32.初恋② 「自分」と「恋愛」

【突然変異】
 親の系統になかった新しい形態・性質が、突然、子に現れ、それが遺伝すること。

【恋】
 相手を自分のものにしたいと思う愛情をいだくこと。また、その状態。

【恋愛】
 互いに相手にひかれて愛しあうこと。

【切ない】
 悲しさ・さびしさなどで、胸がしめつけられるようにつらい。


[学研 現代新国語辞典 改訂第六版より引用]


   *  *  *


[前話:31.初恋①  跳び蹴りするぐらいがちょうどいい

 ムカついた男子の背中に跳び蹴りをする

 そんな初恋相手・Dちゃん
 
 中学2年から同じクラスになり、気がつけばDちゃんに恋心を抱くようになっていました。前話で述べたように、今となっては、僕がDちゃんに恋心を抱くようになったことには、ちゃんと理屈があり必然であったように思います。

 あるとき、仲が良かった男子数名で恋バナをしたことがありました。
「うーん、Dのことが気になるねぇ」
 僕は、Dちゃんに想いを寄せていることを打ち明けました。

 ――マジか!!

 次第に判明していくのですが、驚愕の事実を知ります。
 なんと、Dちゃんに好意を抱いている男子は僕以外にも数人いたのです。気になっているレベルを含めて、僕が知っているだけでも4〜5人はいました。これには参りました。こんな競争率では到底僕に勝ち目はないでしょう。とはいっても、そもそも当時の僕は、おちゃらけて、いじったり、いじられたり、それだけが女子との関わり方で、それを「自分」の役割と課して生きていました。会話らしい会話なんてほとんどしていません。そんな僕は、「恋愛をする自分」が想像でぎず、なにより「そんな自分は自分らしくない」「自分の役割・キャラとはかけ離れている」「いま以上のものはいらない」そのような「自分」に縛られており、Dちゃんに想いを寄せてはいるものの、「恋愛」なんてものは異世界の異人たちによる異業もしくは偉業、そういうものでした。「恋愛」なんてものは捨てていました。そもそも僕には無理です。当然、告白する気なんて毛頭ありません。
 ――まぁ、

 勇気と自信がなかっただけで、そういう理由付けをして逃げていただけかもね……。

 やがて、僕がDちゃんに想いを寄せているという事実は、直接伝えた数人以外にも一部ささやかれるようになっていました。まわりが言いふらした、というよりは、おそらく僕のDちゃんに対する振る舞いが、そう思わせていたのではないかと思います。子どもの頃、好きな子に対してしつようにちょっかいを出すというのはよく見る光景です。女子とのいじり合いや、ののしり合うなんてことは僕にとって日常的なことでしたが、Dちゃんとのそれと、そのときのテンションは分かりやすいものだったのでしょう。
 ――自覚あります。

 中学3年のときも、僕とDちゃんは同じクラスになりました。
 次第にある噂が囁かれるようになりました。それは僕の耳にも入ってきました。なんと、両想いだというのです。いや、正確に言うと「両想い」とハッキリと聞いたわけではなく、それを匂わせるような言動が目につくようになりました。「告れ告れ」と一部の男女から背中を押されることもありましたが、根拠があってのことなのか、ただ面白がってはやし立てているだけなのか分かりません。にわかに信じられず、鵜呑みにすることはありませんでした。そもそも「付き合う」なんて毛頭ないのですから。

 しかし、それを実感させられるようなDちゃんとのエピソードがいくつかあるんです。

 中学3年のときだったでしょうか。
 内容は覚えていませんが、僕とDちゃんが、いじったり、いじられたり、そんなじゃれ合いをしているときがありました。そんなことは僕にとっては日常茶飯事でしたが、そのとき、その光景を見ていた担任は言いました。
「ふたりは夫婦みたいやね」
 ――えっ!?
 担任からの突然のひと言に、僕は言葉に詰まりました。それは動揺とも受け取れます。
「はぁ!?」
「えーー、やめてくださいよー」
「なに言ってんすか!!」
 Dちゃんは、そのような否定の言葉でツッコむ。と思っていました。
 ――ところが、
 Dちゃんは否定の言葉を発するどころか、僕と同様に言葉に詰まっていました。本当に同様であれば、それは動揺とも受け取れます。妙な空気に包まれた感覚と、Dちゃんらしからぬ反応に、僕は驚きと同時に違和感を感じたことを覚えています。
 もしかしたら……なんてことが頭をよぎりましたが、「まさか、そんなわけ」と自分に言い聞かせ、「自分」を見失うことはありませんでした。
 しかしなぜ、担任はわざわざあのような発言をしたのでしょうか?
 大人視点で、何かしら根拠があってなのか……。ただの気まぐれなのか……。


 中学3年のとき。
 体育祭の団長と、各係のリーダーを決めるための会合がクラスで開かれました。各係のリーダーは男女1人ずつです。僕は衣装係のリーダーになりました。すると、一部の女子がDちゃんを衣装係のリーダーにすべく「ほらほら」とコソコソさとしている声が聞こえてきたのです。
 ――えっ、どういうこと?
 僕は目を丸くしました。
「はぁ!? イヤやわ!」
「なんでうちなん!」
「意味わからん!」
 当然、Dちゃんはかたくなに断る。と思っていました。
 ――ところが、
 Dちゃんは、拒むことなく受け入れたのです。一瞬「もぉー」という表情をしたものの、その表情は目を細くして微笑ほほえんでいるようにも見えなくもない……。
 ――えっ!? 断らないの!?
 またもやDちゃんらしからぬ反応に、丸くした目が点になりました。
「まさか、そんなわけ」と思いながらも、意識せざるを得ません。それでも僕は「自分」を見失うことはありませんでした。
 しかしなぜ、女子たちはDちゃんを諭したのでしょうか?
 何かしら根拠があってなのか……。ただ面白がっているだけなのか……。
 そしてなぜ、Dちゃんは断らなかったのでしょうか……?

 意識はしつつも、当然ながら告白なんてすることもなく時は流れていきました。


 部活引退後、高校受験シーズンが到来します。
 僕の学力は学年全体のちょうど真ん中ぐらいでした。真剣にテスト勉強に励んでいたのは、ごくごくごく一部の人たちだけだったので、僕みたいなやる気のないていたらくな凡人でも真ん中ぐらいに位置できたのです。まさに凡人です。Dちゃんは、いつも僕より下位にいたので「いぇーい」「ばーか」などと、勝ち誇ったかのようにいじることもしばしばありました。
 そんな僕とDちゃんは志望校が同じでした。偶然です。僕は、自宅から通える範囲で自分の学力でも受かるであろう高校の中から選んだに過ぎません。おそらく、Dちゃんも同じような考えだったと推測します。
 Dちゃんと同じ高校という事実は、内心嬉しかったです。――他の人にはこんな感情を抱かないのに……。これはきっと特別な感情……。俺はやっぱり恋をしているんだなぁ……。

 ――と、と、と、つぜ、ん、、、とつぜん、、、

  突然変異が起きます。

 Dちゃんが、猛烈に勉学にいそしむようになったのです。僕よりも下位にいて、それまでやる気が見えなかったDちゃんが……。
 その変異ぶりはすさまじいものがありました。休み時間に一心不乱に勉強する姿や、教師や友人に教えをう姿も頻繁に見かけるようになり、テストが返却されたときには、喜ぶ姿が目につくようになりました。結果が伴っていたことが、ますますDちゃんのやる気に火をつけたようでした。僕の知るそれまでのDちゃんとは明らかに変わっていきました。かつて跳び蹴りをした粗暴な人物と、同一人物とは思えません。突然変異……いや、そもそも跳び蹴りをするDちゃんが突然変異をした姿で、このDちゃんこそが真の姿なのかもしれません。両親がどのような人物なのか分からないのでなんとも言えませんが、ただ、僕にとってはこの姿が突然変異でした。
 ――うおぉ、まじか……。
 あまりの変異ぶりに僕は呆気あっけに取られました。ただあっけらかんと傍観するだけで、あいも変わらずほとんど勉強なんぞせずにのらりくらり過ごしていました。
 その突然変異はきっと良い変化――なのに……なんでやろ……べつにどうってこともないのに……俺には関係ないことなのに……なんなんやろ……なんでこんな気持ちに……。これもきっと特別な感情……。

 ――突然変異はさらなる大きな変異をもたらします。

 Dちゃんが、志望校を変えたのです。

 そこは近隣の高校の中では比較的偏差値の高い高校でした。僕の学力では受かる自信はありません。Dちゃんは手応えを感じていたのでしょう。僕とDちゃんはそこまで「差」がついたということです。その「差」は、僕にとってただの「差」ではありません。
 ――あぁ……ほんの数ヶ月前まで俺よりも下位にいたのに……違う高校に……あぁ……こんな気持ちになるなんて……やっぱり俺は……。

 ――あきらめよう。

 僕は、Dちゃんをあきらめることにしました。
 あきらめる? そもそも恋愛なんて捨てていた僕なのに、あきらめるなんておかしいですよね?
「そんな自分は自分らしくない」「自分の役割・キャラとはかけ離れている」「いま以上のものはいらない」それが「自分」であるはずなのに、あきらめるなんておかしいですよね?
 告白なんてするつもりないのに……。それに告白したところで付き合えるなんてどうせムリ……。そう思っているのに、あきらめるなんておかしいですよね?

 それなのに、なぜ――。

 頭の中がごちゃごちゃなりました。
 いつからか頭の中に侵入者が居座り、時々頭の中全域を駆け回っては、元々あるはずのその他の感情や思考を妨害しているようでした。


 3学期のあるとき、僕とDちゃんは隣の席でした。
 テストの成績表が各生徒に配られました。僕は相変わらず、真ん中ぐらいの順位でした。Dちゃんは、成績表を開き見たかと思えば、成績表で顔面を覆ってうつむき、そして、僕のほうを見て「やばいやばいやばい」と小声で訴えてきました。「どしたん?」僕も小声で応じます。Dちゃんはまわりの人には見えないよう成績表を手で隠しながら、僕にだけこっそりと見せてくれました。

 『5位』

「えっ、すごっ」口元を手で押さえながら僕は思わずつぶやきました。相当に頑張っていたことが伝わりました。そして、僕にだけこっそり見せてくれたことがとても嬉し……と思うのもつかの間、さびしい気持ちになりました。「ばーか」などと、いじることなんてもうできません。その「差」は僕とDちゃんとの「距離」を表しているような気がして、さびしい気持ちになりました。遠いところにいってしまったような気がして、さびしい気持ちなりました。このときの喜びと達成感に満ちたDちゃんの笑顔を見て、さびしい気持ちになりました。
 あぁ……そうか……ずっとあったこの感情――

 ――さびしい

 こういうときの「さびしい」を「切ない」っていうんだな。

「切ない」は「恋」なんだな。



   *  *  *



 ――早春

 俺も、Dちゃんも、無事に志望校に合格。

 そして、もうすぐ中学を卒業する。

 一部の男女から「告れ告れ」と背中を押されることもあったけど、「自分」を変えることはなかった。あるいは――今の関係を壊したくない。

“人に迷惑をかけない”
 何が迷惑になるか分からないから――。
 何で嫌われるか分からないから――。

 自分に役割を課して過ごした3年間。
 迷惑かけるぐらいなら、嫌われるぐらいなら、どれだけいじられても構わない。好かれなくたっていい。いじられること、明るい自分でいること、それが俺の役割で、それを全うすることで、みんなに迷惑をかけずに、嫌われずに、生きることができた。みんなが笑ってくれるように、いじりやすいように、ツッコミやすいように、自ら率先してボケたり、バカをしたり、そんなふうに人の目につくよう振る舞った。まわりからのいじりに、時には乗っかり、時にはツッコミ、時にはいじり返す。いじったり、いじられたり、それが俺とみんなとの繋がりだった。それに嬉しかった、俺の振る舞いに対して、みんなが笑ってくれること、楽しんでくれることが。
 そんな3年間、荒いいじりに内心腹が立つことも、嫌な思いをすることもあったけど、表には出さなかった。楽しいことのほうが多かったけど、ずっとその自分でいることがしんどくて、このキャラを、役割を、やめたいと思うこともあった。それでも自分の役割を全うした。
 親しかった友達に、
「俺もう高校なったら、このキャラ辞めるわ!!」
 となげいたことがある。
 楽しかったが疲れていた――そんな自分でいることに。
 その友達は寄せ書きに、
『高校でも今のキャラでおれよ』
 と書いていた。
 嬉しいような、嬉しくないような、そんな気持ちになった。

 ――それが俺なのか……。
 ――俺はどうしようか……。

 Dちゃんからの寄せ書きに目を向けた。

 そこには――







『高校でも、おもろいままでおってね』



 俺は中学を卒業した。



                 《つづく

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