手が止まっている時間を短くすること
仕事から家事まで、あらゆるタスクの最中には『手が止まっている時間(思考)』と『手が動いている時間(作業)』が存在する。
思考は、無意味で成果に繋がらない作業をしないためには不可欠だ。
作業は、いくら頭の中で思考をこねくり回しても、やらないことには進まないないので、不可欠だ。
両者のどちらが欠けても、成果を出すのは難しいのが厄介だ。
いくつか例外もある。例えばマニュアルが確立していれば、手を止めて考える必要がなくなり、リソースをすべて作業に割けて、成果に繋がりやすい。
これにヒントを得て、いかに考えないか?という視点を獲得した。
思考を「作業を最小化して成果を最大化するための行動」と見なした時に、その行動の量(思考に使うリソース。特に、時間)を最小化することも、成果の最大化に繋がる。
端的に言えば、「雑多な思考を減らして、良質な思考を行うべき」ということである。
『下手の考え休むに似たり』という諺があるが、これは「素人があれこれ考えても仕方ない」という意味なので、若干ニュアンスが異なる。
話を本題に戻す。思考のいち分類法として、建設的なものと建設的でないもの、に分けられると思う。
建設的なものは、「考えてどうにかできるもの」だ。
例えば、料理をするときにどういう手順だと時間や労力の節約になるかを考えることは、建設的だといえる。
建設的でないものは、当然「考えてどうにかできないもの」だ。
例えば、人はいつか必ず死ぬので、それが怖いと考えてもどうにもできない。ただし、「自我をコンピュータに移植すれば良いのではないか?」などと考えれば、ある種の建設的な思考になるのだが……。
こうやってつらつら書いてみると、建設的な思考というのは「問題を解決するには、どうすればいいだろう?」という問いによるもので、建設的でない思考というのは「問題が起こって困っている、どうしよう!」というネガティブな感情によるものに見える。
「問題を解決するために知恵を絞れ」というのは根性論的であまり好きではないのだが、思考が収束しやすくなり、成果に繋がりやすいのかもしれない、と思った。
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