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今、この瞬間の意識のみ

「今、この瞬間が全て」と言おうとしたけどやめた。

「全て」が意味するのは、識別された個々や部分の集合で、
その脳で識別され輪郭を持ち、名前を付けた分離されたものは幻想だから。

意識は、広く呼ばれる「顕在意識」「潜在意識」どちらも同じ。
「意識」「無意識」という曖昧な表現でもよく使われる。
ある国では、それら「表と裏」みたいな区別は無く、ひとつのそれとして扱われるらしい。

脳、肉体、感覚器官と知覚、神経細胞の次元より前とか上とか。。
もっとも原初のもの。
意識だなんだと、また識別し有効活用しようと、人間が勝手に名付け、
呼んでいる「何か」そういうもの。

こうやって脳でいくらわめいても、やはりしゃーない。
まったくスカスカ。言葉という道具は無力。手応えなし。
次元が違う。

脳を含む肉体の次元ではもはや「後の祭り」。
騒いでるだけ。もう終わってる。


ほんとは、時間や空間なんて無い。
ずっとそれだし、これからもそれ。

今という瞬間、時間とも場所とも言えない、ただ在るという感じ。

意識が何かひとつに向いて、一点集中している時がよくわかる。
そこに時間も空間もなかった。

集中の対象とひとつになる。
そこに過去も未来も今も無い。
場所もどこだって関係無い。

意識と集中。
意識という太陽光的なにか。
その光があらゆる現象に分散している状態ならそれは希薄。
太陽光を虫眼鏡で一点に集めたりするのと似てる。
本当の私達は太陽光のような何か。
分散しようと、集中しようと私達の本来の力は同じ。
ただ、希薄になるか濃くなるか。

今回はこの肉体と意識はセット。
肉体精神がインターフェースというか、媒介する道具的な。

だから、この肉体精神都合の優先順位に応じて、
無色透明な意識という無限のエネルギーが有限の道具を通してほとばしる。

怪我や病気に意識を集中している時、過去も未来もなく、どこに居たってその怪我や病気が全てというひとつになる。
太陽光はその一点をピンポイントで照らす。
怪我や病気と呼べる現象、変化、響きは、強く濃くなる。
その時、意識の光は、宇宙のように広大な紙にある、
他の星々に届かない。

怪我や病気が原初に実在するわけではない。
太陽光をそこに集中した時、そこは発火し現れる。
でも、その時肉体はその唯一のエネルギー、
太陽光のぬくもりが欲しいのかな。たぶん。
助けてほしくて。永遠、無限の力、愛が欲しくて。


つらつらと、乱筆乱文失礼しました。
これら言葉で表現される何かも、
ぶっちゃけ、ただの宇宙という白紙の上にある星のひとつ。
照らさなければ現れない。
妄想。想念。幻想。

この肉体が排泄物のようにアウトプットしただけの何か。

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