真の優しさとは?│「本当に優しい人」を目指すあなたへ

こんにちは。
HSP気質で哲学好き。
よく「感性が老人」とイジられる女子高校生らしくない女子高校生、みけです。

「綺麗事で人を傷つけない」を信条としております。よろしくお願いします。

今回は、私が日常生活を送る中で思っている、
真の優しさってどういうこと?
本当に優しい人ってどんな人?

ということについてお話しようと思います

拙い文ですし、賛否両論分かれるかもしれませんが、最後まで見ていただけると幸いです…!

まず前提として、
私は
「真の優しい人」になりたい、という夢があります。
それを頭に入れて文章を読んで頂けると嬉しいです。



私が思っていた優しさ


「真の優しさってなんだと思います?」

「いや…そう言われても…ねぇ…?」
って感じだと思います。
私もそう思っていました。

ですが、昔の私の中では一つ、答えになるであろう考え方がありました。
それは、
多分優しさって、
「自分が利益を得るために人を手段として利用する」ためのものでなくて、
「相手が利益を得られるように、相手のためを思って助ける」ためのものだよね、ということ。
つまり、「利己的」でなく、「利他的」であることが前提で、これは揺るがないんじゃないか?ということ。

そう考えてみると、
見返りを求めない」優しさって、真の優しさに近いのではないか?、ということ。

見返りと言っても、たくさんの種類がありますよね。

①物質的な見返り

例えば、お金、プレゼントなどの商品、食べ物…などなど、そういったものを見返りとして求めた優しさってありますよね。

プレゼントした時に、相手からのお返しを期待しちゃったり。

いつも食事するときに私ばっかり奢っているなとモヤモヤするから、次こそは出してくれないかな…と思っちゃったり。

この物質的な見返りというのは、
目で見えるから分かりやすいし、わりと共感しやすいと思います。

②精神的な見返り

例えば、感謝、恋愛や友情などの好意、評価、人気や知名度…などなど。

人に何か良かれと思って行動したとき、ありがとうという言葉を期待しちゃうこと、

友達に相談された時に自分は優しい言葉をかけたとして、逆に自分が相手に相談したとき、この人ならこんな優しい言葉を言ってくれるだろうと期待しちゃうこと。

いつも遊びに行く時に私ばっかり誘っているなぁ…相手は私に好意を抱いてくれてないのかなあと不安に思うから、相手から誘ってくれないかな…と思うこと。

物質的な見返りよりも見えづらいけれど、実は精神的な見返りのほうが事例としては多く挙がるのかなと思います。

こうした見返りがなければ、
例えばありがとうの言葉がなくても、
「私がしたくてしたのだから、感謝されなくてもいいや」
「いい人と思われたいから優しくしたわけじゃないもんね」
と思うことができます。

哲学者、カントの言葉にもありますが、
「他者を手段として捉えず、常に目的として捉えよ」という考え方に私は共感しています。

つまり、
・人に優しくされたいから優しくする
・人に愛されたいから愛する
・感謝されたいから優しくする

それって違うんじゃない?ということ。

それはよく考えると、
「自分のために」優しさを利用しており、
「相手を思って助けたいと思ったが故に助ける」
という、常に他者ファーストのヘルシーな優しさとはちょっと違いますよね。
事実としていろいろな宗教でも
「見返りを求めない愛、優しさが至高」 
という価値観があります。

これはものすごく共感します。

けれどそれって、綺麗事?

はい。ここからが本題です。

見返りを求めない優しさを実践できる人が「本当に優しい人」と位置づけた私。

けれど、現実的に考えると

「完璧に見返りを求めずに人に優しくするって、相当の聖人じゃない限り、ちょっと難しいよね」

ということ。 

例えば、先ほどの事例で言うと、
感謝されなくても優しくするのが真の優しさなら、感謝の言葉がなくても善行を施さなきゃいけません。

例えば。

人に優しくした後に、
その人に
「〇〇さんって優しい人だよね〜!」
「ねぇ〜!良い人だよね…!」
と裏で褒められているのを聞いてニンマリすることは許されず、
「良い人だとかの評価は求めてないからな〜」
と平常心でいなければなりません。

「〇〇さんってこんな事してくれるけど、ちょっと迷惑だよね〜」
「うんうん、ちょっとお節介…?」
と裏で言われているのを聞いて

「なんてこと言うのよ!怒」
「もうあの人達に優しいことなんてしない!怒」

と思うことは駄目で、
「そっか…、そう思う人もいるよね」
と、平常心でいなくちゃいけないということになります。

つまり、
簡単に言うと人に期待しちゃ駄目ですよ〜、ということ。

「人に期待しないほうが良い」
という考え方もありますよね。
それに似ているかもしれない…!

ですが、私は思いました。

え、よく考えると見返りを求めない優しさって難しい〜!!!人に本当の意味で期待しないなんて無理だよ〜!!知らず知らずの内に期待しちゃうじゃん!!

ということ。

おそらく、これって私の心根が弱いとか、そういう部分もあるかもしれないけれど、一理あると思いませんか?
人に優しくする時って、本当に相手を思ってすることが多いと思うんです。

けど、
感謝されないと事実としてやっぱり傷つくし、
自分の思う優しい言動をしたのにお節介だと思われたら事実として「何よ、もう!怒」と思っちゃうと思うんです。
感情って不思議で、自分がこう思わない!!と決意したからといって、そう思うことを止められるとは限らないのです。

そう、まるでコントロールできない、首輪のない野良犬のように。

でも期待しないということは、そう思うことさえいけないこと、ということですよね。

だから、私のひねくれセンサーは反応しました。(笑)

見返りを求めない優しさって、確かに正しいけれど、綺麗事なんじゃないか?と。

なかなか実践するには大変だし難しいことなんじゃないかと。
人に期待しないほうがいいって、頭では分かっててもそれを本当の意味でできている人っているのかな?と。

本当にできている人がいるとして、
それは相当の人格者でないと通用しないなあと。

前提として、私は紛れもなく「一般人」。
人格者には似ても似つかない…つまり、真似はできても、本物になれるかと言うと不可能に近い。

さらに大切なのは、
世の中には、貴方を搾取しようと考えるテイカー(あなたの優しさを利用しようとする人)がいるということ。

例えば、相手から何も自分には与えてくれないけれど、あなたはいつも相手に優しくしている…
これを続けていたら、どんどん精神がすり減っていくだろうと思いませんか?

本当に見返りを求めなさすぎても、このような人の餌食になりますよね?
テイカーの餌食になってまで、見返りを求めずに優しくしなさい…!ともしあなたが親だったら子供に言えるでしょうか?

私は言えません。
自己犠牲は綺麗なように聞こえるけど、
やっぱり大切な自分の子供に傷ついて欲しくないから。
一番良いのは、Win-Winの関係であると思うからです。

このように、見返りを求めなさすぎても良くないのです。

では、「本当に優しい人」を目指したい私。
しかし、「見返りを求めない」という言葉は綺麗事に思えてなりません。
どうすれば良いのでしょうか…??

真の優しさを新解釈してみた

今から驚くべきことをいいます。
続きを見るのを辞めてしまう人もいると思います。

しかし、言います。
それは、

実は「真の優しさ」ってあるようでないものなんじゃないか?ということ。

皆さんからの冷ややかな視線を感じます…(泣)
あぁ…!!HPが削られるぅ…!!(泣)
ちょっとまってください……例を挙げましょう。

例えばあなたは上司です。
そしてあなたの部下は、締め切り間近の仕事を終えられていません。そしてその部下は、今必死に残っている仕事を現在進行系でやっています。
困っている部下を見たあなたは、優しくしようと決意しました。
この後、あなたなら次の内どの行動を取りますか?
①仕事を全部代わりにやってあげたあとに去る
②一緒に手伝って終わったあとに去る
③どうして締め切り間近になってしまったのかを聞き、手伝うことなく計画を立てるようアドバイスして去る

私が思うに、
「真の優しさ」というものがあるとすれば、おそらくこの3択は1つの答えしか選択されないと思います。
しかし、現実的にそうなることはありえません
だから、私の個人的な意見として、
「誰から見ても100点の優しさ、つまり真の優しさってないよね」ということ。

ただ、①は比較的多いとは思います。
だって上司だから、全部自分がやっちゃったほうが早いから。
これは、ものすごく分かりやすい優しさですよね。
言い換えると、「すぐ気づく優しさ」。

②は、①より票が少ないかもしれませんが、私が思うにこれもれっきとした優しさです。
やはり全部を自分がやってしまうと、今は良くても今後の部下のためにならない、という優しさ。
少し①より分かりづらいかもですね。
言い換えると、「1ヶ月後に気づく優しさ」。

③は、おそらく1番選んだ人が少ないと思います。
手伝わないなんて可哀想…これは意地悪!優しさじゃないよ、冷たいよ!
そう思った人もいるかも知れませんが、これも私が思うに、れっきとした優しさだと思います。

②と似ていますが、ここで自分が手伝ってあげることは簡単だ。しかし長期的に見ると、部下はこのまま計画を立てるということを覚えず、ずっとこのまま仕事を直前に急いで終わらせるようになる…!それは相手のためにならないよね!
ということの優しさです。
言い換えると、「1年後に気づく優しさ」。

そう、
優しさって、正解がないのです。
人や考え方、価値観、立場、もっと言えばその時々の「都合」によって変わってしまう。

さらに、時間が経ったあとや、長い目で見て考えたときに、冷たいなと思っていた他者の行動が実は優しさだったと思い直したり、その行動に救われたりすることもある。

あなたにとってはお節介でも、
他人から見ると優しさだったり。
逆にあなたにとっては優しさでも、
他人から見るとお節介だったり。

だから、そう考えてみると、人にされた行動に恨み、憎むということは、
「自分にとっての優しさを相手に押し付けている行為」ですよね。

「本当に優しい人」を実践すると、
ものすごく他人の目を気にせずに人に優しくできるようになりましたし、
「あの人にどう思われたかな…嫌な気持ちさせちゃったかな…」と、
くだらないことで長時間悩むことも減りました。
自分にとって期待に沿うものでなくても、
「あの人なりの優しさだったのかもな」
と、懐が自然と深くなった気がします。

された直後は憎んでいても、
時間が経過した後に 
「待てよ…!?あれも長い目で見るとあの人なりの優しさだったのかも…!?」
と気づくこともありますよね。

結論を言うと、

「真の優しさ」って言っても、
もしあなたが「見返りを求めない優しさ」を実践できたとしても、
受け取ってくれる側によってどう受け取られるかが変わってしまうのなら、
真の優しさだの、優しさの本質もクソもないよね、ということ。

優しさとお節介の違いは、
実は「その時々の都合」
という非論理的かつ、不確実なものなんです。

つまり、
100人いたら100人が賛成してくれる優しさ」なんて存在しないのなら、「真の優しい人」を目指さなくて良いのではないか、ということです。

それでも「本当の優しい人」でありたいあなたへ


しかし、私はまだ思うことがあります。

「真の優しさ」がないからと言って、
「本当に優しい人」になることを目指さない理由にはならないな、と。

だったら、100人いたら100人に賛成されなくても、あなたにとっての「本当に優しい人」になるには、どうすればよいのか。

それは、最終的な結論としては弱いだろうし、
残念かもしれませんが、 

私が思うに「真の優しい人」とは、
「自分が考えに考えて導き出した自分なりの優しさを、臆することなく堂々と実践できる人」
「周りが思う優しさでなくて自分が思う優しさであるから、相手に伝わらなくてもいいと思える人」

ではないでしょうか。

誰かにとってはお節介かもしれない、
迷惑かもしれない。
批判されるかもしれない。

でもそれについて悩む必要はない。
だってそれは「周りが考える優しさ」で貴方がした優しさを勝手に批評されているだけであって、
優しさの正解がない以上、まわりの思う優しさの方が正しいとも限らないから。

それでも、「自分のためでなく、最大限に相手のためを思う」ということを最大限に行ったうえで、自分が思う優しさを自信を持って実行できる人。

これに尽きるのではないでしょうか。
というより、そうするより他に方法がないのではないでしょうか。

そう考えると、
優しいばかりに人に仕事を押し付けられたり…
テイカーに搾取されて困ったり…
そんな状況も解決できます。

その時は、「本当に優しい人」になればよいのです。

つまり、周りの優しい人の価値観に振り回されず、自分の思う優しさを行使すればよい。

仕事を押し付けられそうになっても、
自分が「でもここで自分が代わりにその仕事をやれば、相手は一生仕事ができなくなってしまう…!」と判断したら、
その仕事を断りましょう!

嫌われてもいいのです。
だって、優しさに誰が見ても正解、賛成の優しさなどないのですから。
その人の理想とする優しさと、あなたにとっての優しさが違っていたというだけ。
正解はないのだから、
あなたが憎まれることもなくていいし、貴方がその人を憎む必要もない。
自信を持ちましょう!

『自分なりの優しさを実行できる人』
これが私の考える、「本当に優しい人」です。

まとめ

これが私の考える「真の優しさ」です。
共感できないわ〜、
理解できないわ〜、というそこの貴方、
それでも全然オッケーです!!

「いや、やっぱり見返りを求めない優しさが一番だよ、なんだよその結論!!」
それでも構いません!

それこそ、あなたの優しさと、私の思う優しさが異なったというだけです。

どうか、この文を読んでくださった優しい貴方が、搾取されることなく、
貴方が思う「本当に優しい人」になれますように!!

以上、陰キャJKみけがかんがえる、
「本当に優しい人」でした。
ご覧いただき、ありがとうございました!

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