2020/10/04
起きた。今朝は納豆めかぶ卵かけご飯。レトルトタワーカレーが尽きてついに冷蔵庫を"掃除"するフェイズに入ってしまった。それでも3つもネタを重ねると贅沢感がある。おいしい。
すぐに二度寝してしまった。今回の実家滞在では異常なくらい眠れることが続いている。どこかで疲れることをしただろうか? 先月を振り返ると、確かに人間と多く話をした気はする。話題の多様性や深度、場ごとにおける瞬発的な振り幅なども相まって、未知や判断保留のものを抱えるだけ抱えてしまっているのかもしれない。
目に見えづらいものゆえ「混線を解(ほど)く」というメタファを使って、なんとかそれに頭を悩ませながら対処してつもりであったけれど、「ひたすらよく眠れる」のは身体側の要請であるから、この問題の新しい側面でのアプローチとも考えられる。「自分を顧みよ」と言っているのかもしれない。
別の話を1つ挟もう。
『PSYCHO-PASS』の3期を見た。実質、映画版と続きになって決着していたのでそれも含めて、見た。面白かった。あのシリーズは回を追うごとに、まず敵役をつくるのが難しくなるだろうと感じている。(以下、1期〜3期までのネタバレになってしまうことに注意し、必要があれば6段落ほどを飛ばしてほしい。どこまで飛ばせばよいかは明示してある) 主人公側が、ある意味では類型的「ラスボスの論理」を力として利用しながら、妥当な社会を模索している最中にあるからだ。
したがって、敵役の行動原理には、そうした主人公側の負い目を的確に突いて破る指向と強度が求められるし、さらには、空論であっても現行社会のへの対案を示すことができねば、「観客」にとって魅力的な敵役とは映らないだろう。自分はそう考えている……いた。
翻って、今期の敵役は、よく評して個人の探究心を満たすことに徹しており、今シーズン通しての彼の行動原理を総括すれば、それは最終盤に至って"ラスボス"に宣告された文言そのとおりであろう。そのとおり、彼が結局自己の能力を自分のためにしか使えなかった小市民と断じるのは簡単だ。
だが、行き過ぎた相互監視の社会において、扇動され易きものが愚者であり、身を隠して指示を送る立場が賢者の証明となるのであれば、物持たぬ市民の最善手とは、あらゆる現象の加熱を観察しながらも扇動に加担せず黙し、その内で個人利益を追求して過ごすことになっていくのではないだろうか。
したがって僕は3期の敵役を、作中現行社会の反作用として必然的に生まれた、遊戯感覚の知性とスノッブ的態度のキメラと考える。1期2期の敵役のカリスマ性には及ばないものの、主人公たちの「ラスボスの論理」がより完成形に近づく過程で、一度は通過することが誠実だと感じられる敵役像であったと感じた。
その敵役に対して、3期における二人の主人公たちの勝因であり差異となった部分は、各々の持てる強みを互いのために使ったことにある。強みのわずかな反復増幅が、首謀者の描いたシナリオを震わせ瓦解させた。閉幕間際に、満身創痍で再開する二人の主人公を見て思ったのは、彼らの方法の限界と可能性だ。
PSYCHO-PASSのネタバレに関わる部分は以上で終わりである。
僕も、こうして日記を書いていて、だいたいは思いつきなのであるけれども、可能なら、その推定5人の読者のために、正の影響を与えて行きたいと考えている。「正」方向がどちらかの定義も難しいが……。たとえば「死にたいにゃん」とかは「負」方向であり、そうではない方に向かっていってほしいと願っている。
毎日僕が語り尽くしても、やはり影響を与えられたとして、5人くらいが限界ではないかと感じるし、同時に5人なら何とか聞いていただけるのではという可能性も感じている。
例えば、行き過ぎた相互監視の社会が訪れつつあるのであれば、僕はあらゆる現象の加熱を観察しながらも扇動に加担せず、しかしながら、5人にはその思うところを届ける気持ちで、持てる強みを自己利益のために専有することなく書き続ける。そうありたいと思う。
- 睡眠時間:3-15 (12h)
- 筋トレ:下半身コース
本を読むことに戻る。
(2020/10/05 へ続く)