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コラム17 ライブチャットをどうやって辞めようか


女性の話ではないです。
男の話です。

利用者の話です。
なにか鬱々としているとき、ぼーっとしているとき、あるいは無意識に。
ライブチャットのサイトにアクセスして目的もないはずなのに女の子を見て回る人、お気に入りの子を探す人、メールの文面に一喜一憂する人。
そういう困った利用者の人の話です。

自分も漏れなくそういう人の一員なわけです。彼女もいるので本来こんなことはしなくていいはずなんですが(というかしちゃ駄目だろう)、なんでか見てしまう。

貯金もいたずらに減るばかりではあるし、楽しい経験も必ずしもできるわけではありません。ただ単に性欲の解消をしたいのであればいくらでも良い方法はあるのに、いったいなにをしているんだ……とよく思います。

ポルノ中毒についてはよく目にしますね。
でもライブチャット中毒なんて言葉はほとんど見ません。ライブチャットというサービスが比較的マイナーなため、それに関する言葉や言説がまるで流通していないのです。

いや、比較的マイナーなサービスというのは的確ではありませんね。語られ方がまだ誰もわかっていないサービスというのがより正確なような気がします。
あきらかにライブチャットサービスは大きな市場規模を持つようになっていますし、女の子の登録者も多い。女の子のためのノウハウも少なくありません。

でもサービスを使う側の言葉が圧倒的に足りない。そのサービスをめぐる社会的位置付けや文脈を理解しないまま、おぼつかない足腰で利用している。わたしにはそんなイメージがあります。

ポルノ、風俗、キャバクラ、ホスト等にはそれがありますね。少なからずそこには付随した物語があり、雑多ながらも確かに言葉が存在しています。

使う側の言葉が必要だと考えるわたしの意見は、女の子にとっては迷惑かもしれません。ちょうどいい匿名性を有しているのに議論が活発になるのは迷惑だ、なにしてくれるんだ、というのはまったく真っ当な意見です。反論できません。

わたしとしては女の子の匿名性を脅かしたいとは思いません。インターネットの片隅で、見つけようとすれば見つかる程度の場所と規模で、同じ利用者たちと声を共有しておきたい、言葉を積み重ねておきたい、と思うのです。

ある種のグループセラピーのようなイメージをわたしは持っています。こういう経験をしました、こうなんですよ、困っちゃいますよね、とパイプ椅子を円形に並べて語らうような親密さ。
それがなにかの解決に結びつくものではありません。どこへ行きつくかの保証はありません。それでもなにか各々の経験の輪郭を確かにする作業の一助ができるのではないかと思う次第です。




……という高邁な理念はそれはそれとして、ついでにちゃっかり有料記事が売れればいいなあと思ってるんですけど(笑)

↑ ライブチャットの女の子と付き合った経験から、好きになった女の子と会う秘訣を体系的に書いております。会話の秘訣、実録のチャトレのSちゃんと付き合った話を更新済み。適宜更新予定です。「こんな感じの女の子なですけどどうしたらいいですか?」みたいな個別の質問があればお答えもします。

↑ このふたつは先の記事の加筆更新部分のバラ売りです。
最初の記事を購入いただけば買う必要はありません。


↑ このふたつはそれぞれ100円の記事です。(値下げしました)
お試し感覚で見ていただければ。

↑こちらは純粋な恋愛についての有料記事。
そもそも付き合うための一般的なプロセスとは?
口説くってなに?みたいなところから話をしている「超言語化」講座です。

↑そしてこちらが基本無料のマガジン。
あれやこれやを利用者目線から書いています。自分が読みたかったものを書いている感じです。

こんな感じで、前半のクソ真面目感を宣伝で中和してみました!
是非に!!

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