General VS Special -専門性が求められる社会でコンビニ化するストア-
先日、学生時代によく利用していた本屋を久しぶりに訪れたところ、品揃え(というか業態)が大きく拡大されており衝撃を受けた。
「本屋なのに服やお菓子を売っている…!」
思えばこの現象は本屋に限ったことではなく、今やドラッグストアや飲食店などあらゆるストアで起きているものかと思う。
そこで、この記事では近年進行する「ストアのコンビニ化」の現状を振り返りつつ、今後日本のストアはどのように変化するのか予想(妄想)してみる。
(注)筆者は社会学や経済学に明るくないFラン大卒一般人です…。
なお、本記事は正確なデータを参照した内容ではなく、実体験に基づいた個人的な見解になりますのでご了承ください🙏
あらゆるストアの"コンビニ化"
冒頭で挙げたのは、私の地元にある「白揚(はくよう)」という書店。
店舗の入口は1つだがTSUTAYAと業務提携しており、入ってすぐ(店内2/3)が白揚のスペース、店の奥(残り1/3)がTSUTAYAのスペースとなっている。
白揚が書店、TSUTAYAがレンタルDVD(CD)ショップなので、かつて私たちは本・CD・ゲームの購入、もしくはDVD・CDのレンタルを主な目的としてこの店舗を訪れたはずだ。
しかし、先日同店舗を訪れると品揃えが大幅に拡大されていた。
TSUTAYAのスペースに大きな変化は無かったが、白揚は新たに洋服・アクセサリー・食料品・日用品などの販売を開始していた。
現在も本・CD・ゲーム販売のスペースが割合としては多いが、アパレルの要素、スーパーの要素、ドラッグストアの要素が混在しており、もはや書店という枠組みを飛び越えている。
このような業態融合は近年「コンビニ化」もしくは「ワンストップショッピング化」などと言われている。
コンビニ化の傾向は書店以外にも見られ、ドラッグストアで食料品や文房具が買える、アパレルショップにカフェスペースがあるなど枚挙に暇が無い。
飲食店のメニューで考えても、回転寿司店のラーメンやフライドポテト、焼肉店のデザートビュッフェ等は、メインのジャンルを食い潰す勢いで品揃えとクオリティが強化されている。
(これは同業他社との差別化を図るための施策なので、コンビニ化とは若干意味が違うかもしれないが)
ジャンルを飛び越えた多様な品揃えは、一昔前までコンビニ・スーパー・バラエティストア(ドン・キホーテ等)の特権的な強みだったが、今となってはあらゆるストアがコンビニ化し、この強みを獲得しているのだ。
コンビニ化はいつから?なぜ始まった?
これに関して正確なデータや歴史を素人の私がまとめても限界があるので、以下にデータをまとめられている記事を記載させていただく。
私自身の考えを少しまとめると…
コロナ禍による外出自粛
スマホ・サブスク文化の普及
上記2点がコンビニ化を促進させたのではないかと考えている。
①コロナ禍による外出自粛
【客】他人との接触を避けるため、極力一箇所で買い物を済ませたい
【店】新サービスや新商品の導入で、売上(客数)低下に対応したい
コロナ禍で生まれた客側のニーズに応えるべく、店側は本ジャンルに加えて新たなサービスや商品を開発した。
コロナが明けてもなお、客にとってワンストップショッピングができるのは便利だし、店側も売上の軸が増えたということで辞める理由が無く、コンビニ化の流れは継続しているのが現状だ。
②スマホ・サブスク文化の普及
これは私の予測の域を出ないが、近年のスマホ・サブスク文化の普及も多少の影響(特に消費者の思考に)を与えているのではないかと思う。
スマホが普及したことにより、私たちの世界は手のひら一枚に収まった。
現代はプライベートから仕事まで、全ての生活がスマホの中で完結している。
さらに、各SNSのサブスクが普及したことで、数千円の月額料金で数千〜数万の映像作品・書籍・音楽を利用し放題となり、映画館・書店・CDショップに足を運ぶ必要も無くなってきた。
このような時代の潮流が、外出時の買い物や食事における消費者のニーズを、無意識化でワンストップショッピングを好む方向にシフトさせているのではないだろうか。
全世界フレンドリィショップ化も近い
コンビニ化は非常に便利な反面、没個性化に繋がっているという見方もできてしまうのも事実だ。
「これはA店で、あれはB店で買おう」という風なことが無くなって、どの店に入っても欲しい物が買えるようになっていく。
ポケモンのゲーム内に「フレンドリィショップ」というお店がある。
モンスターボールやキズぐすりなどの道具を買うお店で、主人公が訪れる街には基本的にフレンドリィショップが1店舗設置されている。
フレンドリィショップは店の外観と内装がどの街も同じ、商品ラインナップも進行度や店舗によって多少の違いはあれど、カテゴリはある程度固まっており、"何が売っているか"という点において店舗ごとの特色は無い(筆者がプレイしていたHGSSまでの記憶、最新作は分かりません💦)。
もっとも、ポケモンのようなゲームで街ごとにフレンドリィショップのデザインを分ける必要は無いし、かえって分かりにくい思うので、ポケモンをディスっているわけではありません(^_^;)
この調子でコンビニ化が進行していくと、いずれ日本の小売業がフレンドリィショップのようなお店だらけになるかもしれない(暴論)。
フレンドリィショップ自体がコンビニをイメージしてデザインされていると思うので要するにコンビニ化なのだが、コンビニ・スーパー・ドラッグストアのような区別が意味を成さなくなる日は近いだろう。
品揃えに店舗ごとの差が無いということは「この店は〇〇置いてないのか…」というリスクが無くなり、どこにいてもフレンドリィショップさえ見つければ欲しい物が確実に手に入る、ということなので便利ではある。
しかし、コンビニ化=コピペ化とも言えるので、地域ごとの特色や店舗ごとの意外な商品を発見する喜びが薄くなるのは少し寂しいかもしれない。
もっとも、現在進行中のコンビニ化は「元々持っていた売上の柱を"幹"とし、新しい分野で"枝葉"を増やす」というイメージだと思うので、そのストアが持っていた根本の特色が消えてしまうわけではないのだが。
スペシャリストであることが求められる社会
あらゆるお店がコンビニ化していく一方で、社会人としてはジェネラリストではなくスペシャリストであることを求められる傾向が強まっている。
日本社会でもその片鱗はあるが、私がワーホリで滞在していたオーストラリアでは特にその傾向が強かった。
アルバイトの場合、日本はよほど特殊な仕事でなければ未経験でも雇われるが、オーストラリアは飲食店のキッチンやホールですら経験者以外は門前払いを食らうことがある。
移民や留学生が多く人手に困らないという環境の違いもあるだろうが、あの国にいると自分のスペシャリティの無さに危機感を覚えた。
スペシャリストが求められるようになってきた要因は様々あるが、先述のスマホ(SNS)文化の普及はまたまた影響を及ぼしていると思う。
(極論だが)今までは「この街で就職するならこの会社」「その大学を出たなら大手のあの会社」というように、7割の人間の進むルートがテンプレ化されていて、残りの3割の天性の才能を持っている人、飛び抜けたレベルで花を咲かせた人が独自の人生を築いていた。
一方で、現代はSNSで老若男女問わず自分の"得意"を世界中に発信できるようになり、雇う側も自社に必要な才能をフックアップしやすくなっている。
これにより、生まれや学歴で才能が埋もれることが少なくなり、各々が個性や強みを活かすことのできる社会になりつつある。
一般的な会社員でも現代は様々なポジションが用意されているし、プロゲーマーやTikTokerが職業として成り立っているのが最たる例だろう。
だが、これは相対的にジェネラリストの市場価値が下がっているともとれる。
各々が尖った才能を活かしている社会において「突出した才能は持ってないけど満遍なく色々やれます」という人材の価値が下がるのは必然。
攻撃力特化のAさんに欠けている防御力は、防御力特化のBさんが埋めれば問題無い。
要は全能力Cランクの人間よりも、たった1つでもSランクの能力を持っている人間の方が重宝されるのだ。
また、サブスクやSNSの普及によって、スペシャリストに対する個々人の目線が厳しくなっている側面もあるのも忘れてはいけない。
サブスクの普及で玉石混交様々な作品に触れ、質の良い作品と質の低い作品を区別できるようになる。
YouTubeの普及でいわゆる"成功者"の生活を覗くことができたり、有料級の仕事論を無料で聞けたり、テレビで見られないような過激な企画を誰でも見られたりする。
つまり、現代はみんな目が肥えており、刺激の少ないコンテンツでは満足しなくなっているのだ。
そんな世界で売れるコンテンツを作るために、ジェネラルな人材でなくスペシャルな才能を結集していこう、というのは自然な考え方だろう。
仮にコンビニ化が進行してフレンドリィショップが量産されたとしても、消費者が抱く全ての需要に対応し切ることは不可能。
そうなると、コンビニ化で対応できなかった残りの供給はスペシャリスト(スペシャルなストア)の役割となる。
コンビニ化で満たせない需要となると、かなりニッチでディープな内容であることが予想されるので、それらに対応できる真に尖ったスペシャリティの価値は高くなるだろう。
[おまけ]マルチバースの流行もコンビニ化に影響を与えている?!
(※厄介アメコミ映画ファンによるこじつけコーナー!多少のネタバレを含みます)
近年、アメコミ映画ではマルチバースが頻繁にテーマにされている。
MCUは『ワンダヴィジョン(2021)』以降の作品群を「マルチバース・サーガ」と呼称し、次元を超えたサプライズやクリフハンガーを売りにしている。
全世界累計興行収入13億ドル(約1578億円)を突破した『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム(2022)』ではマルチバースの概念を活かし、実写映画の歴代スパイダーマン3人や歴代ヴィランを集結させた。
ライバルのDCも『ザ・フラッシュ(2023)』でマルチバース展開を取り入れ『バットマン(1989)』からマイケル・キートンが演じるバットマンを登場させるなど、多くのサプライズでファンを沸かせた。
「これの何がコンビニ化と関係あんねん!」という話だが、消費者目線で考えるとあながち無関係でもなさそうなのだ。
というのも、マルチバースはオールスター総集合というサプライズを通して"あらゆる層の需要を満たす"ということを達成している。
そもそも『アベンジャーズ(2012)』が世界的な人気シリーズになったのは、ヒーローの共演という形で各方面の需要を満たしたからだろう。
アイアンマンが持っているユーモラスな魅力、キャプテン・アメリカが持っているポリティカルサスペンスの緊張感、ソーが持っているカルチャーギャップコメディの面白さなど、本来1作の映画が軸とする魅力を『アベンジャーズ』1作に結集させたことで、各作品のファンはもちろん、アメコミ初心者が観ても満足感を得られる密度を実現している。
このようなエンタメ作品のあり方に慣れると、1つの作品に対して「尖ったキャラクターがたくさん出てこないと面白くない」「話の展開がどんどん変わってくれないと飽きる」といった具合に、ファンが求めるバラエティ性、エンタメ性のハードルが上がり続ける。
こういったファン心理が無意識下でストアに対する消費者の思考にも作用しているのでは?というのが私の推察である(こじつけとも言う)。
例えば、食品はイオン、衣料品はユニクロ、風邪薬はウエルシアで購入していた人がいるとする。
もし、その人がいつも利用するウエルシアがコンビニ化して、食品と衣料品を取り扱うようになって需要が満たされた場合、イオンとユニクロには行く必要が無くなる。
また、その後に別の街に引越したとして、新居最寄りのドラッグストアがコンビニ化していなかった場合、恐ろしく不便に感じるだろう。
1作に数作分の魅力を詰め込んだ『アベンジャーズ』が基準になった世界においては、1つのストアが満たさなくてはいけない供給のハードルも跳ね上がるというわけだ。
これから何かしらのコンテンツを「売ろう」と考えた場合、自分自身が語りたいことをストレートに形にするだけではなく、多種多様になった消費者の需要の枝葉にもアプローチし、あらゆる層を満足させる必要が出てくるだろう。
まとめ
今回は、書店のコンビニ化に端を発して、今後あらゆるストアのコンビニ化(ひいてはフレンドリィショップ化)が進行していくのではないか?という暴論を展開してみた。
コンビニ化は1つのストアでいくつもの需要を満たしてくれるので便利な反面、店舗ごと会社ごとの特色が薄れて平坦化することでもあり、見栄えの変化や"体験としての買い物"に刺激が無くなるのは免れない。
そして、そんなコンビニ化した社会であればこそ、コンビニ化で満たせない需要に対して供給を行えるスペシャリストが輝くことだろう。
私自身も消費者の立場ではストアにジェネラルな供給を求めがちだが、逆に自分が社会に提供できるスペシャリティを模索していかなくてはならない。