神を信じられる人はハッピー
休日。インターホンを鳴らされて、うっかりドアを開けてしまいキリスト教の勧誘に遭った。
おばさん2人組がいて、聖書がどうとか、神様がどうとかの話をして、興味があったら……と資料を渡して帰っていった。
私は、家系的には一応は仏教徒?の立場だ。
ただ、私個人としては、神がいるとしたら、それは「世界を創り、物体の挙動のルールを設定して、あとは放置している創造主」である。
このような考えを持っているため、宗教を背景に持った状態で、救いがどうとか愛がどうとか、語られてもピンと来ないのだ。
倫理、道徳や理屈、哲学や心理学を背景に、救いや愛を説かれれば、まだ聞く耳を持てるのだが……。
宗教の文脈で、よく「人の生きる意味は何か?」という問いがなされることもあるが、これにも私は自分なりに以下のような回答を持っている。
生きることに特に意味はない。ただし、自分で意味づけすることが出来る。
私は、神様がいるとしたら、神様のことを「創るだけ創って放置した者」と考えている以上、天から与えられた意味が何かある、と信じることは出来ないため、このような結論になった。
あまり詳しくないが、この思想は、ニーチェのそれにかなり近いと思っている。
この思想に至るまではそれなりに苦しかった。意味というものは実在しないにも関わらず、人間は生きるのに意味を必要とする、難儀な生き物らしい。
現状は、自分は生きる意味をどう定義するか?という所で止まっている。難しいが、これが決まれば、諸々の悩みが軽くなりそうだ。現状は悩み多き人生だが……。
それに対して、宗教を信じることが出来て、"救われることが出来る"人が、羨ましく思うこともある。良くも悪くもだが、簡単にハッピーになれるからだ。
信仰や思想は違えど、私も自分のやり方でハッピーになりたいところだ。
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