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【小説】多弁の檻

第一章 — 序曲のように

「いやぁ、こう見えて私、コミュ力だけはあるんですよね!」

 彼女はいつもそう言った。自己紹介のたび、初対面の人間に向かって、開口一番に口にするのは決まってこの台詞だった。

 名前は小林理沙、二十九歳。彼女はどの場でもよく喋る。職場でも、マッチングアプリで出会う男たちの前でも、異業種交流会やバーで隣に座った見ず知らずの誰かに対しても、持ち前の饒舌さで空間を埋め尽くす。

 「いやぁ、ほんと、色んな人と関わってきたんで、コミュ力には自信あるんです!」

 言葉は軽やかに飛び交う。しかし、彼女がいくら多弁であろうと、誰もその能力を高く評価してはいなかった。

 —— 彼女の話し相手たちは、ことごとく微妙な表情を浮かべたまま、適当に相槌を打っていた。

第二章 — 彼女の会話

 「だからさぁ、男って基本、仕事できないやつばっかじゃん?」

 バーのカウンターで、理沙は隣の男に向かって言い放った。男は苦笑いを浮かべる。

 「いや、まぁ、できる人もいるけど……」

 「いないよ、そんなの。だって、私、会社でもさ、後輩の男の子に仕事教えてるけど、全然ダメだもん。ほんと、使えないやつばっかでさー」

 口角を持ち上げ、ワイングラスを揺らしながら、彼女は自信満々に続ける。

 「私、コミュ力あるから、そういうのもすぐ見抜いちゃうんだよねー」

 男はグラスを口に運び、目を逸らした。その視線の意味を、理沙は知らない。

 —— いや、知ろうとしない。

第三章 — いじりの狂気

 彼女は「いじる」のが下手だった。

 場を盛り上げるために相手を弄る。しかし、それは絶妙なバランスで成り立つ高度な技術であり、誰もができることではない。

 「え、マジで? それって、結構ヤバくない?」

 本人としては冗談のつもりで言ったつもりだが、言われた相手は眉をひそめる。

 「あー、なんか分かる! 高橋さんって、そういうとこありますもんねー」

 そう言って笑ったつもりだったが、高橋さんの笑顔は引きつっていた。

 理沙は、それに気づかない。

 —— いや、気づこうとしない。

第四章 — 無意識の刃

 彼女の言葉は刃だった。

 「いやー、やっぱそういうとこだよね!」

 彼女は冗談のつもりで言う。しかし、それが相手を笑わせることはなく、むしろ場を白けさせる。

 「佐藤さん、ほんとに彼女いないんだ? ウケるー!」

 その場の空気が冷え込む。しかし彼女は気づかない。むしろ、盛り上がっていると錯覚して、さらに言葉を重ねる。

 「でも、まぁ、佐藤さんみたいなタイプって、ちょっとね〜」

 —— そうやって、誰かを傷つけてしまう。

第五章 — 多弁と孤独

 彼女は話し続ける。沈黙が怖いから。

 相手の話を聞くよりも、自分が話した方が安心できるから。

 けれど、その言葉の奔流の向こうで、人々は少しずつ彼女から離れていった。

 気づいた時には、職場の飲み会でも、マッチングアプリでも、バーでも、誰も彼女に深く関わろうとしなくなっていた。

 「……あれ?」

 静寂が訪れる。

 彼女の口から言葉が漏れたが、それに応じる者はいなかった。

第六章 — 沈黙の意味

 彼女は知らなかった。

 多弁は銀、沈黙は金。

 語らぬことが、時に最も深い対話であることを。

 —— そして、誰も彼女にそれを教えてはくれなかった。いつか気付くその日を今も待ち望んでいるのかもしれない。


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