循環の営みに参与しなおす:Comorisグリーンリビングラボ探求講座02
2024年7月14日、Comoris グリーンリビングラボの第二回を実施しました。このシリーズは、Actant ForestとDeep Care Labの共催による、都市の森を探索する全5回の講座シリーズです。イベント全体の趣旨や第一回目については以下のリンクをご参照ください。
第二回目は、アーティストである三原聡一郎さんをゲストにお呼びして、土の世界にぐっと入っていくような三原さんの感覚を共有いただき、私たちの生活や身の回りのスケールでの「循環」に目を向ける回になりました。
三原さんは、音や泡、放射線、虹や微生物、気流、土、水など、自然界にある物質や現象を芸術に読み替える試みを行っています。慶應義塾ミュージアムコモンズで行われた最近の個展では、《空気の芸術》という軸で歴代の作品を展示し、それらの作品の制作手順をレシピというオープンソースの形で公開して誰もが制作にトライできるようにしています。
数多くの作品を発表されていますが、今回は特に作品名《土をつくる》を中心にお話いただきました。
「循環の営み」としてのコンポスト
三原さんがコンポストを始めたきっかけは、東日本大震災だったと言います。上下水道インフラが脆弱になる中「森の中で排泄する時のように、バケツと落ち葉だけでトイレを完結できるようになるのでは」と、インフラに頼らない有機的なトレイに興味を持ったそうです。
有機的なトイレの実験は3ヶ月ほどで終わりましたが、その後もコンポスト作りを継続しました。そのコンポストをモーターで回す風景をライブストリーム配信した作品が《土をつくる》です。
三原さんのコンポストの営みは、自宅だけにとどまらず、北朝鮮と韓国の間の非武装地帯(以下DMZ)での《土の日記》やカフェの中に循環を生み出す《#有機的であること》、また都内の展示空間へと広がっていきます。
DMZでの試みについて三原さんはこう振り返ります。
また、モーター付きのコンポストをカフェに展示し、お客さんの食べ残しやカスを入れてもらう装置にした《#有機的であること》では、お客さんが自ら自分の食べ残しをコンポストに入れ、その土で屋上菜園を行い、そこで育ったハーブがお皿に乗る、という循環が生まれました。
お客さんが、自分の食べられなかったものを、パブリックな場所でコンポスト化することにより、その日の体調や食べられなかったものを意識することができるようになったそうです。
自分という境界を溶かす。テクノロジーによるコンポストの装置化
Deep Care Labの川地から、当初手でかき混ぜていたコンポストをモーターで回すようになった経緯やコンポストと普段向き合うことを通じた三原さんの感覚の変化について、質問がありました。
三原さんは装置についてこう語ります。
森づくりのレシピ化。小さいまま分散的に実践する。
ご自身の作品をレシピという形態でオープンソースで公開している三原さん。Comorisも同じく、都市の中に森を生み出す方法を共有知化しようとしています。
Actant Forest南部は、三原さんの活動とてらしてComorisを以下のように表現します。
さらに三原さんは、テクノロジーを使うメリットについて、五感を用いたセンシングと、それを裏付ける科学によって作られる学びのあり方について言及されました。
テクノロジーを自然と対立的な存在に置くのではなく、自身の五感を拡張し自然と新たな関係性を紡ぐ装置として捉える見方や、ありものの商品の制約に縛られることなく、自身が追求したいものを実現するための「装置」を自ら製作する三原さんの姿勢から学ぶものが多々ありました。
自然との向き合う中で培った感覚や感動を大事にしながら、それらをテクノロジーの力も借りて駆動し表現する。この時代に必要な技術哲学や、プリミティブな学びの真髄がそこにあるようでした。
循環の視座を得るミニワーク。日常に循環の視点を取り入れるには
後半は、日常と営みの視点から、森の一部となるような暮らしに近づけていく気づきや日常実践の手がかりを得ることを目指し、循環のミニワークを行いました。
このワークでは、街の中で循環の営みを探すフィールドワークをした後、そこでの気づきをもとに日常に循環を持ち込むための儀式を作るという2つのステップで行いました。
ワークショップの前には、DCLの川地からいくつかの循環の視点の共有がありました。例えば、下水道に雨水を流す前に一時的に貯留する「雨庭」や不可視化されてしまっているけれども都市の重要な水の流れを担保する暗渠などといった「水と循環」の視点、ミミズや菌など有機物を分解する「分解者と循環」の視点、木材の端材やコーヒーの残りかすなどの資源に注目する「資源と循環」、鳥がリンを含んだ糞をすることで有機物を循環させるといった、循環を手伝う「運び手と循環」の視点などです。
仕事始めにコーヒーを飲む、食事を食べる前に手を合わせ「いただきます」と言葉に出す。これらはささやかですが、モードを切り替えたり、異なる視点を取り入れる「儀式」ともいえます。後半は、儀式のフォーマットを用いて、日常の営みに循環の視点を持ち込むための「循環の儀式作りのミニワーク」を行いました。
ワーク中は、ユニークなアイデアが飛び交いました。たとえば、エアコンの室外機の水を街路に垂れ流すのではなく、濾過して飲み水にしたり植物のための水にしたりするアイデアや、根っこが出てしまっているようなケアが必要な樹木の発見そのものをアクティビティ化する案、都市では燃えるゴミに出されてしまう落ち葉の供養のため、落ち葉を入れられる植木鉢を街に用意するなど、循環を実践するアイデアが共有されました。
おわりにー暮らしに新たな光を当てる芸術の力ー
自然界には、ゴミや廃棄物といった概念がないように、元来は循環の一部であった人の生活は、いつしか分断してしまいました。そこで、今回のセッションは「自然界の循環の営みに私たち人間をふたたび参与しなおすには?」そんな問いを持ちながら本セッションを企画しました。
三原さんの実践のユニークさは、「暮らしの実験と営み」を芸術に仕立て直していることでした。落ち葉の微生物が、うんちすら分解してしまう驚きから、コンポストをはじめていく。すると、微生物や作られていく土を想像しながら、自らの食生活まで気にかける=ケアしていくようになる。そこにテクノロジーの補助線を引いて、もたらされる想像力は、自分の身体・それをつくる食物の残渣や排泄・コンポストといったそれぞれの境界すら溶かしてしまいます。それはまさに芸術が生み出す異質な視点。
そんな驚きが日常のあちこちに視点を向け直すだけで溢れている。それがワークショップからも見出されました。鳥や犬、菌たちのように私たちたちも、循環一部になりうる。そんな希望を感じる回になりました。Comoris は都市では埋もれがちな循環の営みを、私たちにわかりやすく示してくれる場、森の生態系と都市での生活を繋げてくれる場なのかもしれません。
引き続き、都市で森を作るための「レシピ」をComorisを通じてどんどん作って行きたいと思います。