかフランスの映画とかそういったものに合いそうだ。 ジャズはアドリブの音楽ではあるが、これらの曲はアドリブっぽくない、あらかじめ練って作られたというか…「アドリブ感」がない。 特に最後の「アランフェス協奏曲」は曲が長いというのもあるが、一つの物語を見せられたような壮大な曲になっている、クラシックギタリストのロドリーゴ作曲の「アランフェス協奏曲」がそもそも良い曲なのかもしれないが、ジャズ界で初めて取り上げられたのはマイルスディヴィスの「sketch of spain」だった。 ジムホール名義の作品ではあるのだが、各々の楽器が変に自己主張せずに平等に音を鳴らす、バランスが良い、全体のアンサンブルという意味では手本のような作品かもしれない。 普段ジャズを聴かない人や初めてジャズを聴く人にもおすすめだと思う、ジャズギターをコピーしてみたい人にもうってつけだと思う、ギターや他の楽器もテクニックをひけらかしたものとは明らかに違う、良いセンス、そんなこと言いながらテクニカルな演奏を聴くのも嫌いではありませんが。 この作品は1975年だという、今のジャズにも良い作品はあるし、音楽的にも進化していたり、テクニックは向上しているのかもしれない。 しかし何となくだが、この時代からそれ以前に生まれた作品というのは独特の空気感がある、「古き良き」的な。 自分が生まれるよりずっと前のジャズの作品はその時代にしかない「何か」があり、それを感じながら聴くのが好きなのである。 よくテレビやネットで音楽を世代で区切ってどうのこうの論じているのを見るが、自分からしたら何の意味もないことで新しかろうが、古かろうが良いものは良いのである。 この音楽は「何々世代」とか「この音楽を聴いていたらナニナニ」などとレッテルを張るのが最も最悪だと思う。 たまにそういった動画を見かけるが 「つまらないことをするな」 と言いたい。

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          Blankey jet city「red guitar and the truth」

          自分は生まれたばかりで「イカ天」という番組をリアルタイムで見たわけではないが、YouTube等で番組を見た感じブランキーのような硬派なロックをやるバンドが出るような感じではない。 しかしメンバーはブランキーを世に広める為に番組に出演する、そして見事に「第六代イカ天キング」を獲得し、デビューを果たす。 そして待望の1stアルバム「red guitar and the truth」をリリースする。 この作品はロンドンでレコーディングされた、プロデューサーはジェレミーグリーンという人だったが、この人はクラッシュやピストルズも手掛けた人らしい。 ブランキーのメンバーはプロデューサーに 「クラッシュと同じサウンドにしてくれ」 と頼んだらしい。 自分はクラッシュを聴いたことがないので、クラッシュがどういったサウンドかはちょっと分からないが。 しかしジェレミーグリーンという人は何を勘違いしたのか分からないが、ブランキーの持ち味である、ソリッドなサウンドを完全に殺したサウンドにしてしまった。 余計に音を加工したりせずにそのままの演奏を切り取れば良かったのだが、変にギターやヴォーカルにリヴァーブが効きすぎていたり、余計なコーラスを入れたり、ドラムの音が引っ込んでいたり…曲の良さを台無しにしてしまっているのである、音全体に靄がかかっている感じがする、一体ブランキーをどういったバンドだと思ったのだろう。 ロックというか…何となく歌謡曲っぽいサウンドになってしまっている、歌謡曲はいいのだが、ブランキーはそうじゃないだろう。 「原曲は最高なのにもったいない」 と思ってしまった。 もしこのアルバムが「bang!」と同じサウンドだったら、確実にロックの名盤になっていただろう(ひょっとしたらbang!以上の) 「bang!」発売後ライブアルバムがリリースされるがここに収められている1stアルバムの曲のサウンドは最高で、この感じで録音すればよかったんだが。 1stアルバムでの詩の世界観は繊細でありながら狂気の世界が広がっている、さっきも書いたが、やはりサウンドがもったいなすぎる。 実際メンバーも1stアルバムは気に入っていない、浅井健一もラジオで 「日本でレコーディングすればよかったな…」 と言っていたが。 しかし曲そのものは全て良いです。 「イカ天」というと後年になると日本のロックシーンを語る上でネガティブな文脈で扱われることが多いが、ブランキーを世に出しただけでも価値があったのかもしれない。 そしてブランキーをキングにしたの審査員の感覚も中々のものだった… とも思う。 1stアルバム「red guitar and the truth」の曲はライブバージョンで聴いた方がずっと良さがわかる。 ブランキーの初期の世界観はやはり凄い。 例えば「last dance」の 「僕の心を取り戻すために」 かっこよすぎる。

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          Ado「残夢」

          最近(かは分からないが)の日本の音楽で聴いたのはSekai no owariとamazarashiだった、どちらも良かったのだが、結局自分が若かった時も今の時代も良いバンドやアーティストは生まれていて、自分の考えが単に保守的なだけだったりする。 そして最も最近のアーティストというか「歌い手」というか…「歌い手」というのは最近生まれた言葉のような気がする、adoのファーストアルバム「狂言」から3年くらい経ったのだろうか。 その間にカバーアルバムをリリースしたが、自分は聴いていない。 しかし前作の「狂言」はロック、バラード、ダンス的な曲が散りばめられているのだが、良い曲もあり、バラエティに飛んだ作品でだった、「面白いなぁ」と思い、次の作品も出たら聴こうと思っていたのだが。 で今回も前作と同じという感じ、バンドだったら同じ人間がソングライティングを務める、adoの場合曲ごとにクリエイターが変わり周りを固めているのだから、多種多様な曲になる。当たり前と言えば当たり前だが、それがadoというアーティストの強みでもある。 普通「歌の上手い人」だと「バラード系」を歌い上げるパターンが多いが、意外とそういった曲は少ない、むしろエレキギターを歪ませた「ロック系」の曲が多い、それは前作の曲でもそうだったが、そこはadoというアーティストの面白い部分でもある。 「行方知れず」は椎名林檎が書いたものだが、ドラムの音がバシバシなりテンポが早い、ギターも歪み、かなりパンキッシュなナンバー。 「dignity」という曲を何となく聴いていたら「なんかこのB’zに似てるな」と思いクレジットをみたら、本当にB’zの2人の曲だった(笑)まさかadoがB’zと組むとは思わなかったが…この曲はハードロックバラードという感じ。 「アタシは問題作」はかなり自虐的な曲でピノキオピーという人が作ったようだが楽器は使わずに全て打ち込んみっぽいが、プロモーションクリップもサウンドもチープな感じが、何となく笑える曲。 「オールナイトレディオ」はシティポップな感じで、山下達郎かと思ってしまったが(笑)明るく爽やか感じでadoがこういった曲を歌うのは新鮮な感じもする、「向日葵」もストレートなポップス。 「mirror」は最近流行りの曲調、というか米津玄師的な曲だが、しかし米津玄師という人はセールスも評価も高い、自分にとって不思議な人である、昔聴いたことがあるが、何が良いのか良くわからずそれ以来聴いていない。 「唄」は歌詞を見ないと何を歌っているのか全くわからないラップというかそこまでではないが、「ウタカタララバイ」という曲を思い出した、クレジットを見たらその曲と同じ人が詩を書いていた。 「いばら」という曲はギター、ベース、ドラムの生音でストレートなロックソングだが、やさぐれた感じはない、下北沢出身のロックバンドが作りそうな曲調、違うか(笑)クレジットをみたら今最近よく聞く名前のvaundyという人。 「0」という曲も歌うというより、語りと唄があるが、この曲長何となくラップメタルっぽい、ターンテーブルとか、しかしサウンド打ち込みで重くない、ダークな曲。 聴いた感じ、前作の「狂言」にあった「レディメイド」「freedom」「うっせぇわ」「会いたくて」のようなキラーチューンはなかったような…しかし全体の感じは悪くはないです。 しかし褒めておいて何だが…Adoというアーティスト曲を作るわけではない、歌は上手いのは当然だが、歌声ちょっとクセがあり、皆んなが皆んな受け入れるかは分からない。 sekai on owariやamazarashiは自分達で曲を作っているわけで…その点を鑑みても、どちらかというとこの二者の方がアーティストとしては上だとは思う、sekai no owariもそうだが、特にamazarashiの詩の世界は唯一無二のもので真似しようと思っても真似できるようなものではない。 …まあ自分が勝手に思ったことですが。 それにしてもこの作品は参加ミュージシャンも去ることながらタイアップから何から凄い、お金かけてるんだろうなぁ…

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