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樹木の空間・時間軸に合わせ礼を尽くして施すケア|インタビュー: 樹木医 宮田義規さん

Deep Care Labがお届けする、サスティナブルな未来をひらくクリエイティブマガジン『WONDER』では、持続可能性につながるビジネスやプロジェクト、気候危機時代の生き方のヒントになる想像的な実践や活動をされている方にお話を聞くインタビューシリーズを連載しています。

今回は、樹木医の宮田義規さんに、森や木の治療にあたっての考え方についてお話を伺いました。

今回のインタビューのお相手

宮田義規(みやた よしのり)
宮崎県立農業大学校で農業を学んだ後、樹木医になるために宮崎大学大学院に編入。香川県の造園会社で修業し、その後「造園そら」として独立。平成27年12月に樹木医の資格を取得し「悠樹木医事務所」を開設。森林の調査のほか、樹木単木の調査・維持管理についてアドバイスし、自らも施工に携わる。その他、森や樹木に関する講演や、スギ苗の生産など樹木にかかわる業務を広く行う。

人の手が加わった森林こそ、ケアが必要

ーー今日はよろしくお願いします。初めに宮田さんの樹木医としてのお仕事について教えていただけますか。

僕は森の中で木や草などを調査する森林生態系多様性基礎調査をやってます。基本的には基礎調査で木の大きさや種類などを計って、森がいまどんな状況かを調べます。その基礎調査のデータを抽出して分析することもあります。
他にも、個人のお客さんの庭に行って、木を剪定する造園業も毎年行っています。自然に配慮した樹木医的な庭のお手入れの仕方が他の業者さんとの違いですね。
樹木医的な要素というのは、例えば木を植えるときに、この木の性質だったら本来どういう場所に埋まりたいのかというところから入るんです。そうやって木の性質にあった配置をしていくと、見た目もきれいだし木も元気に生きる。
もう1つ、庭を管理する際に剪定によって本来の状況に近づけていくこともします。剪定では木が今後どうなっていくかをあらかじめ予想して、刃物を入れていくんです。混み合った枝を外して、本来木がなりたい形に持っていくという剪定を得意としています。

ーー木の診断とそれに基づいた、木の性質に合った造園をやられているのですね。もう少し具体的に宮田さんが関わられた事例をご紹介いただけますか。

宮崎大学から調子が悪い桜の木を伐採していいかという相談受けて、対象の14本全ての外見診断をしました。診断では、木槌でコンコンと叩いて中の空洞の状況を推察したり、針のような器具でつついて腐っているか判断したり、手で触れて、目で見て、匂いを嗅いだりと五感を使って調べます。結果、木を残せるかどうかを僕から打診して、伐採や剪定を決定していきます。この時の桜は植栽されて40年経っていたため、周辺に住む皆さんにとって見慣れた風景になってしまっていました。つまり、桜が生物で、季節と共に移ろうことが忘れられてしまっている。なので、キャンパスを見守ってくれている樹木であることを意識してもらおうと看板を立てました。人が植えた樹木は、自然に生えてる樹木とは全く違う生育環境にいるため、人が最後まで面倒を見る必要があるんです。

少し視点を変えて山の木の話をすると、日本の森林はほぼ人の手が入っています。縄文杉の周辺は手つかずだと普通の人は思っていますが、だとすると縄文杉と同じクラスの杉が周りにないとおかしいんです。幹がぼこぼこしているために木材として使われなかった木が残って縄文杉になったと考えられます。ケアする必要があるかどうかの判断基準は、人が手を加えてしまったかどうかなので、縄文杉がある森は人がケアしていく必要があります。無くなるのも自然だと言う人もいますが、明らかに人の影響で無くなっていくものを見過ごすわけにはいかないと僕は考えています。

人が木に求める姿と本来の姿、2つの視点から木に向き合う

ーー人の手が加わったからこそ、人がケアしていく必要があるということですね。宮田さんが木の面倒を見るときに大事にしている観点があればお伺いしたいです。

重要なのは、まず森の中でその木がどういう枝、葉の出し方をしてるのかを知ることです。無理やり葉っぱを出させることは不可能なので、本来だったら枝がどう出ているかを頭の中にイメージし、それを出させるためにどうするかを考えます。私は大学で生態学を学んだので、その知識を元に推測しています。山の中で本来生えている場所を知っていれば、樹木の今の状況やこれからどうなっていくのかがある程度予測がつくんです。

空間と時間を広く長く想像できるかという視点も肝です。空間であればまず、木がどういうところに生育しているのかを広く脳内で認識します。木から半径3メートルの範囲では全然足りず、500メートルぐらいは把握できていないと見誤ってしまうんです。あとは時間。この木がいつ生えて、もしくはいつ人が植えて、何年前ぐらいから弱っているのかを認識することです。何年後ぐらいにはどのぐらい傷むのかも把握する必要があります。
こうやって、空間の認識と時間を同時に認識して、自分の中で処理して木に向きあうことが必要なんです。いろんなケースをこなすことで、頭の中に地図が出来てくる。その地図に事実をプラスして推測をしていく。木を診断するのは、その瞬間ですが、プラスして管理してきた人の話を聞くといった下調べもしておかないと、診断を見誤ってしまう可能性があります。
そして、芸術観点になるのですが、僕は木の「色気」を大事にしています。例えば、風が吹いたら自然にそよぐという姿には、人間には作れない色気が感じられます。枝をほったらかして色気を演出するテクニックもあるんです。

ーー色気があることと元気であることは同じなんでしょうか。ポジティブな状態をどのようなポイントで判断されているのか教えていただけますか。

色気があることと、元気があることは違うんです。例えば梅の場合、幹が腐って弱り、ぎりぎり生きている状況に色気があります。その土地で育つことによる年齢や古さが色気に関連しているのかもしれません。
長い期間攪乱が起きてない場所、つまり木が安定して生育している状況へ人間が本能的に心地よさや安らぎを感じるとも言えます。例えば、火山や火事、地震などで木の枝は折れて、土は灰だらけという環境は本能的に危険だと人間は思います。反対に苔が生える土地は攪乱が起きておらず安定して水も豊富にあるため、安らぎを感じます。私の仮説ですが、自然な枝ぶりに対しても同じように人間が安定を見出し心地よさを感じると考えています。

元気であることがわかる例には桜があります。桜の花がたくさん見たいという依頼と、桜を元気にしたいという依頼では、アプローチが全く違うんです。花を咲かそうとする場合は木を痛めつけて、栄養を添加して無理やり咲かせます。元気にする場合は、弱っている原因を取り除いて、木が本来生きる力を取り戻させます。

ーー今のお話のように人が求めているものと木が求めているものが乖離している状況にはどのように向き合われているのですか。

花ではなく木の生命の方が大事だと思っているので、依頼に対して「木を元気にします」と伝え、花が咲くかどうかはその木に任せるようにしています。花を咲かすのは「園芸」の分野だとはっきり示しますね。大学や博物館など公共施設からは人が気にかける桜や藤の依頼が多いんです。それって、それらが重点的に弱ってるからではなくて、基本的に人を喜ばせることにお金が動いて、仕事になっている。
樹木医には園芸的な方法が好きな人もいるし、科学的なアプローチをする人などいろんなタイプがいて、みんなそれぞれの方法で取り組んでいますが、僕は生命を尊重し、生態学的なアプローチをとりたいと思っています。

森と人の時間の流れは全く違う。生きるスピードを落した、おおらかな応答を

ーーそういった、樹木への関わり方を大事にしていきたいと思うようになった背景にはなにがあるんでしょうか。

森林生態学を最初に学んでから樹木医の知識を肉付けしたことが大きいですね。園芸の分野が入口だった人ならば、薬を使用するようなテクニカルな治療方法に傾倒してしまうと思うんです。私自身は森林生態学を通じて空間と時間の認識スケールが広がりました。
森林生態学を学んでいると、生態系の中の自分を意識せざるをえません。森の中で地面にへばりついてじっとしてたら、自分だけでなく木の根っこも呼吸してることが実感できたり、同時に自分だけ異質な感覚も得たり、このような研究のフィールドワークを通じて体感的に意識する、ということを学んでいきました。

木をじっと見つめると、森や木の時間の流れと比べて、現代社会を生きる私たちの時間の流れはスピードが早いという気付きがあるんです。自然に対してちゃんと目を向けるためには、時間の速さを落とすことが必要だと感じます。これから想像がつかない年数を生きていく木と対照的に人間の生命は一瞬なので、いろいろな先輩がたからの言い伝えを繋いでいくことで、木を相手にする必要があります。

ーー都会に暮らしいて、例えば、公園に落ちてる石ひとつをとっても本当は雄大な時間が流れてるはずですよね。でも、そうは感じられない。今おっしゃられていたような身体感覚を持つにはどうすればいいんでしょうか。

ひとりで時間の制限を設けずに人の手が入っていない山や古い木をゆっくり見る。自然と人のスピードを意識的に合わせるためには、ほかの人とではなく、なるべく人がいないところに行くのがいいと思います。手つかずの自然を見ることでスピードが合ってくると、身体感覚から情報が得られるようになります。
他にも、テクノロジーが無い日常生活、縄文時代や江戸時代での生活に考えを巡らせることもあります。例えば、爪切りがない時代はどうしていたのかなと遡って考えたり。

ーー縄文杉のように何千年も生きている木もありますよね。人間が生きる時間以上に長く生きる森や木の時間感覚にどうやって向き合って治療されているのでしょうか。

木を守っていくには木の過去をよく知り、広く空間を捉えて、コツコツとできることをする必要があります。大きい木の根が露出してるからといって土を入れると、長く対応してきた環境と異なり木が枯れてしまうことがあるんです。このような対応をしてしまうのは、こちらの時間の捉え方が短く早いから。スピードを落として対応するというおおらかさが今後の樹木の保護には必要だと思います。

高千穂の滾々と木の根元から水が湧き出るという伝承がある土地で、樹木調査したことがあるんですが、周辺環境が変わったため水が枯れて無くなってしまったことがわかったんです。この時は、調査だけで終わりにせず現状の整理や提案を通じて、自分が出来る範囲で声を発するようにしました。提案の際も、今後の取り組みについて拙速に進めないこと、ゆっくり時間をかけてやっていくことを強調しました。こういったことをコツコツ続けていくことが必要かと思っています。

ーー改めて、DeepCareLabではケアをキーワードに置いてるのですが、宮田さんの樹木医としての実践をケアという視点で捉えるとどのように読み解けるでしょうか。

僕は「礼を尽くす」ことを指針にケアをすることを意識してこれまでやってきました。「礼を尽くす」という言葉には、知識や技術を失礼にあたらないように使うこと、最大限の配慮を相手にするという意味を込めています。治療する前には、手は合わせ、お神酒を準備することもあるんです。実際にどういう作用があるかはわかりませんが、このような礼の尽くしかたが相手への敬意を表す作法であると考えていて、その延長に、枝は切りつめないことや急激な変化を起こさないといった細かな作業が位置付けられていくと思います。

ーー「礼を尽くす」というあり方には、宮田さんがこれまで樹木に向き合われてきて感じている尊敬の念も表れているように感じました。今日は、樹木医としての姿勢を通じて、知識と経験、ご自身のあり方を組み合わせて樹木と向き合うケアの姿勢について学ばせていただきました。ありがとうございました。

おわりに

森や木などの自然と人間の時間の速さが異なり、だからこそ私たちのスピードを落として取り組みを考えていく必要があるという点は森林保護だけではなくさまざま自然との関わり方にも通ずるのではないでしょうか。

樹木医のお仕事を通じて、森や木などの自然との向き合い方について新しい観点を得られたインタビューでした。

ありがとうございました。

書いた人:國村友貴子

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