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聞いて!上流階級も辛いのよ!?古代ローマのとある妻の話

古代ローマのそれぞれの階級の人々がどう思って、どう行動していたのか。
史実を元にした大河エッセイです。

西暦100年前後の帝政ローマに生きた人々。
様々な立場や境遇、考え方から見た古代ローマを覗いてみてください。

私はエクイテス(上流階級)の妻

朝、私が起きるとすでに食べ物の香りが漂ってくる。まどろむ私にお構いなく奴隷たちは私の身支度を手伝う。

こんな朝日も無い時間帯に机で食事をとる人は、ローマ市内でもそう多くはないのではないか、と思う。普通はロウソク代がもったいないから、朝日が出てからするものだ。

でも夫は私より早く起きて仕事をしているらしく、それが終わってから私とイエンタクルム(朝食)を食べているらしい。

でも本当に早く起きて仕事しているのか、詳しいことは分からない。私はローマ市外のことはもちろん、市街のことすらよく分からないからだ。

私の世界は、このドムス(屋敷)と一部の市内公共機関だけと言っても過言ではない。

私にとってそれ以外の世界というのは、奴隷たちや家庭教師たち、もしくは夫や客人から又聞きした「情報」の中の話。だから本当はローマ市以外の世界なんてものは無いんじゃないか。とすら思う時がある。

私は由緒こそ正しくないが、民会(政界)にも顔が利くエクイテス(新興成金)の父の元に生まれた。

そしてやはりエクイテスとして成功した男に嫁いで、そこそこ前にこの狭い中古ドムスに入居した。

私の母親は幼くして亡くなっていて、よくわからない。なのに数年前、私は人の母親になってしまった。

そして母親になって数年が経つが、今でも母親というものが分からない。
なぜなら子の世話も専業の奴隷たちか、雇った専門家が行うから。
子との強い思い出は、出産のときの壮絶な痛みだけだ。

何をしているのか分からない私の夫

夫は朝が早い。そういう仕事をしているらしい。
らしいというのは、私には何も話してくれないから。ローマでは政財界は男の世界で、女の私が関わっていいことはひとつとしてない。

同席したところで、見聞きできたとしても女には何も変える権利もない。

それどころか、私は私の周りのことすら、何一つとして知らない。

何の生産性もないパーティに興じる私

世の中の何も知らないのに、私はパーティの際に出席される奥様らと見知らぬ市内の人々のうわさ話に興じる。

その席で男たちは何やら仕事の話をしていたりするが、私がその内容を理解できるはずもなく、私はせっせとひと様の家庭事情のアレコレの話に興じる奥様方の相手をする。

話の内容は、誰それの家が没落しそうだとか、どこそこの名家で裁判沙汰の離婚騒ぎになっているとか、どこぞの俳優が駆け落ちして行方不明になったとか、そういった世間話がほとんどだ。

私たちはエクイテスとしては下級だから、低く見られないように奥様方を招待するときは見栄を張ってちょっと無理してでも豪華に振る舞うし、噂話も沢山知ってるかのごとく振る舞う。

噂話が沢山入ってきて人々との交流が多い勢いのある家だと見せ、取り繕うためだ。

偽りの上流階級暮し

でもどんなに見栄を張っても所詮私たちはペリシティリウム(奥庭)もない小さいドムス住まいだ。
それは隠せない。

ローマでは権力者ほど土地を広く支配する。広いドムスに住む金持ちは一部を貸したりして不動産収入を得る者もいる。

おそらく夫はローマでも上流階級に属する人間なのだと思う。でも上流の中でも階級はあるのだ。

政財界を詳しく知らない私でも、小さいドムス住まいだということは、上流の中でも下流だということは、なんとなくだが分かる。

私たちの家には水道がないが、不動産事業家である隣の大きな家には水道が引いてあって、アトリウムの小さな泉に繋がっている。

その水道で何かするわけじゃないが、直接水道を引けるのは、権力者の証だという。

私の夫はその家とも親しいようで、彼らは「私たちのアトリウムにある水盆も水道も自由に使うと良い」と開放してくれている。
だが私はもちろん、夫も使おうとしない。

彼らは、私たちに階級の違いを見せつけて、懐広く見せているだけなんだと直感で分かっている。実際に使ったらどう思うんだろうか、試してやりたくなるが、さすがにやったことはない。

どのみち水道なんてものを使わなくても、雨水も溜めてるし、生活用水は奴隷がせっせと必要なだけ必要な時に運んできてくれるから、何一つ不自由はないし。

最高に贅沢にして最高に苦痛な立場

朝の食卓が終わると、いよいよ私はやることがない。夫は執務室に奴隷と共に籠り、用事がない限りはずっと出てこない。たまに夜まで出てこないで奴隷と一緒に夜の生活を楽しんでそのままそこで寝てしまうことすらある。

そういう日は、私はほとんど1日中何もすることがない。私も対抗して奴隷を使って性欲を満たすことはあっても、やはり飽きが来るというもの。とても暇。

女の身で何もしなくていい、というのはローマではきっと贅沢なことなのだろう。だが、私にとってそれは今はもう苦痛になりつつある。

一昔前はギリシャ人奴隷から世界のこと、特にギリシャの神殿や楽園の島についての話を聞くのは楽しみの一つだったが、最近はそれも聞き飽きてきた。

神話を覚えれば殿方とももっと楽しく語れるよ、と知人の奥様がおっしゃっていたが、私には歴史や神話は興味がないようで、イマイチ、ハマれなかった。

たしか、あの奥様の旦那様がギリシア属州の総督付だかやってたからか、今のローマでは廃れた古典劇も好きなのかもしれない。デウスエクスマキナ(典型的な筋書き)ばかりの古典演目の何が楽しいんだか。私にはさっぱり。

また別の奥様は、ペリシティリウム(奥庭)に集まる小鳥を眺めるだけでも心の養分になると言ってた。

でもうちにはペリシティリウムなんて言える立派なものもないし、水盆の水もほとんどない。だから小鳥が水浴びに来ることもない。

カネは私の目の前をただ通り過ぎるのみ

カネは水のようだ。上からどんどん流れていき、下にいくほど集まって勝手に溜まっていく。私たちは、流れゆく水に必死に手を伸ばし、少ない水をかき集めるほかないのかもしれない。

でも、女である私には、家計をどうこうする能力もなければ義務も権利もない。

稼ぎはすべて夫と奴隷たち、そして家計は会計奴隷が行っている。私の夫には口が裂けても言えないが、夫は何の仕事をやっているのかすら分からないから、この先どうなるのかただただ不安な毎日を送っている。

奥様方の噂話で、いついつ誰が没落したとか、ティベリス川に身を投げて自害したという話を聞くたびに、内心恐怖を覚えるのだ。明日は我が身ではないか、と。

今はただひたすらに夫を信じて、でも周りの奥様の邸宅との差、装いの差、はっきり目に見える差を感じて、生きている。

私の唯一ともいえる楽しみはお風呂

さて、ここからは私の楽しみの話をしようと思う。
こんな私にだって、楽しみの1つくらいはあるんだ。

午後になると、私は日課として公共浴場に行く。
私よりずっとお金持ちの奥様もその旦那さまも、自宅に風呂があろうがなかろうが公共浴場に行く。

公共浴場だけは、すべてが平等のように感じる。奴隷も皇帝も公共浴場では平等だ。浴場だけは、平等だった昔のローマの姿を現しているみたい。

私は奴隷に輿を担がせて、コロッセオに近い大きな公共浴場に向かう。マッサージ奴隷だけを連れ、他の者は待たせて女風呂の入口にいき、服を脱ぎ、楽しむ。

どんな正装や豪華な装いも、風呂の前では無力で、みんなが服を脱いで入浴やサウナ、スポーツを楽しむ。まあ、女性である私は本格スポーツを楽しむことはできないのだけど。

入浴料も、庶民の方々からすれば分からないけど私からすれば無料みたいなもので、激安。

そして大事なのは風呂に入る時は入浴料以外は持たず、持っても入る前に奴隷に渡して守らせることが大事。
公共の奴隷たちは低級だから、ものを盗んだりスリをすることもしばしばあって危険だから。

でもそれ以外は本当に楽園みたいなもので、女風呂は男風呂より小さいという話だけど、それでも一通りそろっていてそれなりに楽しい。

入浴が終われば、奴隷にマッサージさせ、二度風呂したり、あるいは図書室でくつろぎながら本を読んでるふりをしてぼーっとしたり。
どんな豪華なパーティや夜の悦びよりも、私は風呂にいる時のほうが幸せなのかもしれない。

そんな風呂に毎日通えるのだから、ローマという都市もあながち捨てたものではないな、と思っている。


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