一か八か
人は突然に人生の選択を迫られることがあるのは何となく分かっている。
けれど、足を切るか切らないかの選択を口頭で迫られたとき、私は息子の前で泣きじゃくった。35歳の息子は非常に困った顔をリモートの動画越しに見せていた。
こんなはずじゃなかった・・・・息子に会うのはこのような状態ではなく健康な状態で会うと決めていたのに・・・
しかも、足を切るかもしれないなんて担当医に言われ私は完全にびびっていたのだ。誰でも、そうなると思うけども。
そもそも、何の病気かも分からず股関節にばい菌がたまるという原因不明の病魔であった。切って開いて洗っても抗生剤を足の骨から注入してもどうしても炎症値が下がらず、このままでは右足切断はやむを得ないという11回目のオペだった。
「これで治らないと判断したら右足切断します」担当医は暗い目で言う
とかげじゃあるまいし、人の足だと思って切るって簡単にいうよな・・・
心も荒み11月の半ばでオペを受けた。
血液を循環させる機会が取り付けられ、輸血と抗生剤のチューブにカテーテルまで付けた状態でも、リハビリはすぐ始まる。
この方が地獄だった。
足の傷が閉じていないのに、歩行練習や手でペダルを漕ぎ片足で立っているのだ。様子を見ながらも毎日のように開いた傷の中を食塩水で洗いガーゼを押し込む行為に、若干切れていたと思う。
麻酔を打ってほしい私と、麻酔は危険だからという主治医とのやりとりが毎日続いていた。クリスマスもお正月も病室で過ごし小さなケーキを食べ、ため息をついたあの夜。
「メリークリスマス」と赤い帽子を被り、病室に差し入れを持ってきてくれた理学療法士の先生の心使いや、看護師さん達の手厚い介護に深く感謝もしていた。
年が明けてから、私の状態はみるみる良くなり炎症値も上がらなくなり
退院がやってきた。
なんと7か月の入院で、お風呂も6か月以上は入っていなく髪は伸び放題20キロ痩せてしまい、別人のおばあさんが鏡の前でほほ笑んでいた(こわっ!)
退院に日は、看護師に拍手で見送られ私は心の底から涙がこぼれ横目で東京タワーに別れを告げる。
ずっと、退院したら東京タワーに登ってやるんだ!と思い描いていた。
![](https://assets.st-note.com/img/1693712509427-JP3Z1LSYkv.png?width=1200)
諦めず、息子に「最後まで戦ってきてよ」と言われあの選択をしたからこそこうして東京タワー
を眺めているわけだから。
私の選択はとは、本当に一か八かだった。
成功する確信はないと言われていたし、目が覚めたら右足が無いという事も念頭においてのオペだったのだ。
退院してから、人生が180度変わってしまい今だ慣れない生活だけど自分なりに自立をし頑張って生きている。
3回ICUに入った経験を忘れない・・・体を拭いてもらったり下半身の洗浄をしてもらっているときに、ジャズピアノを携帯から流していてのは私が初めてだったらしい。
少しでも癒せたらいいかなと思ったのでやってみたら、好評だった。
![](https://assets.st-note.com/img/1693713274254-BbYznBfcUh.png?width=1200)
私にとって本当に人生の選択をした出来事だったのは間違いない。
これからまだ先生きていくわけで、自問自答しながらもリハビリをし
最後は杖一本で歩くという目標を達成しようと思っている。
お世話になった病院の先生やスタッフ様、そして私を支えてくれた人
肉親、息子、友たち
本当にありがとうございました、感謝しています。
特に思うのは、私のような家族を持った母と息子は本当に辛い思いをさせてしまいました。「元気な姿で会おうね」と約束をして、今に至るわけでお詫びのしようもありませんが支えてくれた「家族」という絆は生まれました。
だいぶの馬鹿垂れの私を受け入れてくれる人達に、感謝をしながら前向きで歩く事をここで約束したいと思うのです。
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