不妊治療|子授けお守りをもらった
子授けお守り
つい先日、とある人から子授けお守りを貰った。
夫以外には不妊治療の話をしたことがないのでもちろんその人はこちらの事情など知る由もなく、結婚して数年経っても子どもに恵まれない私たちのために、わざわざお守りを買ってきてくれたのだった。
もちろん「ありがとう」とお礼を言う。
精一杯のほほえみを浮かべて。
お礼の言葉を口にしながら、心の奥に冷たい空気が流れ込み、そしてどす黒い感情が溢れそうになるのをぐっと堪えた。
その人は不妊治療の経験がなく、3人の子どもに恵まれていた。
なかなか子どもを授かることができなかった私はこれまで何か所もの神社で子どもが欲しいとお願いをしてきたし、訪れた中には子授け祈願で有名な神社もあった。
それでも毎月規則的に生理はやってきた。
神頼みをしたところで授かれるわけではないと既に気付いていたし、神様なんていないのかもしれないと思い始めていた。
たとえ悪気がなかったとしても、良かれと思って取った行動は、時に人を傷つけてしまうことがある。
尊敬する先輩の妊娠
数年前まで働いていた職場に、美人で頭が良く、仕事のできる先輩がいた。
普段の言動から育ちの良さが滲み出ていて、常に周囲への思いやりを忘れない、気さくで素敵な女性。自分も先輩のような人になりたいと憧れてしまう、理想の上司だった。
入職して1年ほど経った頃、「今日は忙しかったけど○○さん(私)がいてくれて助かったよ、ありがとう。もうベテランの域だね!」と声をかけてくれたことがあった。実際にはまだ不慣れで先輩方に迷惑をかけていたと思う。
後輩たちの小さな努力を見つけては、まるで魔法や薬のような言葉をかけてくれる人だった。大変な仕事や理不尽な出来事に遭遇した時は、先輩がくれた言葉を反芻して何度も乗り越えてきた。
そして、どんなに忙しくて余裕がない状況であっても、その先輩がいるだけで「大丈夫!なんとかなる!」と職場のみんなが思えた存在だった。
先輩の年齢は30代半ばで、結婚しているがお子さんはいなかった。
それについては誰も何も聞かなかった。
一緒に働くようになり数年が経過した頃、先輩から妊娠したという報告を受けた。10年近く不妊治療していたこと、そしてこれが最後のチャンスだと思って臨んだことを話してくれた。
10年。
その果てしない年月のうちの数年間、私たちはほとんど毎日職場で顔を合わせていた。その期間、先輩が悲しんだり落ち込んでいる様子を見せたことはなかったと記憶している。だからこそ、当時の私は想像もできないような長い時間をかけて治療を続けていたこと、そしてそれを周囲に一切悟らせず、打ち明けなかったことに驚いた。
尊敬する先輩とご主人との間に新たな命が宿ったことが、私は自分のことのように嬉しかった。無事に元気な赤ちゃんが生まれてきますようにと心の中で祈った。
先輩が産休に入る頃、私は転職に伴い退職することになった。
お世話になった先輩に何か渡したいと考えていた時、ふと、安産お守りはどうだろうかと思いついた。以前、その先輩は神社巡りが趣味だと話していたことを思い出したのだ。
当時住んでいた所から車で数時間かかる場所に、安産祈願で全国的に有名な神社があった。ちょうど近くを通る用事があったので、その神社のお守りを渡したら喜ばれるのではないかと考えた。
しかしその考えはすぐに白紙に戻した。
神社巡りが趣味とは言え、喜んでくれるだろうか。
そもそもお守りって誰もが喜ぶものではないよな、と思った。
特に安産お守りは「母子ともに健康で生まなければならない」というプレッシャーを与えかねないし、出産は何が起こるか分からない。
『お守り』というアイテムは、普通に生活している間はその存在を忘れてしまうほど意味を持たないけれど、良い出来事(あるいは悪い出来事)が起きた時、深い意味を持ってしまうものだ。あそこの神社はやはりご利益があった、あるいはなかった、という風に。
お守りを人に渡すという行為には、その人のことを思い願うという背景があり、それは素敵なプレゼントかもしれないが、渡す相手に対し配慮しなければならない代物だと思う。
おそらく、心優しい先輩は後輩からどんな物を貰おうが、笑顔で喜んでくれるに違いなかった。たとえ心の中で嫌な気持ちになったとしても、絶対に表面には出さない人だ。だからこそ、出産前に不快な思いをさせたくなかった。
先日知り合いから子授けお守りを貰った時、私は心の底から思った。
「あの時、先輩に安産お守りを渡さなくて正解だった」と。